なぜ教師を目指したのか(教員採用試験バージョン)
先日の動画で自己紹介を兼ねて教師になったきっかけもお伝えしました。
あれが本音ですが(笑)
教員採用試験バージョンとして、もし自分が論作文や面接で答えるならこう書きます。
あ、もちろんこれから書くことはある意味片野の「教師哲学」の部分にもあたり、もちろん教師になったら心がけたいと当時も、そして辞めた今でも感じていることです。
1 小さな成功体験を子供たちに体験させたい
私自身子供の頃は勉強も運動もダメで、クラスでは目立たない存在でした。
そんな私が変わったきっかけはいくつかあります。
その中で一番今でも自分の「根っこ」となっているのが中学3年生の時の部活動でした。
当時野球部に所属していた自分は補欠でした。
顧問の先生から毎日ハッパをかけられていました。
(しかも担任だったので、教室でもハッパをかけられました)
この顧問の先生の激に、自分は
「よし!見返してやるぞ!」と決意し、
3年の連休あたりから毎日家で素振りを始めました。
最初は1日100本だったのですが、
次第に200本、300本、
ついには1日500本素振りをしました。
そうすると、これまで全く打てなかった自分が面白いようにヒットを飛ばせるようになりました。
残念ながら総体では試合に出られず、引退をしました。
(顧問の先生曰く、『勝っていたら次の試合で片野を使う予定だった』)
ただ、あれだけ打てなかった自分が、素振り1日500本で見違えるように変わったことが自信となり、
「野球でできたのだから他でも努力すればできるぞ!」と感じ、
部活引退後は高校受験の勉強にすぐ切り替えました。
高校受験も当時は志望校に100点足らなかったのですが、
夏休みは1日10時間勉強し、その結果点数も上昇し、
ついには志望校にも合格できました。
その後いろいろな問題が起きても、
中学3年の時の部活動の体験があったから
「何でもできるぞ!」という思いがあり、乗り切りました。
この経験を自己肯定感が低い子供たちの「勇気づけ」となり、
学習や運動、学校行事などを通して「小さな成功体験」をさせたいと思いました。
2 本物の学びを伝えたい
私は教師になる前、教材会社の営業マンをしていました。
メインは(当時)中学校向けのもぎテストを販売する仕事でした。
要はこのテストの点数や偏差値をもとに高校進学を決めるというものです。
一方で、ひょんなきっかけで私は東京の大学の夜間部に学士入学しました。
最初は卒業できればいいや・・だったのですが、
仕事を終えて大学にくわけですから、行けた時は真剣に授業を聞きました。
それが次第に楽しくなり、
これまで味わうことのなかった「学び」の楽しみを知りました。
また夜間部は、20歳前後の学生も多数いましたが、
高校卒業後、何年か仕事をしていて大学に入学したいと入ってきた人、
結婚してから大学に入学した人
(違う専攻でしたが、某有名女優の旦那様も当時在籍していました)
クラスには「訳あり」な方も多数いました。
人生の荒波を超えながら学ぼう!という人たちから大きな刺激を受けました。
それまでの私の中での「学び」・・いや「学習」とは、
高校や大学に進学するための受験勉強
でしかなかったのです。
昼間は点数や偏差値を扱う仕事、
夜は本物の「学び」
すごくギャップを感じました。
その後、わたしたちが勤めていた業界に逆風が来て、
私自身2年4か月で退職を余儀なくされました。
しかし大学の夜間部は、仕事と学業の両立上
2年で卒業するのを1年延期し、
無事卒業できました。
この大学の夜間部での3年間の「学び」を通して、
本当の学びを子供たちに伝えたいと決心しました。
2+α 学びについての補足
20代の前半、大学夜間部での3年間の「学び」を通して、
「学ぶことの楽しさ」を感じました。
さらに私の「学び」に対する考え方は変わってきます。
30代半ば、急遽行政に異動しました。
仕事は埋蔵文化財に関することでした。
大学の夜間部は日本史専攻でした。
ただし私は文献史学で、考古学に関しては「考古学概論」しか受講しておらず、ほぼど素人でした。
しかし、そんな私も辞令後、すぐに現場に出なければいけませんでした。
(しかも古墳の発掘調査でした・・)
例えれば、スキーの初心者がプロ級のコースのてっぺんに連れていかれたようなものでした。
補助員さんにはいろいろな現場を経験した「プロの補助員さん」もいました。
これではいけないと、図書館で考古学に関する本を借りて読んだり、
週末は博物館や遺跡を見学したりしました。
私は埋蔵文化財には3年間在籍しました。
3年間考古学の勉強をしました。少なくとも普通の考古学専攻の学部生くらいのレベルには到達できたと思います。
また考古学は、遺構や遺物から時代を特定したり、当時の生活を推測するのですが、物事の捉え方、思考法、
さらには「科捜研の女」ばりの科学的なアプローチもありました。
現場ではどのように調査をし、補助員さんたちに指示を出すのか、
大局的、小局的に物事を見る眼も養うことができました。
埋蔵文化財に従事した3年間は「学びの深さ」を知りました。
埋蔵文化財従事後、再び学校現場に戻りました。
復帰後出張で研修センターに行った際、
ロビーにあった教職大学院のパンフレットを見て、
「教職大学院で学びたい!」
と思うようになりました。
なぜ教職大学院に行きたいかと思ったのは、
一つは埋蔵文化財の仕事で先輩調査員やベテラン補助員さんたちの仕事ぶりを見て、「プロ教師になりたい!」と思ったこと。
もう一つは私自身が教員養成系の学部を出ておらず、
独学で教育学を学んできたので、
系統的な教育学を学びたかったのです。
その2年後、県の派遣で行くことができました。
大学院での学びは有意義なものでした。
一方で院生は「研究」がメインですので、
私が在籍していたゼミは学内1,2の厳しさでした。
言葉を使う一つ一つに精密さが求められたり、
レポートを書くにもたくさんの文献を読みました。
大学院では学会発表や学会誌掲載という体験もしました。
また文章力は格段とあがりました。
大学院の2年間は「学ぶ厳しさ」を感じました。
おわりに
おまけの部分がかなり長くなりましたが(汗)
あなたが教師を目指す意味、
教師として子供たちとどう向き合うのか、
ご自身の「教師哲学」をもってください。
これは教師としての「根っこ」の部分です。
ここからどう枝葉をつけていくか。
それはあなた自身の今後の「生き方」にあります。
そんな志がある若い人たちを片野は応援しています。
*プロ教師養成塾特設サイト
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