3年振りに映画の感想をまとめてみた
『 花束みたいな恋をした 』
本日遅れて、今流行りの作品を鑑賞してきた。
この作品の描き方で特に好きな部分は、絹と麦それぞれのここぞという場面での心境をセリフにせずに、ナレーションで表すいわゆる独白が多く使われている点だ。あの掛け合いがあるからこそ脚本の魅力を損なうことが無くふたりの世界を表現出来ているのだと感じた。
おそらく鑑賞した多くのひとが各々、絹と麦に対してかつての自身の恋愛模様を重ねたことと思う。それは現在まで続いているしあわせな日常かもしれないしあるいは結ばれることの無かった過去の思い出かもしれない。
人を好きになるきっかけは様々だ。作中のふたりのように偶然にしては過ぎるくらい相手と趣味が合うことから始まる恋。ふとした仕草や言葉遣いが魅力に感じて始まる恋。長年付き合ってきた関係性から、より深く接したいと思い始まる恋。はたまた街中で通りすがった相手にビビッと来て始まる恋。どんな始まり方であってもその愛が唯一無二であり、素敵であることに変わりはない。それがたとえ、どのような幕の閉じ方であっても。
絹と麦には、趣味嗜好の共通点が多すぎる。故にその他の部分に関してお互いについて、気付かずにすれ違ってしまった部分が存在する。ここで挙げたいのは、恋愛についての価値観である。絹は、長らく投稿を追い続けていたブロガーの言葉に影響を受け恋愛について「 始まりは終わりの始まりだ 」と意識をしているがそれに対して麦は、人生の目標を絹との現状維持と定めている程に先を見据えた恋愛観でお付き合いをしている。最終的にふたりは別れることとなるのだが話し合いを設けたジョナサンでも、恋愛感情が無くなったとしてもしあわせになれると言う麦の言葉は最後まで絹に届くことはなかった。
また、麦のキャラクターと女優・有村架純の印象に引っ張られつい大人しい人物だと感じながら観てしまっていたが、絹は本来は派手好きで承認欲求の高い部類の人種なのだ。おそらく広告代理店に勤める両親の影響も大きいだろう。押しボタン式信号で初めてキスをしたときに言った『 こう言うコミュニケーションは頻繁にしたい方です 』これですよ。はい。そんなこと言われたら....。
絹がイベント会社へ転職することを報告する際に起きる一悶着、あの場面が意味することは大きかった。簿記の資格を取得してまでして、ようやく就職した歯科クリニック。堅実な職を捨てて好きなことをやりたいと言う絹を理解出来ない麦。
やりたくないことはしたくない。ちゃんと楽しく生きたいよ。そう叫ぶ絹に麦は生きることは責任だと言う。イラストを描くことで生活をする事が出来ればと夢描いていたあの頃の麦でも同じことを果たして言えるのか。ぜひとも就職一年目の麦に好きな言葉はなにかと問いてみたい。きっとありきたりな自己啓発本に書いてあるような内容だろう。しかしそれは麦が変化したからである。変わってしまったのは事実だがその変化を絹は受け入れることが出来なかった。考えてみたら、社会に出てすぐの頃に映画や舞台をなかなか観に行くことが出来ずこれまで欠かさず読んでいたコラムの連載や漫画を読めなくなってしまうのはある意味では当然のことなのだ。麦もまた変化を強いる環境と社会からの圧力に耐えていたのである。結果、麦は人生の目標である絹との生活を現状維持する上で「 楽しむ 」ことができなくなってしまった。またあの場面、絹がボソッと付け足す「毎日テキーラ飲んでいたし」がまたいいのだ、絶妙にむかつく。
作中で特にときめきを感じたポイントをいくつか。まずひとつ、【 麦くんの絵、私好きだよ 】四連発の場面。二発目。三発目。四発目。しっかりと麦の心情になりきって撃ち抜かれた。
次に、引っ越した先で出会ったパン屋さん。この場面はとてつもなく良かった。個人的に老夫婦が営むパン屋さんが大好きで見かけると発作で入ってしまう程なのであの場面を観ながらこれまでに自分が出会ったパン屋さんを思い浮かべていた。常連になると少し焦げたパンを失敗したと言っておまけしてくれたりして。御成門駅近くのあのパン屋さん、近いうちに行こうかな。
ときめきとは異なるが個人的に好みだったのは、絹の両親がふたりが同居するマンションの部屋へ訪れる場面。まずお父さんがワンオクを勧めてくるのが良い、お母さんが社会へ出ることをお風呂に例えて[ 入る前は面倒だが、いざ入ってしまうと気持ちいい ]と話していたがこちらはあまり共感こそ出来なかったものの、[ いつでも出入りできるもの ]と例えるとするならばそれほど優しい社会はないだろう。
そして、Awesome City Club ( すっかりファンである ) とそのボーカルであるファミレスのお姉さんの存在。これがまた大きい。絹はお姉さんの飛躍を心から祝福しているように見えたが対照的に麦はACCが登場する場面では口数が少なくなり、嫉妬しているようにも見えた気がする。他人の成功を素直に喜ぶことが出来るかどうか、こちらもまた価値観のズレがあったのかもしれない。
私は作品から影響を大いに受けやすい性分である。上映終了後、劇場のチケットもぎり場から一歩進んだ瞬間から軽く一時間はきのこ帝国『 クロノスタシス 』を聴いていて、もしかして自分はこのまま一生この音楽だけを聴いているのではないか、と思った。この感想を綴っている現在はと言うとACC『 Lesson 』をループして耳が気持ちよくなっている、ちなみに帰り道に本屋に寄ってゴールデンカムイを3巻まで購入した。私の冒険はこれから始まるのだ。
うちに住んでいる猫と犬の話をさせて頂いて終わりとさせて頂く。それぞれ名前が、麦とバロン。
病気がちで子猫のときから体の大きさが成長していない三毛の名前が麦。( 黒猫であれば完璧であった )
二年前に老衰で亡くなったコリーを忘れられず、外見が似ているので新たにシェルティーを飼い始めたのが去年のことで名前はバロン。名前の由来はおそらく作中のふたりと同じである。
最後に、
社会性や協調性は才能の敵だ、と豪語した先輩へ
R.I.P