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昨日のカウンセリング。妥協とあれこれの話

昨日はカウンセリングだった。
近況の報告と、"仕事と妥協"について考えていたことなどなどを話した。そのことを今日振り返っている。

仕事する中で、ものづくりに関して妥協することが大苦手だと感じて来た。
そもそも妥協とは自分への諦めだと思い込んできていて、よって妥協することは私にとっては害のあることで、好まないことだと感じてきた。その考え方は、中学に上がる頃には芽生え始めていて、高校の頃の勉強において妥協を好まない思考は明らかだったと今では思える。1人で黙々とストイックに勉強して来ていて、好きな科目だけは絶対に人に負けたくない、という気持ちも強く持っていた。


今の仕事の話に戻ると、
自分を諦めて他人や状況をまるっと受け入れる。
又は、
自分を諦めずに、自分を通す。(人の話をあまり聞けない状態)

今まで無自覚だったけど、私の頭の中にはその2択しか殆ど用意されていなかった。

自分を諦めて受け入れる時とはどんな時か?と考えると「この相手は私にとって必要不可欠だ」と意識と無意識の間で感じてしまっている時だ、と気付く。この相手には負けたくない、という気持ち以前に、その相手への依存や関わることで自分に何か名誉的物質的な利益があるという優越感のようなもの、がその根っこにはある。(残念な気持ちになるが、勝つか負けるかの重要性が私には大きかったと気付いく)
ただ今の私は、自分を諦めてまで他人を受け入れる必要があるなどという思いは、あるべきではないと感じる。子供の頃、自分を諦めてまで両親や家族を理解して受け入れるしか無かったのは事実だけど、今の私はそれをしたくない。両極どちらかに答えを求めるのではなく、ちょうど良いところはどの辺だろう?とオリジナルの答えを探り作ることをしてみたい。
過度な依存や、他人を利用するような優越感や、相手を負かすような勝利欲というものにも飽き飽きして来ている。

この1週間近くぐるぐるとしていた思考はそんな考えに行き着いて、なんだか腑に落ちた。

ここへ来て、自分は妥協を出来てもいいんじゃないか?と、私は考え始めている。
自分を諦めてまで人を受け入れることはもうしたくないし、本当に好きだと思える人達と対話し思考を擦り合わせながらより良い落とし所を探ることで、より良くことを運び関係を作るということをしてみたい。

そしてこれは、たぶん、これからの自分自身との付き合い方にも言えることだ。

"妥協の正しい意味"を捉え直して思い込みを解きながら、じわじわ妥協という考え方を受け入れ始めている。自分の内面が成長している…と、自己満足を楽しんだりしながら、


こんなことを書いていると、先週のカウンセリングで、"目上の人を立てる"というのがどうも苦手だ。という話をしたことをふと思い出した。
このことにも自分への諦めという無意識のようなものが潜んでいたな、と思う。両親への理解や受け入れを強要されてきたように、自分を諦めてまで目上の人を汲み取り受け入れないといけない…というような思い込みが。
尊敬できない目上は立てる必要もないが…尊敬する人に、抵抗なく自然に尊敬を表現できるって、素直に良いなと思える。
対男性においては、大きな抵抗が起きて素直に尊敬するという気持ち自体が起き辛いのも、現時点では事実であり問題だなぁと感じるところ。それは、父親には負けてたまるか、勝ってやる!という今まで強く蓋をして来た気持ちに影響されているようにも思う。私が男性から"見た目に反して中身が強い"と言われてしまうのも、こんな気持ちが心の底に埋まっていたからというのもあるだろう(元々の性格は…分からないけど)。ゆっくりで良いからそのことへも向き合っていこう。

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