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葉書職人復活!?
葉書職人
葉書職人・・・といっても、ラジオなどに投稿しまくっていたわけではない。昔、「Synapse」名義でやっていた頃(※「#1-1らせん計画とは?(前編)〜屋号を考える~参照」)インクジェットプリンターでポストカードをよく作っていた。最近、ポストカード作りをまた始めようかと思っている。
今回、ポストカードのことを書くにあたって、ふと、この言葉が浮かんだ。「職人」というのは大袈裟かもしれないが、写真用の光沢紙だけでなく、マット紙、和紙など素材を変えてみたり、加工した写真をプリントしたり、ちょっとこだわって作っていた時期があった。
ポストカードには、ホームページのロゴやURLを入れて、PRのツールとしても活用していた。それを会った人に名刺がわりに渡したり、フリマイベントで販売したりすることもあった。
しかし、この当時作っていたホームページ「Synapse」が、サーバー会社の夜逃げという形で消滅してしまい、Synapseロゴ入りのポストカードはすべて使えなくなってしまい、それ以降はあまり作らなくなってしまっていた。
けれど最近、またポストカードを作ってみようかと思うようになってきた。
デジタル加工した写真をポストカードにしていた頃の作品
便利さに不自由を感じる?
ここ最近は、写真を撮ってもプリントすることが減っていた。デジタルになってフィルムを気にせずたくさん撮れるようになり、撮影枚数はフィルムの頃よりも格段に増えた。けれど、プリントは減少していった。
インターネットの発達、スマートフォンの登場により、ホームページやInstagram、noteなど、ネット上にアウトプットできる手段が増え、プリントせずに、多くの人に、たくさんの作品を伝えることができるようになった。
もちろん、これはこれですごい便利なことだが、
便利さは時として不便さ、不自由さを感じさせることがある。
アウトプットの方法としてネットの発達により、離れている人や多くの人にたくさんの写真を見せることができるようになった。しかし、一方で、簡単にたくさん見られるということは、一つ一つの作品にじっくり向き合う時間も短くなっているような気がした。そこに何か便利の中の不便というか不自由さのようなものを感じた。
アウトプット再考~ポストカード作り再始動
フィルムの頃は、作品を手に取ったり、壁に飾ったり、もっとじっくり見ていたような気がする。
ここらであえて、紙へのアウトプットを再びやってみようと思う。その第一歩として、現在の印刷環境でやれるサイズ、ポストカード(葉書)サイズでのアウトプットからまた始めようという思いに至った。我が家のインクジェットプリンターでは、たいしたクオリティは望めないかもしれない。業者出しをすれば、それなりのクオリティが得られるかもしれないが、じっくり作品を向き合うために、まずはインクジェットプリンターでどこまでやれるか、いろいろ試行錯誤をやってみようと思う。
試行錯誤ののちに、インクジェットプリンターの新調や印刷の外注の検討などもしていくのも面白いかもしれない。
「らせん計画」の事業として、表現活動部門としてポストカード制作の展開も少しずつやっていこうと思っている。需要があるかわからないが、そのうち、また販売もできたらとも、夢は膨らむ。
以前作っていたポストカード
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ようやく書き終えることができた。実は、すでにポストカードの試作は始めていて、手元にある用紙からいろいろ試し始めている。そのあたりのことも、近日中に書いて行けたらと思っている。