木内マジック(後編)
前編では取手二高が茨城県勢初の全国制覇を果たした1984年のナインを中心にお話しました。
全国制覇直後、開校して間もない常総学院の監督に就任します。
取手二高時代の木内氏は夏4回、春2回出場を果たします。
全て昭和50年代。
それまではなかなか甲子園出場ができなかったのですが、
甲子園に出場してからは「全国」を意識し始めたのではないでしょうか。
常総学院での木内氏の采配から学べることを綴りたいと思います。
いかに試合状況の中で結果を引き出すか
取手二高は公立校なので、選手を集めるにも制限があります。
一方で常総学院は私立なので、選手層が厚い、部員も多いという恵まれている面もあります。
しかし甲子園で勝てるチームになるには、
いかなる試合状況でも活躍できる選手を育てなければなりません。
そこで練習試合や紅白戦でも打順を入れ替える。
一度引っ込めた選手を再び出す。
(「こいつら双子!!」とか言って相手チームにも納得させたそうです)
まぁ練習試合なので大目になんでしょうが。
また選手の性格もしっかり見極めています。
木内氏は職業監督であり、学校生活での部員は知ることはありません。
だからこそグランドでの部員の一挙手一投足を見逃さないのですね。
さらにグランドではマイクをもって部員に激を飛ばすことは日常でした。
そんなことを通して、選手たちが大舞台でも力以上のものを発揮できるのでしょうね。
ダメな奴はいくらやってもダメ
このフレーズは木内氏がよく言っていることです。
なかなか教育者だとこの言葉は言いずらいものですが、
木内氏は「俺は教師じゃないから」と言ってスパッと言い切ります。
この言葉は一見冷たいと感じますし、
私も若い頃は受け入れがたいものでしたが、
今ならわかります。
それは二つの側面があり、
一つは、限界だとわかっているのにやり続けるのであればスパッと見切って違うことをやった方がいいということ。(実際2年生を修了すると引退する部員も多かったようです)
もう一つの側面は「マインド」の問題。
いくら素質があっても「マインド」に問題があるのであれば伸びしろは低い。
そこに気付けるか、気付けないか。
後者の場合だと「ダメな奴はいくらやってもダメ」
ということになるのだと考えます。
まとめ 木内マジックから学んだこと
このサイトは教師向けのサイトなので、
木内氏の功績から目の前の子供たちの成長のために何ができるのか。
私なりに学んだことは以下のとおりです。
〇子どもの長所も短所も把握する観察力
〇そのうえでどんな状況で、どんな活躍をさせるか日頃から状況判断ができる人材を育てていく
〇最終的には「やる気」を引き出し、力以上のものを発揮させる言葉がけ
(ちょっと専門的な言葉で言えば「コーチング」)
木内氏からたくさんのことを学ばさせていただきました。
この場を在りて感謝申し上げます。