
エリオット・スミスの作詞について
私事ではあるが去年の夏、大学のゼミで「社会派の歌」をテーマに色々な曲を聞いた(ボブマーリーなど)。授業の最後でこの曲↑を初めて知った。演奏が進むにつれて、語り手が虐待を受けていることが明らかになってくる。
If you hear something late at night
Some kind of trouble, some kind of fight
Just don't ask me what it was
もし夜遅くに何か物音が聞こえるとしても
それが揉め事だったり、喧嘩だとしても
どうか理由を尋ねないで
上の歌詞を聴きながら、結構泣いてしまった。曲が終わった後にたまたま、教授に感想を求められたのだが「すいません、エリオットスミスっていう歌手を思い出して…」とかなんとか言いながら一人だけ変に泣けてしまって、空気が生ぬるいまま授業は終わった。以下では自分がなぜ泣いたかという精神史を事実と照らし合わせて残しておく。
↑これはエリオットの死後に発売された音源集、new moon に収録されたeither/orという曲。暖炉のようにあたたかく心地よいメロディーの一方、歌詞は抽象的。
↑そしてこれは先ほど言及したeither/orのearly version。言うならばデモのデモ版ということ。メロディーは同じだが、歌詞は異なる。
Tired of looking sideways
With the things in black and white
No more, no more
Arguing my case to the wee hours of the night
What for? What for? What for?
はっきり白黒ついていることを
疑うのに疲れてしまった
もうたくさんなんだ もうたくさん…
夜遅くまで僕のことで議論する
何のために?
エリオットは幼少期、義父であるチャーリーに虐待を受けていた(チャーリーは否定)。わたしはLukaの歌詞を聞いた時、No moreと重ねずにはいられなかったし、No moreがeither/orとして書き換えられたプロセスを思ってしまう。エリオットは創作についてこのように語っていた。

歌詞を書き換えるというプロセスは、パーソナルな「混沌やカオス」を抽象絵画として作り直すということだろう(抽象絵画という表現は、エリオットスミスのドキュメンタリー映画heaven adores youに由来する)。わたしがエリオットについて思うことは、彼は創作するたび、そのような作り直しを繰り返したのだろうということだ。例えばplainclothes man の不思議な手触りについて、monamiさんはこう述べている。
この曲の歌詞は、語り手に執拗につきまとい破壊させようと、夢の中や現実のあちこちに現れる威厳的な存在<Plainclothes man、私服警官>と、語り手の内面の混乱、記憶のフラッシュバック、不信などを語っているような気がします。継父Charlieが投影されているのは確かですが、someone(誰か)という代名詞が使われているので(Someone's gonna get to you And fuck up everything you do)、過度にパーソナルな歌詞にならないような感じも受けます。Recover my love of herの「her」は自分を守ってくれなかった母親のことを歌っているのかもしれません。
エリオットの歌詞はさまざまな解釈が可能であるからこそ、no more をチャーリーから受けた虐待と結びつけることは早急かもしれない。しかしflowers for charlie や abusedなど、世には出なかったものの、エリオットが受けた虐待にかんして歌った曲が存在することは事実だ。彼は歌詞を紡ぐ初めの段階で、自らが経験した不正や怒りなどを言葉にするが、それを消しゴムでぼかしてもゆく。