弱さに向き合う、弱さを受け入れる、ってなんだろう
今日は絹の工房で作業の予定だったけど、どうもやりたくない意志が強いので(暑さ&生理前…)、今日は休むことにした。
そして朝からヨガに取り組んで二度寝をし、それから、
弱さに向き合うって何かな〜と考えていた。
それを考えるきっかけはいくつかあって、そのうちの一つに、
ある人が、自分は自分の弱さを無くすために性格を作って来た(性格をコントロールして来た)と言っていた。
話を聞いてると、その人の言う"自分の弱さを無くす"がどうも私の中で腑に落ちなくてずっと気になってることだった。そして今日のぽっかり出来た時間に、その"気になってる"がムクムクと浮かび上がってきた。
・弱さに向き合って克服していくことと、
・弱さを自分の視界に入れたくないから強引に自分から引き離す、または強引に変えてしまう、
とではきっと違っていて
その人の話す様子では、どうしてもその人のやってきたことが後者のように受け取れてしまっていた。
それを思い出しながら連想されたことは、私は自分の性格的弱さに向き合うことってしてきてない気がした。
トラウマとしての心の傷には向き合ってきたし今でもその延長線上にいる。
だけど、それが自分自身の性格的弱さに向き合うことか?と問うてみたら、どうやら違った。
そして気付いたのは、どうやらこれまでの私も自身の性格的弱さへの関わり方としては、例にあげた後者に近いようだ…と。
同時に、私の理想とするのは前者の姿勢であるということを知った。
だけど、自分の弱さに向き合って受け入れていくって……どうするのか分からない。
いろんな思考を巡らせ行き着いたのは、
弱さだと無意識にも意識にも認識して見ないようにしてきたものに、「それも私の一部なのだ、強いも弱いもなく私の一部としてここにある」っていう事実を見つめてみる。っていうこと。
その広い眼差しの根元には、きっと自他を超えた愛情のようなものがあって、(自分の弱さも強さも含む)自分全体でその眼差しを安心して感じられる(或いは安心して見つめられる)ようになった時
弱さは勇気を持つし
強さは優しさを持つ。
それが、性格的な弱さの克服…というより性格的な不均衡が均衡に変化し、より気持ちよく生きていけることに繋がるのでは?
そんな変化を経てゆければ、きっと自他の境なく、勇気も優しさもを広く共有し合えるようになるんだろう。と思えた。
これがきっと私の理想とする性格への向き合い方、受け入れ方であり、性格成長の道だと思う。
ということで、目を背けてきていた自分の性格的弱点や逆に強い点をあれこれ思い浮かべては、今まで自分の性格のことをほぼガン無視で粗末に扱ってたな〜と反省してはよしよしする、を繰り返してた。
数日はこれをすることになるだろう。
そして、こんな私と一緒に暮らしてくれてありがと〜と、たつへの感謝が自然に溢れた。
たいてい夕方に、たつへありがとうのなでなでをしてるけど、今日は念入りにしようと思う。
ついでに、昨日のなでなで中に寝落ちしたたつの背中を…