スリランカの熱帯建築とは【本:熱帯建築家ジェフリー・バワの冒険】
ちょうど、隈研吾氏と山田由美氏著書の『熱帯建築家ジェフリー・バワの冒険』を読んだ後に、スリランカの友人にThe Barnhouse Studioというコロンボ市から約1時間の場所にある竹建築の場所を紹介され、ベトナムのメコンデルタにあるEco Bamboo Villageを思い出した。(以下は、The Barnhouse Studio のサイトにあった写真。ウッディな感じと、挙式や食事パッケージの紹介まで、メコンデルタの観光地の紹介と似ている・・・Eco Bamboo Village はもう少し、高級エコロッジを意識しているというか、ベトナムの家庭料理と手入れの行き届いた庭が中心だけど)
そうか、スリランカの熱帯建築家ジェフリー・バワ氏研究の第一人者、David Robson氏が"Beyond Bawa: Modern Masterworks of Monsoon Asia"と言ったように、スリランカ、南インド、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス・・・熱帯の国々は「モンスーンアジア」として繋がっている。熱帯建築は、モンスーンの風が吹く土地との関係性から生まれた。
思えば、街を歩くときに『建築』を意識したのは、ハンガリーとかチェコといった中欧の街が最初だったかもしれない。アールヌーヴォーに魅せられ、ミュシャに惚れ、ブダペストの少し薄暗い鉄道の駅の神秘的な雰囲気に包まれ、その後のスペインの長い年月をかけて建てられるサグラダ・ファミリア、モロッコの砂漠にある入り組んだ街、オランダのロッテルダムにある奇想天外な、かつ機能主義的な建築の数々、そしてその後は自然に溶け込んだ街、とくにラオスのルアンパバーン、インドネシアのバリ、そしてベトナムの竹建築・・・その土地の自然環境や文化への畏敬と西洋のライフスタイルをみごとに融合させたバワ氏に、勝手に親近感を抱きながら、東南アジアやインドシナ半島とはまた異なるテイストのスリランカ建築。
スリランカを建築という切り口から見ていくと、なにかコトの原点に辿り着きそうなので、もう少し、いろいろまとめてみたいと思う。
海、空、山、岩、木、石、熱帯の国々、モンスーンアジア
隈研吾氏「価値を生み出すのは、土地であり、大地そのもの」
「(バワは)庭の中の孤独な人」
ル・コルビュジェ:スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家
ミース・ファン・デル・ローエ:ドイツ出身、バウハウスの第三代校長
20世紀初頭のモダニズム建築:「建築の時代」
エイドリアン・ゼッカ(オランダ領東インド・ジャワ島スカブミ生まれ、アマンリゾーツの創業者)も、バワの建築に大きな影響をうけた一人。
Heritance Ahungalla
ここは、世界初のインフィニティプールの原点。インフィニティプールといえば、シンガポールのマリーナ・ベイサンズ、そして日本の旅館やホテル、インドネシアのバリ島など世界の至る場所で見るようになったけれど、スリランカが原点だったとは。
Jetwing Lighthouse
インフィニティプールがこちらにも。
ホテル内の螺旋階段。シンハラ・オランダ軍とポルトガル軍の戦いをモチーフにしたラキ・セナナヤケの作品。
オランダをイメージしたスピルバーゲン、中国風のファーフィエン、モロッコをイメージしたイバン・バトゥータの部屋。
Coats of Arms Bar
このバーの見どころは、天井のバティック画。ラキ・セナナヤケと並んで、バワ建築とよくコラボレーションしたことで知られるエナ・デ・シルヴァによるもの。セロイン時代のさまざまな都市の紋章をデザインした、歴史を感じさせるモチーフ。
なぜだか、ミャンマーのバガン・キングホテル(↓)の屋上にあったレストランを思い出した。
Heritance Kandalama
カンダラマという人口湖のほとりの、緑に覆われた岩山を抱くようにして建つホテル。1994年開業。
蓮の花、カンダラマ湖、無機質な建物、岩山と緑に囲まれている。
Bentota Beach Hotel
この鮮やかな天井のバティック画は、バワ建築の特徴。ここのホテルのバティック画は、バワ建築に多くの作品を提供したエナ・デ・リルヴァの作品。・・・で、ここはなぜか福岡県飯塚市にある嘉穂劇場(国の登録有形文化財)を思い出す笑 もしくは、ホテル雅叙園東京の百段階段。
このホテルは、プールサイドの露出した岩場があり、この光景こそ、バリ島でアジアンリゾートの建築に影響を与えたものだと、確かに思える。そして、この建築が、国会議事堂のプランに発展した。
AVANI Bentota Resort
1970年に開業したホテル。ここは、エントランスを入ってすぐ左手にある中庭が、日本のお寺のよう。池に泳ぐ鯉も風景に彩りを添える。
確かに、ここだけ見たら、インドネシアのバリ島を思い出す。アジアンリゾートは、ここスリランカから始まった。
Heritance Ayurveda Maha Gedara
ここは、以前スリランカへの旅行を検討していた際に、教えられたアーユルヴェーダの施術が受けられる滞在型のリゾート。
白色の壁と木造の家具はやはり素敵。ここの主な客層は、ヨーロッパ人、特にドイツ人が多いらしい。ライブラリーもあり。
Paradise Road The Villa Bentota
1970年代に建築された、スリランカ初のブティックホテル。
この、白と黒のストライプ柄のデザインはスリランカのカリスマデザイナーとして知られるシャンタ・フェルナンド氏による。独特だ。
ここは、もともと旧ヴィラ・モホティという場所で、モホティとは、植民地時代にこの地域をおさめていたシンハラ人の名前である。この19世紀に建てられたコロニアルスタイルの彼の家が、そもそもここの原点。
現在は、バワゆかりのギャラリー・カフェほか、インテリア用品や小物を扱うパラダイス・ロードが運営する。
Number 11
バワが平日、コロンボ市内で過ごした場所。バワ建築をいくつか見た上で、余計、わからなくなったのが、彼の世界観というか、センスが、一貫性があるのかと思えば、突然鮮やかな色使いになったり、緑に覆われたりする。この家は特に、そんな世界観をうまく惑わせてくれる気がする。
バワは、人生で3台のロールスロイスを所有した。1台目は、最初のイギリス留学時に入手、ここにあるのは2台目で、3台目はインドのマドラス(チェンナイ)に事務所を開いた時、マハラジャから買ったもの。これは法的な問題でインドから持ち帰れなかったという。
The Blue Water
ワドゥワ・ビーチ沿いに建つホテルで、ホテルとしてはバワ最後の作品。特徴的な外の椰子の木。ホテル周辺はもともとココナッツのプランテーションがあった。
Lunuganga
ルヌガンガはバワのカントリーハウス。 この地所はオランダ統治時代はシナモン農園、続く英国統治時代はゴム農園であったらしい。
ベトナムで見るフレンチ・タイルとは異なり、床は白と黒のデザイン、壁はカラフルでドアには絵画が。こういったセンスは、オランダ、英国、スリランカから、そしてバワが世界を旅したときの風景や建築のデザインから来たのかな。
たぶん、ここに全部詰まっているんだと思う。バワの建築家としての原点、コロニアルスタイルの家、18世紀、熱帯雨林の中にシナモンのプランテーションが開発され、その後ゴム栽培に転用され、目の前に広がる緑と丘。西洋のアンティーク、民族的な置物、また仏像や神秘的な絵画、古くから交易都市として栄え、西洋列強の植民地とされたスリランカの歴史から新たなデザインを教えてもらった。
モンスーンとは、もともとはアラビア語で「季節」を意味するmausimからくるインド洋の言葉だった。モンスーンとは、季節ごとにインド洋に吹く風のことである。風に乗って交易が行われ、風の向きが変わることで、それぞれの土地に乾季と雨季が巡る。温帯のような四季はないが、それが彼らの「季節」だった。
スリランカ、かつてのセイロンは、大航海時代から東西貿易の要衝だった島国である。十六世紀初めにはポルトガル、次いでオランダ、十八世紀にはイギリスと植民地支配が変わり、さらにアラブや中国の商人も行き交った。
スリランカ国会議事堂(コッテ)
そして、国会議事堂は、日本の武道館のよう。ただ、目の前の湖が、まるで浮いているように魅せる。ちなみに、この前の道路は、日本スリランカ友好道路という名前らしい。1978年、スリランカは大統領制に移行し、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナが大統領に就任。彼は、サンフランシスコ調和会議において、セイロン代表として参加、日本に対する戦後賠償請求権を放棄すると演説し、日本の国際社会復帰への後押しをしたことで知られる。
Barefoot:バワ建築に使われたテキスタイルをコラボレーションしたことで知られるデザイナーであるバーバラ・サンソーニのお土産店。カフェや書店も併設。
Paradise Road Studio
Paradise Road Galleries/The Gallery Cafe
アヌラーダプラ
Seema Malaka Temple
仏教が盛んな国スリランカにあって、唯一伝統的スタイルではないモダンな寺院が、バワの手がけたシーマ・マラカヤ。コロンボの中心地、周囲にオフィスビルや高級ホテルが立ち並ぶベイラ湖の上に浮かぶようにして建つ。
創造の場所であるカフェ代のサポートを頂けると嬉しいです! 旅先で出会った料理、カフェ、空間、建築、熱帯植物を紹介していきます。 感性=知識×経験 மிக்க நன்றி