誰がなんと言おうと年を取るのを楽しみたいんだ【20代OLが「タリーと私の秘密の時間」を観て思ったこと】
私は誰がなんと言おうとセックスアンドザシティを信じている。
信じているというか、あんなドラマを企画してくれた制作陣に感謝している。
主人公が(私にとっては)年上で、今の私と変わらず「自分主体」で人生を楽しんでいる事が強調されている、それだけであのドラマはワクワクするのだ。
(私と異なる意見をお持ちの方がいらっしゃる事は承知しております)
未来の事は分からないからこそ、人生を謳歌している先輩を見れば見るほど、ああ、年を取るのが楽しみだな、私もイケてるお姉さんになるぞ!と思いたくなるのである。
私は今年27になる。(なった)
この年齢が「まだ若いね」なのか「もうそろそろ年だね」なのかは分からない。(精神年齢は17歳の頃と変わっていない感じがするし身長は小6からほぼ変わっていない)
これから年を取ってもっと色んな事を経験出来るのか、そしてもっと豊かな心でその経験を自分の力に変えていけるのかと思うと楽しみだ。
でも、私は単純なので、メディアや映像作品に翻弄されてしまう時がある。
自分の人生の行く末は、自分のもののはずなのに、自分のみぞ知るもののはずなのに、年を取る事を「残念なこと」だと言われているような気がしてならないのだ。
映画「タリーと私の秘密の時間」を観てそんな不安を増大させられた。
一人で何もかも完璧にこなそうと頑張りすぎる3人の子供を持つ母親、マーロが、生活に疲労困憊する中で、ベビーシッターのタリーに出会い、「人に頼る事」を覚え、自分の大切なものを再確認していく…というストーリーだ。
主演のシャーリーズ・セロンは役作り、演技ともに申し分なく素晴らしく、たるんで重たそうな体で演技に挑んだ姿にはプロ意識を感じたし、疲れ果てた顔つき、自分の青春時代を懐かしむ様子、どのシーンにも主人公の人となりや感情をリアルに感じ、改めて素晴らしい女優だと感じた。
(そういう、お芝居系のことについては素人すぎるほど素人なのでここでやめますが本当に素晴らしかった…!言わずにはいられんかった…)
前述したように、この映画は私の「年を取る」事に対する不安を増大させた。
常に3人の子育てに奮闘する中で常に疲労困憊している中、特に情緒不安な息子が学校を退学になるとうトラブルが発生、はたまた妊娠発覚など、様々な出来事が起こってさらに追い込まれてゆく。
マーロは誰の目から見ても、いつも明らかに疲れ果てていて、夜は搾乳機を両方の胸に装着しながら(これめちゃくちゃ痛いらしいですね…)ポルノ番組を眺め、一晩中赤ん坊の鳴き声に起こされ、朝には暴れん坊の子どもたちをなんとか車で学校に送って…。
パートナーは子供達の宿題を手伝ったりマーロを気遣ったりするものの、マーロの子育てを尊重する(ような感じでただ放置してるだけだろ、お前はなんで見てるだけなんだいつも)形で、なるべく口を出さずに一歩ひいたところで見守るような姿勢を貫いている。
マーロは疲れ果て、搾乳機に搾り取られて乳房は垂れ下がり、出産で体もたるみ、子供に「ママその体どうしたの?」と言われるほどのありさまで、夜のセックスをする余裕も無い。
そして20代の未婚・出産経験無しのタリーの体を羨み、「こんなママには誰も興味が無いわよ」なんてふてくされた言う。
そんな…
そんなことを言うなよ!!!!!!!!!!(怒り)
いや、というか、子育てがこんなに大変で、死にそうで、シャーリーズ・セロンでさえあんな体になってしまう(役作りのたまもの)とか、搾乳機を乳房にたれ下げときながら寂しくポルノを毎晩眺めてるみたいな描写をやめようよ!
いや、これがリアルなのかもしれない、私はまだこの映画を理解するに値しない人間なのかも。
この映画は、自分ひとりで子育てしようなんて事を企んだらお前、こうなるぞ!という見せしめのようだった。
むしろ、この映画は警笛をならしていたのかもしれない。
仕事をバリバリやって、要領が良く、賢くて、自分に自信も余裕もたっぷりの女性達が、子育てをも一人で完璧にこなそうとすると、こうなってしまうぞ、だからベビーシッターやパートナーに頼りなさい、そして周りは、母親を支えなさい、パートナーも当たり前のように当事者意識を持ちなさい、さもなければ愛する人を失いますよ、という警告なのかもしれない。
この映画の伝えたいことは本当に素晴らしいし、激しく共感なのだが、子育ての大変さが強調されすぎていて、子供を持つ幸せや、結婚(してるのかどうかわからないけれども)の幸せ、年を取る事の幸せの描写があまりにも少なすぎて、不安感が募ってしまった。
マーロが、若い女性の体を羨み、「昔はよかった」なんて言うシーン、いらなかったんじゃないか。
そんな人生の先輩の言葉、出来れば聞きたくない。
(いや、発言は自由なので私のが意見なんてどうこう出来るものでも無いのですが…)
マーロが言う、
「私も昔は男をとっかえひっかえしてた」とか
「20代は夢があっていいわね」とか
若いベビーシッター、タリーが言う、「あなたには変わらない日常があるじゃない、毎日同じ場所で朝食を食べて愛らしい子供がいる生活があるじゃない」とか、
そんなセリフ、意味あるのか。
「昔はよかった」なんて言わないでくれ。
「昔もよかったけど、今ももっと幸せ」ってどうして言えないんだ、言わせないんだ。
そうやって、子供を生んだら女としての魅力が無くなるとか、年を取ったら夢もなくなるし人生楽しくなくなるみたいな、そういうのやめにしようよって思う。
「お前、経験したことないくせに。今にそうなるから、見ていろ」みたいな事を実際私も言われる。(さすがにこんな悪意こもった表現では言われないですけど)
私が何をしていても、「それは20代だから出来ること。30代になったらそんなの興味無くなるし、あなたもきっとそうだから」
私がどんな夢を語っても「20代だから思うこと。30代になってもそんな事言ってたら笑われるよ」
こんなこと、何度言われただろう。
人間は30年以上、またはそれ以上生きたら突然夢を見なくなるのか?
そのようにプログラミングされてるの?
絶対なんてないけど、絶対そんなことないって言い切りたい。
「昔はよかった」みたいな振り返り方をしたくない。
自分は「楽しめる力」を持った人間であることを忘れず、様々な変化や選択を楽しんでいきたい。
そして、年を取ること、子供をもつ事がどんなに幸せなのか、もっと知りたいし、私自身の人生をもってして体現していきたいとも思うのだった。