ベトナムのカントー市で観光ガイドをする女性「ゲストが最高の体験をして、無事帰っていくのを見届けるまでが私の仕事」
ベトナムでの人との繋がり方は、すごく「軽い」そして「心地よい」。SNSのグループ上でずっと連絡をくれていて、なかなかお会いすることができなかったカントー市の観光ツアーガイドをするNgocさん。今回、初めて直接お会いすることができて、どのような経緯で観光ツアーガイドになったのか、どのような想いでツアーを実施されているのか、今後の展望や政府政策への意見等を伺った。
まず、そもそもなぜ私に連絡をいただけたのか?
「最初は観光客の方だと思った。今、カントー市に来る外国人の個人旅行者は増えているものの、まだまだ少ない。私は、SNSのグループ上の海外の方々に直接連絡して、カントーに来る予定がある方にはツアーを紹介している。」
個人で観光ガイドをする方々にとって、観光客と直接連絡のやり取りをできるのがSNSだ。とはいっても、観光客の方々が、Ngocさんから直接連絡が届くことによって、いきなりツアー予約をするのだろうか?
「まず、相手の日程や予定を聞くようにしている。それから、ツアーだけじゃなくて、ホーチミンからカントーまでくる際の交通機関の手配や、ホテルまでの送迎の予約等も、無償で行っている。電話したり、調整したり、手配することは時間も労力もお金もかかるけれど、ゲストがカントー市を好きになってもらえたら、という想いでやっている。そんな方々が、ツアーを予約してくれるようになる。」
確かに、カントーに来る訪越外国人の方々は、だいたいホーチミンから来る方々が多い。そして、目的は水上マーケット。通常、バスで来るのが普通だけれど、例えばバス会社によっては、バス停から街の中心部(場所によってはホテル目の前)まで連れて行ってくれるけれど、そのサービスを知らずにGrab等を別途予約している方々もいる。そんな方々にも、情報を提供するのだそう。
「私は、もともと、カントー市の街中でヘアサロンを経営していた。8年くらい前かな。日本人のお得意さんもいた。日本人の方々は非常に丁寧で律儀な方々。そんな方々をツアーに連れていくこともあったし、カントー市内のオススメの場所を紹介していた。今でも、出張でヘアサロンの仕事をすることもあるけれど、ツアーガイドがメインの仕事。」
カントー市出身で、この街でお店を持っていたという経験は、街の発展を俯瞰的に、全体的に見たり、オススメの場所を紹介するという本来のホスピタリティ精神を培っているのだろうと思った。
「観光ガイドを始めたのは、今から7、8年前で、コロナ前、イスラエルのお客さんが多かったよ。」
と教えてくれたNgocさん。
「イスラエルの方々は、同郷精神が非常に強くて、コミュニティーがあるから、最初のお客さんの心をつかむことができれば、私が宣伝しなくても、代わりに紹介してくれるの。カントー市内だけじゃなく、他のツアーのときもガイドをお願いされる。」
「まだ、ゲストの戻りは少ないけれど、少しずつツアーも再開しているよ。」
話が尽きず、場所をカフェに移して、彼女の将来の展望や政府政策への意見を聞くことにした。
「特に、ビジネスを拡大しようとかは考えていない。この場所が好きで、案内することが好きだから、このまま続けたい。私はパーフェクトなガイドではない。(8年経った)今でも、まだお客さんの質問に答えられないこともあるし、学び続けている。」
「政府には、もっとお客さんの導線を考えて、植林をしたり、水上マーケットでは固有文化を守るための予算の使い方を考えてほしい。例えば、水上マーケットでは、お客さんはボートに乗って市場に行くけれど、早朝でもすぐに暑くなってくるし、同じ景色だと飽きてくる。例えば、小さな運河により多くのココナッツの木々を植えて、涼しい場所を作る必要があると思う。景観もよくなるし、お客さんが少し涼しむ場所ができる。あと、水上マーケットで商売されている方々が、アオババ(伝統衣装)を着て商売できるように、予算を使うとか。お客さんにとっても、カラフルな伝統衣装を見ることも体験のひとつになると思う。」
私自身は、外国人としてこの街の観光発展に少しでも貢献したいと思い、たくさんの方々の話を聞いてきた。政府・観光業者・地域、同じ目標に向かっているはずなのに、どこかで政府間の「大型投資」を中心に、「スマートシティー」構想に目がくらみ、地域の方々の固有文化や伝統保護にはなかなか話が上がらないと感じたことも多々ある。数多くの自称「観光ガイド」さんがいる中で、英語ができるのは当然で、相当のコミュニケーション能力が求められて、旅行者の目線(期待、要望、想い、文化など)に立って案内できる方々というのは、なかなか限られていると思う。ひとつの解決策というものは無い中で、それでも地域の魅力を誇りをもって伝えている人々をすごく尊敬するし、彼女のような方々がこれからの街をつくっていってほしいと思う。そして、私は、彼女のような方々の声を届けていく。