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◎『誰が安倍晋三を殺したか』(第2章 ドメスティック・ポリス②)
SPは接近者に背
私は小泉首相の身辺警護についても、いっそうの強化を坂本氏に求めた。小泉首相は絶叫型の演説で知られる。それによって聴衆を酔わせ、引きつける強力な武器だ。
その反面、小泉氏の演説に興奮した人物が当の小泉氏に対して凶刃を振るわないとも限らない。それは発砲の形をとるかも知れない。小泉氏本人は身辺警護の強化を嫌うだろうが、死んでしまっては元も子もない。
坂本氏は警察と相談するといったが、21年後、安倍元首相の暗殺という形で現実となった。当時は想像だにしなかったことだ。
小泉首相の身辺警護の強化を促した後も、日本警察の要人警護は実効性を無視した形で続いた。
たとえば私がホテルオークラ別館のコーヒーショップ「カメリア」で食事していたとき、麻生太郎氏が目の前を通って奥の席に座った。私は挨拶しようと近づいて愕然となった。警護のSPは麻生氏と対面する恰好で接近者に背を向けて座っているではないか。
列国の警護員なら警護対象の麻生氏と肩を並べて座るなど、接近者をいち早く発見し、ただちに反撃できる位置に座るものだ。
私は実際に経験したイスラエルとオーストラリアのケースを思い浮かべた。外務省の佐藤優主任分析官に依頼され、駐日イスラエル大使館の情報担当官の同席のもと、本国の諜報特務庁(モサド)の女性分析官に対して、1998年5月13日12時から北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルの開発についてブリーフィングしたときのことだ。
このときは、先方のスケジュールの関係でレストランの個室を準備する時間がなく、佐藤氏はホテルニューオータニ新館40階のレストラン『ベルビュー』の奥まった一角の席を予約していた。
そこで私は滅多にお目にかかれない光景を目にして、得をした気分になった。ぽっちゃりした体型の女性分析官に随行していた若い女性のボディーガードが会合を仕切り、座る席を決めていったのだ。映画『氷の微笑』のシャロン・ストーンに似たブロンドだった。
真っ先に一番奥の席に陣取った彼女からは、私たちに近づいてくる者が全て眼に入る。彼女の行動の意味を理解した瞬間、大型のハンドバッグの中が透けて見え、イスラエル製の超小型サブマシンガン「マイクロ・ウジ」が接近者に対して火を噴くのが見えたような錯覚に陥った。
オーストラリアの情報機関ONAの高官と会食したときも、まず運転手兼ボディーガードの二等書記官が床の間を背にして座り、その隣が主客の私、向かい側にその高官と駐日公使が座った。襲撃者が姿を現したら、二等書記官は即座に発砲しただろう。
とにかく、身辺警護だけでなく日本のテロ対策には、主導権はテロリストや暗殺者が握っているという視点が抜け落ちている。
テロリストや暗殺者は、攻撃対象の選定から時と場所、方法まで、守る側に察知されないように決めることができる。そうであっても、テロリストの奇襲攻撃が無理なように守りを固め、攻撃を跳ね返せるようにしておくのがテロ対策の基本だ。
観艦式は狙撃のチャンス
日本の首相がいかに無防備な状態に置かれているか。それは自衛隊の公式行事の場も例外ではない。
2003年10月26日、私は海上自衛隊の観艦式に臨んだ。陸上自衛隊生徒の同期生の高橋亨氏が海上自衛隊に転じて海将になり、航空集団司令官として上空から小泉首相の観閲を受けるシーンを見ることも楽しみのひとつだった。
集合場所で招待状を示すと、小泉首相が座乗する観閲艦のしらねではなく、先導艦むらさめに案内された。大学教授などちょっとしたオピニオンリーダーはしらねだったが、1984年に軍事専門家として独立してからも私は防衛省広報課と海上幕僚監部広報室からジャーナリストに分類されたままだったからだ。
私の顔を見た将官たちが慌ててしらねに案内しようとしたが、私はそのまま先導艦に乗ってみることにした。概して自衛隊の広報は相手のOB情報、つまり氏素性の本当のところを知らない。これは自衛隊の組織がなりすましによって侵入されたり、戦場では思いもよらない伏兵に攻撃され、壊滅するような弱点につながる。
先導艦に乗船した私は、そこで思わぬセキュリティホールを発見した。
排水量4500トンの先導艦むらさめは波静かな相模湾を滑るように航行していたが、私はその艦尾に取材陣がカメラの放列を敷いているのを見て戦慄した。後に続くしらねまで500メートルも離れていない。特殊部隊やテロリストが三脚など撮影機材の中に分解した狙撃銃を忍ばせていたら、海が凪いでほとんど揺れないだけに、狙った標的を外すことはない。
そんなことは万に一つもないと言いたいところだが、小泉首相だけでなく日本の政府要人を死なせる訳にはいかない。
私は翌日、警察庁出身の小野次郎秘書官と防衛庁から来ている黒江哲郎参事官に、首相がヘリで観閲艦のヘリ甲板に発着艦するときは、周囲に紅白の幕を張り巡らせて目隠しをほどこし、同時に乗船前にマスコミの資機材を徹底的にチェックするよう求めた。
特殊部隊やテロリストの立場で眺めると、いくらでも警備陣の隙間が見えてくるものだ。
ライフル弾はフロントガラスで弾かれる?
特殊部隊SATの隊員など一部を除き、日本警察は銃器についての知識にも欠けている。
それを象徴していたのは、2000年5月3日に発生したバスジャック事件だ。佐賀市から福岡市の西鉄天神バスセンターに向かう高速バスが5月3日午後1時半ごろ、九州自動車道太宰府インターチェンジ付近で刃物を持った若い男に乗っ取られた事件である。
バスが山口県の山陽自動車道に入るまでに、犯人は乗客3人に切りつけ、68歳の女性1人を死亡させた。バスは午後10時すぎに広島県小谷サービスエリアで停車し、犯人はバス内に立てこもり、翌4日早朝に警察部隊が突入し、人質は解放され、犯人も逮捕された。犯人は17歳の少年で、中学でいじめを受けた後、家庭内暴力を起こし、精神科に入院したこともあったと報じられた。
当時のマスコミは警察の「暁の突入」を英雄的行為のように報じ、「あの状況では最善の決断」と自己満足する警察OBらのコメントをタレ流した。しかし、この事件でほめられてよいのは、突入して犯人を逮捕した警察官だけなのだ。警察のオペレーションとしては、国際水準からほど遠い不合格な答案といわざるをえなかった。
この事件では、午後3時半すぎに山口県の小郡インター付近で人質女性1人がバスから飛び降りて脱出している。高速バスから飛び降りるのは当然、命がけの行動だから、人質の1人があえてそうした以上、バス内の状況はきわめて悪く、人質の命が危険にさらされていると思わなければならない。警察は無力化(射殺)という選択肢を第1に考えなければウソだ。
高速道路上に設置した阻止線で停車したバスから、物陰に隠れて犯人を狙う特殊部隊SATの狙撃手までの距離は、どんなに離れていても100メートル以内。ふつうは50メートル以内だろう。この距離であれば、狙撃手は狙った場所を正確に狙撃することができる。
私のささやかな自衛隊経験からしても、距離が200メートル以内であれば、犯人の頭を狙えば頭を、心臓を狙えば心臓を撃つことができる。問題は銃弾で、背後に人質がいると犯人を貫通するため撃てない。だからSATチームは四方八方に展開し、人質と犯人が重ならない位置にいる狙撃手が撃つことになる。遠距離からの狙撃と異なり、このようなケースではカメラマンが最適の位置を求めて小まめに移動する発想が狙撃手にも必要となる。
もちろん狙撃の体制を取っておいて犯人の説得を試み、投降させることができれば、それはそれでよく、SATは黙って撤収すればよい。このときのバスジャック事件は、1回説得してダメならただちに狙撃、というケースだっただろう。
私は、事件発生直後から「解決策は狙撃しかない。発生から3時間で解決できなければ不合格」と主張していた。危機管理の専門家であれば、そう即断できるような単純で初歩的な事件だったからだ。
ところが、警視庁の最高首脳の1人は「小川さんは評論家だから、テレビを見て好き勝手なことを言っている……」と言ってきた。東大を出たキャリア官僚だったが、私は「何を言っている。俺が少年自衛官出身だということを知らないのか」と叱った。15〜16歳の頃、私は200メートル先の標的をはずすことはなかった。
あきれたことに、この警視庁首脳は「弾丸がバスのフロントガラスで跳ね返ってしまうから狙撃できなかった」と真顔で言った。しかし、そんなことはあり得ない。
私が使っていたアメリカ製のM1ライフルは、有効射程500メートル。100メートル離れたところからの貫徹力は厚さ13ミリの鋼鉄製の装甲板を打ち抜くというものだった。警察が備えている狙撃用のライフルで撃てば、もちろんフロントガラスはないも同然だ。こんなド素人が指揮を取っていては、ヘタをすれば第一線の警察官は命を落としかねないと思った。
事件後、警察が口にしたのが「容疑者にも人権があるから、それを考えると安易に狙撃はできない」という言い訳だった。
もちろん容疑者も含めてすべての人間には人権がある。しかし、容疑者が人質の人権を蹂躙しており、その人質の1人が既に殺されているときに、容疑者と人質の人権を同列に扱うというのは、自分たちの不作為を正当化しようとする責任逃れとしか言えない。きちんとした人権意識のある国であれば、人質の人権を最優先し、場合によっては容疑者を狙撃するのは当たり前の話なのだ。
紀州犬1頭に13発
首相官邸ドローン落下事件で日本のセキュリティの後れを世界に曝してしまったあとも、深刻な事態は続いた。
新聞ではベタ記事同然の扱いだったが、世界の治安機関、情報組織、そしてテロリストや犯罪者が注目したのは日本警察の銃器に関する知見の乏しさだった。
2015年9月15日付け読売新聞は次のように報じた。
人を襲った紀州犬、警官3人が射殺…13発発砲
「14日午前2時頃、千葉県松戸市日暮の路上で『女性が犬にかまれた』と、110番があった。松戸署員が駆けつけたところ、飼い主の男性(71)が犬に襲われており、署員3人が計13発を発砲し、犬を射殺した。
同署の発表によると、飼い主の男性と通行人のアルバイト女性(23)が犬にかまれ、いずれも左腕に軽傷。犬はオスの紀州犬で、体長1メートル22、重さ21キロだった。同署の浜元裕彦副署長は『犬を射殺しなければ、ほかにも被害者が出ていた可能性が極めて高い。拳銃の使用は、現時点では適切かつ妥当と考えている』とコメントした。現場は、新京成電鉄みのり台駅から約300メートルの住宅街」
この記事だけでは何発が紀州犬に当たったのか、つまり、何発が外れたのかなど、ディテールは不明だが、9月15日のフジテレビ系のニュースでは警察への取材をもとに「6発から8発が犬に命中」と報じている。
どのくらいの距離で撃ったのかわからないが、要するに13発のうち5発から7発が外れたということだ。フジテレビ系の報道では、2発の跳弾が出て、近くの住宅とエアコンの室外機に当たったという。住民に被害が出なくてよかったと胸をなで下ろしたのは、私だけではないだろう。
そこで、なぜ紀州犬射殺事件がテロ対策に結びつくのかということだが、まず3人の警察官が13発も撃って6~8発しか命中させられなかったという、日本の警察官の射撃に関する技量の低さが浮き彫りになったからだ。
松戸警察署の3人の警察官の技量は、おそらく日本の警察官の平均的な技量と考えてよい。このレベルの警察官が、大規模イベントなどの雑踏の中でテロリストと銃撃戦になったら、市民が巻き添えになるのは避けられないと考えるべきだ。
そんな事態を避けるには、少なくともアメリカの警察官なみに射撃訓練を重ねる、要するに撃ちまくっていなければならない。私も陸上自衛隊の末端(陸上自衛隊生徒)でライフル、軽機関銃、重機関銃、対戦車ロケットなどの基本的な訓練を受け、射撃は得意だったというのが、ささやかな自慢だが、とにかく日本の場合、自衛隊も警察も、極端といってよいほど射撃訓練がお粗末なのだ。
そうした訓練不足を補うため、2004年に陸上自衛隊を復興支援のためにイラクのサマワに派遣するとき、当時の第2師団長・河野芳久陸将は私に「普通の自衛官が一生かかっても撃つことのない弾数を派遣前の訓練で撃たせた」と言った。激しい戦闘では付着する火薬カスのために一日で銃が作動不良になるそうだが、派遣前の射撃訓練では、そのレベルまで達しなかったという。
いまひとつの懸念は警察官が携行している拳銃の威力だ。
紀州犬の事件では、おそらくニューナンブM60(ミネベア製)が使われたと思われる。この拳銃は1960年に採用され、1999年に製造を終了しているが、今なお日本警察の主力拳銃の座にある。アメリカのスミス・アンド・ウェッソン(S&W)のM36をモデルにした38口径(9ミリ)の拳銃で、有効射程距離は50メートル。上級の射手が撃った場合、25メートル離れて直径5センチの円内に弾丸を集めることが可能とされており、5発が装填されている。
もちろん、熟練した射手ならニューナンブでも1発で相手に致命傷を与えることは間違いないが、問題は平均的な警察官の技量だ。6~8発を発射してやっと紀州犬を倒すことができたということは、うまく頭部に命中させることができなければ、衣服の下に拳銃用の軽量の防弾ベストを着けた相手には歯が立たないということだ。38口径の拳銃弾は、それくらいの威力しかないことも知っておく必要がある。テロリストは、日本の警察官など意に介さないで堂々と犯行に及び、場合によっては撃たれながらでも警察官に向かってくるかもしれない。
陸上自衛隊の特殊作戦群や警察のSATといった特殊部隊はともかく、平均的な警察官の能力を高める手立てはただひとつ、撃って、撃って、撃って、撃ちまくって、射撃の腕前を高めることしかない。
さらに、ニューナンブや更新中の拳銃に.357マグナム弾を使用できるようにするか、さらに威力の高い拳銃を装備すれば、それなりの対テロ能力の向上を期待できるだろう。マグナムなどというとダーティーハリーの映画を思い浮かべる向きもあると思うが、あんな大型マグナム(.44マグナム)はともかく、アメリカのハイウェーパトロールの交通警官でも.357マグナムを持っているのだから、日本の警察も考えてみてもよいのではないか。
フランス警察も下手くそ
日本ばかりではない。フランス南部ニースにおけるトラック暴走テロ(2016年7月14日)では、襲撃された直後にテロリストを無力化できなかった結果、死者84人、重軽傷者202人という大惨事を招いた。たかが射撃などと軽視せず、必要な技量を修得するまで身体に叩き込むしか対策はない。
テロの直前の7月5日、フランス国民議会の「2015年1月7日以後に国家がテロとの戦いに用いている手段に関する調査委員会」は、イスラム過激派を名乗るテロが続いている理由、特に警備体制の穴について、434ページに上る報告書を公表していた。「2015年1月7日」とは、シャルリー・エブド紙編集部をクアシ兄弟が銃撃し、パリ首都圏で3日間のテロが始まった日である。
フランス国民議会の調査委員会は、イスラム過激派がフランスへの潜入と、北アフリカ系のフランス国民の煽動を続けるという前提で、警備体制の穴をふさぐ方法40か条を提案、その第1条に警察と国家憲兵隊の実弾射撃訓練の強化を掲げている。国家憲兵隊は主として人口2万人未満の基礎自治体での警察活動を担当している。
皮肉なことに、報告書の指摘を裏づけるかのように、その9日後のニースで、通行止めの柵を突破したばかりのトラックを警察官2人が射撃したものの、運転席の犯人に命中せず、多くの犠牲者を出してしまった。
サーマルイメージャーを知らない?
世界の警察で常識となっている装備品への日本警察の知識不足も深刻だ。世界中が日本の実態に驚きを隠さない事件はさらに続いた。
2018年4月8日、愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から、27歳の男性受刑者が脱走、尾道市向島の空き家などに潜伏した。23日間にわたり延べ2万人近い警察官が動員されて山狩りなどを行ったが、脱獄囚はひそんでいた空き家の中でテレビなどを通じて尾道水道(幅200メートル)の潮流などの情報を得ていたらしく、最も流れが緩い「潮止まり」のタイミングで対岸に泳ぎわたり、広島市内のインターネットカフェで店員が通報するまで逃走を続けた。
その直後の5月5日には、新潟県阿賀野市で父親と6歳の長男の山岳遭難事件が、2019年9月には山梨県道志村のキャンプ場で小学校1年生の女子児童が行方不明になった事件が発生したが、ついに救出できなかった。
このとき発見の決め手となる装備品はサーマルイメージャーだった。物体の出す熱赤外線を可視化する暗視装置のことで、装置がとらえる遠赤外線は、透過力が高く、昼夜に関係なく、雨や霧であっても屋内、木陰などに隠れている人間の体温を検知できる。日本でも陸上自衛隊の即応機動連隊や10式戦車、機動戦闘車は解像度の高いサーマルイメージャーを備えている。
アメリカ警察のパトカーが備えているハンディタイプでも、林の中、空き家の内部にいる生き物の存在は一目瞭然だ。銃撃犯が建物に逃げ込んだようなとき、いきなり踏み込めば銃撃されるリスクがあるが、建物の外側からサーマルイメージャーで犯人の位置を確認すれば、身柄の確保や銃撃による無力化に威力を発揮する。
2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件では、容疑者の一人が民家のボートハウスに逃げ込んだが、包囲した警察部隊とボートの中に横たわる容疑者の姿を警察ヘリのサーマルイメージャーが捉え、その画像はネット上にも公開された。だが、日本の警察は警備畑の一部しかサーマルイメージャーの存在さえ知らず、どの事案でも自衛隊への協力要請も行われなかった。
わずかな民間人を発見できない日本警察は、外国のセキュリティ関係者から「テロリストや特殊部隊に対処できるのか」と不信感を持たれている。