ネット友達を作ることの難しさ
今回は「ネット友達を作ることの難しさ」というテーマでお話していこうと思います。
正確に言うと、ネットで友達作りをするコミュニティを形成できるのかという内容です。
ゲーム配信でオンラインコミュニティを作る
私はTwitchというプラットフォームでオンラインコミュニティの形成を目的として配信活動をしています。
配信というと、多くの人に見てもらうことを目的として活動するイメージがありますが、私の場合は目的はそこにはなく、自分の配信を中心に人を集め、そこを起点として人と人のつながりが増えれば良いなと思って活動していました。
2020年5月に活動を開始し、コロナウイルスの問題が起きている中で、現実での交流が減っている状況を打開しようと始めた取り組みです。
ほぼ諦め状態
現在も配信活動自体はゆるく続けていますが、オンラインコミュニティを拡大していくことは、結果として今のアプローチからは諦めました。
正確には覚えていないですが、活動を開始してから2年ほど経過して、この取り組みは少なくともTwitchのプラットフォームでは実現できないと判断しています。
コミュニティを形成するためにやっていたこと
Twitchはゲームを中心とした配信プラットフォームですので、ゲームを軸とした配信をしていました。
方針として配信を一方的に視聴してもらうのではなく、みんなが同時にゲームに参加して一緒に遊べるような取り組みをしていました。
自分とリスナーだけではなく、リスナーとリスナーの交流が深まることで、つながりの中心になろうとしたのです。
例えば、マインクラフトのサーバーを作り、みんながいつでも交流できる場所を作ったり、Dead by Daylightというゲームでチームを組んで対戦に参加してもらったりなどです。
コミュニティ形成の難しさ
この取り組みは活動当初はうまく機能していたと思います。
自分の配信を中心に多くの人が仲良くなっていく状況を見て、とても嬉しくなったことを覚えていますし、そこから深い関係に発展していった人たちもいます。
しかし、途中から雲行きが怪しくなってきました。
理由は「コモンズの悲劇」という法則が該当すると考えています。
コモンズの悲劇
コモンズの悲劇とは、個々人が自分の短期的な利益のために共有資源を過剰に利用することで、長期的にはその資源が枯渇または破壊され、結果的に全体としての損失につながるという社会的ジレンマのことです。
わかりやすい例で言うと、漁業における乱獲があります。
海の資源は人類における共有資源です。
漁師はこの共有資源から、できるだけ多くの魚を捕まえることで収益を上げようとしますが、際限なく全員がこの行動をとると魚の個体数は急速に減少します。
漁師個人の観点からすると、多くの魚を捕まえることで個人の収入を増やすことにつながりますが、長期的には漁業資源が枯渇することにつながります。
これがいきすぎた場合に、魚類の個体数の回復が困難となり、最終的には漁業のコミュニティ自体が生計を立てられなくなります。
要は、後のことを考えずに魚を獲り続ける人がいると、魚がいなくなってしまいみんなが困るということです。
つまり、個々人が自分を優先することは、コミュニティ全体としては損失につながるということです。
オンラインコミュニティでの「コモンズの悲劇」
オンラインコミュニティに置き換えると、自分が楽しければ良い、自分の思惑や狙いさえ達成できれば良いという個々人の短期的な利益が、コミュニティ全体としては損失となっていくということです。
一例ですが、具体的には以下のような行動が挙げられます。
・不特定多数のメンバーにコミュニティ外での個人的な関係を求める
・コミュニティを村社会化しようとする(新規を受け入れない)
・思いやりがなく、傍若無人に振る舞う
もちろん、コミュニティリーダーとしてはみんなに楽しんでもらいたいという思いはありますし、個人の利益を優先する人もそうしているという自覚も悪意もないと思います。
コミュニティ全体のことを考えて動ける人は少数派です。主語は常に自分という人が多数を占めるので、このことを十分理解した上でオンラインコミュニティを作り始めるべきでした。
こうならないように、コミュニティリーダーがきちんとルールを明確にして管理するべきなのですが、自分の力不足で気がついた時には手遅れという状態でした。
改善の余地はあるのか?
冒頭で拡大は諦めたと言いましたが、正直まだ未練はあります。
幸いにも、まだ自分のコミュニティは機能していますし、多くに素敵な仲間に囲まれていて、その人たちと交流するのは楽しいです。
だったらもう良いじゃないかと、今いる人たちで楽しく過ごせばいいじゃないかと思う方もいるかもしれません。
しかし、その選択こそ自分自身が個人の利益を優先して、全体としての損失に繋がっていると捉えることもできます。
コモンズの悲劇を憂いている自分自身が自分を優先しようとしているわけです。
コモンズの悲劇は社会的な法則であり、自然発生的に起こる問題だとするならば、それが起きて諦めるというのは困難から逃げているだけな気もします。
例えば、気候変動問題における温室効果ガスの排出も地球の大気という共有資源における同様の事例です。
世界レベルでもこのような問題が発生してからルールを作っているわけですから、イチ個人の取り組みで、そこの改善に向けて動かず諦めるというのもおかしな話です。
最後に
この問題はまだ悩み中です。
このオンラインコミュニティの問題以外でもあらゆる組織で発生する問題ですし、ここで避けてもどこかで同じ課題と対峙することになるでしょう。
自分個人として、どこで立ち向かうかという話になります。
立て直すにしても、少なくともコミュニティを形成する新たなメンバーの母集団は変える必要があると思っています。
そして、その母集団を変える取り組みの一環として始めたのがこのブログでもあります。
わかりやすくいうと、ここまでこの記事を読んでくれている方は、コミュニティにいて欲しい人ということです。
コミュニティを優先するという視点に興味がなければ、この長い文章をここまで読み続けることはないです。
そういった素養をお持ちの方にコミュニティに参加してもらいたいなと考えたりもしています。
ブログで自分の考え方を発信することで、共感してもらえる人ともお近づきになれるかなと思ったのもブログを始めた理由の1つです。
私自身もまだ悩んでいる問題ですが、どんなコミュニティであれ全体の利益と個人の利益、誰かがこのバランスをとる動きをする必要があります。
コミュニティの利益を優先できる人は、一見損をしているようにも感じられますが、このような取り組みをしている人はGive&TaKeの考え方のいわゆるGiverに該当すると思います。
役割が人を作ると考えると、この問題に立ち向かうことはGiverとしての人格が形成され、人として成長できる機会ではないでしょうか。
自分だけでなく、本質的に周りを思いやれる余裕がある人は魅力的に見えます。
まだ答えは見出せていないですが、私自身も立ち向かっていきたいと考えています。
みなさんも「全体の利益」という観点で考え直してみるとまた違った景色が見えるかもしれません。