2021年の最終日、やはり「不確実性を楽しむ」ことは、今の世界のスキルだと思う
2021年の最終日。ここ数年、フェイスブックでその年にあげた写真と文章を振り返りまとめてnoteに書いている。面白いことに、1年前の年始にフェイスブックに書いたことと、同じことを同じタイミングで感じている今の自分がいて、改めて自分の人生の経験から、その感じていることを証明できる気がしている。
2019年の年末は、今の私を創り出している原点でもあるcouchsurfingと出会って10年目の節目であり、ちょうどベトナムのダラットで出会った他のカウチサーファー達とバイクで滝観光に向かっていた。そして、こんなことを書いている。
『世界に出ると、ときに誰を信じるのか、何を信じるのか、自分はどう在りたいのか、自分は誰なのか、そもそも自分は相手の「信じる」に値するのか?突きつけられて、言いたいことも伝わらない(言語はもちろんだけど、育った環境や宗教や歴史背景などひっくるめて)、相手を理解することが難しい、悔しさやもどかしさも多々ありますが、それでも、「生きていて良かったなぁ」と思える場面に何度も出会い、自分の人生のストーリーを自分が一番楽しめている事実は、偉大な功績だと思います。2019年のまとめというより、2019年はCouchsurfingと出会って10年目だったので、世界中の人々を思い返していました。引き続き、このcommunityと一緒に成長していきたいです。』
2020年の年末は、フェイスブック上で面白い発見をしていた自分。
『FBには「この1年の振り返りと周りへの感謝」を伝える日本人、「数日前からHappy New Year/Holidays」の欧米人、そして、「変わらない日常」を伝えるベトナム人。このFB圏の異文化理解が何気に面白い。私は、日課の、旅と人と本と食を「書く」ことを。今日は文化センターで祭典。ただ、ベトナム人にとっての旧暦正月は、まだ2か月先なので、その時の現地の盛り上がりは凄いのですが、そもそもあまり「過去を振り返る」ことをしない国民性。(その分、簡単に忘れるから、何度も言うw)
その価値観と似た社会心理学者の故ホフステード氏の異文化理解6次元モデルの中の、「不確実性の回避度」も、日本とは対照的に低い。つまり、ベトナムでは、人生とは不確実なもの、それが自然、と割り切り、ルールや形式には拘らない。反対に日本のような不確実性の回避度が非常に高い国では、人生に絶えずつきまとう不確実性が脅威であり、取り除くために形式、ルール、規則が必要とされ、構造化された環境を求める。
@多文化社会原書第三版: ホフステード他
これは、異文化理解のフォームのひとつとはいえ、本当に、この「人生とは不確実なものであり、それが自然」という価値観を体現しているベトナムの皆さんに鼓舞された1年だった。もちろん、人生の節目ごとに「区切り」をつけるのは大事だし、振り返りも大事。日本の四季は、区切りを言語化、可視化してくれる。でも、感情だけではなく、なるべく定量化したい。
4年続けている趣味のnoteの記事数が、2020年12月、異様に多かった。半ば無理やり、自分で期限決めて、編集中だったのを、写真や文章追加し発信。というかこうやって知的好奇心を満たすことしかできなかった。マガジン『街角のベトナム語』『Cafe Freak’s Life Break』『Books』『Mekong Delta Time』も。2020年は70000回以上閲覧して頂きました。コンダオ島のカフェは、今すぐにでも戻りたくなる。2021年は、ベトナム観光局監修の本の執筆と、論文の先行研究と、Mekong Delta Time雑誌制作、note 継続発信を!というか、人生、ひたすら、書き続けます!目指せ、日本のサン=テグジュペリ氏!写真や動画だけじゃなく、文学や語学に興味を持ってくれるベトナム人が増えますように・・!「善きことは、カタツムリの速度で動く」といったガンジー氏。究極の忍耐力が試された年でしたが、人類にとって幸せの2021年の創造を。』
そして、本日2021年12月31日。まず、この日を健康で迎えられたことに感謝。そして、ちょうどひとつ大きなことを成し遂げた後だったので、改めて「不確実性を楽しむ」ということは、日本人にとってはとても勇気のいることであり、エネルギーを使うものだけれど、同時に今の世界を生きるスキルにもなり得るということを痛感した。
「大きなこと」というのは、世界と日本にいる教授と学生を巻き込んだオンライン(60名)とオフライン(10名)のEnd-Year Party実施とそれにMCとして関わることだった。
このパーティーでは、10名程の学生チーム(インドネシア、フィリピン、ボツワナ、ウズベキスタン、ケニア、モルディブ)が主催者として関わっており、私はフィリピンの学生からMCに推薦され、もう一人のMCはインドネシアの学生から推薦されたインドの方だった。
最初から最後まで、とにかくスピード感が圧巻というか、正直、自分にとってはとても「居心地の悪い」ものである。なぜなら、ほとんどの詳細が決まらないまま、プロセスも確認しないと共有されないまま、MCのスクリプトは結局当日まで共有されず、もう一人のMCと会ったのも前日だった。
多国籍な文化の中で生き抜く知恵のひとつとして、日本人の「調整力」や「レジリエンス」というものには、非常に力強いものを感じる。日本で生きていると当たり前の、人々の空気を読んで、調整する、根回ししてからの共有、というのは、正直、他の国の出身の人々で出会うことはほとんど無い。
発言することを良しとする文化に、埋もれながら重要だと気づき、とにかく発言して存在感を示すことに必死になった過去と、日本と欧米と、そして発展途上国の国々での仕事や学業の経験を通して、発言も大事だけれど、誰も聞いていない環境では、それぞれの言い分を聞いて、調整する役割が非常に重要だとも気づく。その上で、それでも、今の社会では、この背景を理解した上で「不確実性を楽しむ」というエネルギーは欠かせない。
全くのゼロの企画段階からパーティー当日まで、その期間実に3週間。
”Don't worry Mami~”という言葉が虚構としてしか聞こえず、「なんで、こんな適当やねん」と至る所で突っ込みたくなる始末で、インド人のMCも、「スクリプトが前日に共有されず、全くわからない」と半ば諦めモードだった。でも、そんな自分をかろうじて支えてくれていたのは、「不確実性を楽しむ」を全身で体現していたベトナムのメコンデルタの人々であり、とにかく彼らとのイベント実施経験やスピード感には感嘆した。
パーティー当日は、MC同士で練習する時間も限られており、ほとんど初対面であったけれど、もう一人のMCであったインド人の方は、パーティー当日、午前中の数時間を使って、当日の「country tour」動画発表チームの国について徹底的に調べ、移動続きだった私にも共有してくれて、「このチームにはこういう質問をしようと思う」と、自分なりに編集しながら計画を練っていた。(よく見てみると、インドも「不確実性の回避度」が低い国のひとつだった・・!というか、チームの国籍、全体的にこの不確実性の回避度が低かった・・・インドネシア、フィリピン、ベトナム、インド・・・)
全てを整えながら、カタツムリの動きをする自分を、(勝手に)すくい上げて、舞台に立たせ、私はとても居心地が悪いものの、彼らに優れていたのは、フォローアップだと後から知る。とにかく褒める。私が、「うわ、こーゆうところがあかんかったなぁー」とか振り返って改善しようと思っているときに、「2人のMCのコンビネーションが最高だった!」「素晴らしいチームワークだった!」「Mami初めてのMCとか信じられないわー」「オンラインで実施していたのが嘘みたいに、こんな楽しいイベントは初めてだった」と、なんならライブ中継でも一緒に盛り上げてくれる。みんなで作っている。この空間作りというものは、とても優れていて、いつも、見習う。
日本のイベント企画立案から実施までを見ていると、驚くことにまず募集期間2週間ほど、そして応募者の動画撮影期間10日間ほど、そして主催者側での字幕付けに2ヶ月間ほどの時間が充てられ、募集期間から3か月後にようやく発表会当日を迎える。
主催者が「完璧」を求めたとしても、そしてそれは本当に細部まで完璧に計画されたもので不確実性を回避したものだとしても、応募者の立場から考えると自分が何を撮影したのか、紹介したのかすら、忘れるのではないか。発表会当日の予定すら、忘れてもおかしくない。予定が変わったり、自分の状況が変わったり。そして、詳細を詰めて、詰めて、「何も予想外のことが起こらない」会を良しとして、それでも、改善点を求めて、次へ生かそうとする。その努力と時間は、報われているものなのだろうか?
ある意味、「巻き込まれる」のも大事だと思うし、そもそも、MC誰にしよっかーってチームが考えていた時に自分の名前があがる環境づくりも大事だし、「仲良し」や「英語力」だけでは成り立たない、この「不確実性を楽しむ」勇気やエネルギーは、今の世界、特に日本の社会に必要なスキルとさえ思えた。
そんな年末。