そっちのほうが問題だ
柔軟剤の使い過ぎについて各所で扱われた結果、そうかそうか迷惑なんだと使わなくなってしまう善良な人が増えた。その結果、電車の中や公共の場など、人が集まっていると妙な匂いがするなと思うシーンが増えた気がする。鮮魚売り場、洗ってない水槽の濁り水、シュウマイや肉まん、酸化した脂、ニンニクとネギが混じったような匂いなど。マスクをしなくて良くなったが、こういう弊害があるなと思う。
人工的な強いお花の匂いと、生乾きの下着を着た人体が満員電車で汗をかき、股間が蒸されて生乾き臭と混じっている匂い、どちらが良いと思いますか?好みが分かれる話だと思うけど、自分は人工物であってもお花が良いと思うんですよね。とはいえ合成された物質だから、合わなくて頭が痛くなるという話もわかる。
自分は香水好きだし、アロマテラピーの勉強をしていたこともある。匂いについて人一倍関心があるとは思うが、好みの匂いを身にまとうことにはあまり関心がない。同じ匂いを嗅ぎ続けていると自分の感覚が鈍る気がするし、疲れがたまる。
匂いをかぎ分けるという機能は、匂いの物質が生き物の脳に直接たどりついて働きかけることにより起こるそうだ。かぐ、という機能は、腐っているから食べてはいけないとか、この人と繁殖したいとか、この人は近親者だから対象にしては駄目だ、といったメッセージを伝えるため、原始時代より昔(魚とかシダ植物だったころの話?)から備わっているらしいですね。聞いた話なので、詳しくは調べてほしいですが。
匂いが素敵な空間では笑みがこぼれるし、匂いが苦手すぎる店には行きたくなくなる。匂いって面白いし、時にはこまったもんだよなと思います。
まあそんなわけで、生乾き臭や汗の匂いを、制汗剤や柔軟剤で完璧に覆い隠すのは無理があると思うけど、調香の世界では、名香と呼ばれる香水には臭い香りを少しだけまぜているものなのだ。人が発する悪臭と混ざることによって、人が離れられなくなるような、最高に素敵な空間にする香りを作ることもできるはずと思う。しかし、臭くない生き物などこの世にはいない。
結局、自分という器が問われているのかな?余裕がないことが問題なのかもしれません。