見出し画像

選ぶことは選ばないことでもある

今回は「選ぶことは選ばないことでもある」というテーマでお話していこうと思います。
最近の私の課題は「選択と集中」なので、まずは自戒も込めて、何かを選ぶということのリスクとコストを整理していきます。

選択できるものには限りがある

みなさんは、今自分が選んでいるものに自信を持てるでしょうか?
選んでいるものとは、仕事や人間関係、保有している物、時間の使い方などです。

自分の選択の結果が今の人生です。
言い換えるならば、今の自分に満足していますか?ということです。

選択するということは、言い換えるとそのコトやモノを得ると同時に他のものを選択しなかったことになります。

例えば、新しいiPhoneを購入したとします。
これは裏返すと、その他のスマートフォンの機種は購入しなかったということになります。

昼食にラーメンを食べたとします。
その場合はカレーやカツ丼は選ばなかったということです。

これは物理的なモノに関してだけではありません。
例えば、日曜日の朝から3時間ゲームをしたとします。
言い換えると、その3時間でできた他のことはしなかったということです。
筋トレや読書、勉強もできたはずですが、しなかったということです。

人間関係もそうです。
ある人と2時間食事をしたとします。
その時間と発生したお金は他の人には使わなかったということになります。

5年間エンジニアとして勤めたのであれば、それ以外の職種は選ばなかったということになります。

このように、世の中に時間や物理的制約がある以上は、何かを選択するということは、何かを選ばなかったということになります。

「選ばない」という選択

ここまで選ぶことで他の選択肢を失うというニュアンスでお話してきましたが、選ばなければ、それはそれで何も得られないのです。
選ばないというのは、決断ができず決定を先送りにするためだと思います。
つまり可能性を残しておきたいのです。

例えば、就職活動のタイミングで就職先を選ばなかったとします。
これなら何も選んでいないので、全ての可能性を残したように感じます。
でも実際は違います。
これは無職を選択したということです。
時間を止められるのであれば、選ばないことで他の選択肢も残せたということになるでしょう。
でも現実は寿命という時間的制約がある以上、1年無職であれば仕事をする機会を1年失っているだけです。
立ち止まったのはその人だけで、世の中は進み続けています。
選択しないことで可能性を残すということは、時間的制約によってできないのです。

つまり選ばないということも、またリスクということです。
選ばないことは、選ぶことで他の選択肢をなくす以上に得るものがないということです。

常に決断して前に進み続けないといけないのです。

〇〇しか勝たんは諸刃の剣

私はTwitchというゲーム配信がメインのプラットフォームで配信活動をしています。
そこで「〇〇しか勝たん」という表現を知りました。
これは自分の好きなものをより強調する表現として使われる言葉です。
「ひよこしか勝たん」となれば、ひよこだけは特別であり、そのくらい好意を持っているという意味になります。

この「〇〇しか勝たん」という言葉は諸刃の剣です。
◯◯しか勝たんと言えば、これは言い換えると他の人は選ばなかったという意思表示になります。

「推し」という言葉もそうです。
特定の人を推していると主張すれば、それは他の人は推していないと意思表示をすることになります。

自分の好きな人を意思表示することが悪いと言っているのではありません。
本当にその覚悟があるのかということです。
推しだ!勝たん!と言えば言うほど、それ以外の人たちは選ばなかったと主張していることにもなります。
「自分にとっては、推しとみんなには大きな差がある!」と声高々に宣言しているのと同意です。
そして、一度主張したという印象は簡単には消えません。

あなたが今一番必要としている人は、その推しや勝たんの人の存在なのでしょうか?
自分の本心に向き合った時にそうだ!と自信を持って言えるのであれば良いです。
でも、もし違うのだとしたら、その主張は本当に望む人を遠ざける言動ということになります。
何かを選ぶということは、他は選ばなかったということだからです。

「推しは別」という意見をよく聞きますが、時間には制限があります。
時間は全ての分野において共通の資源です。
仕事に多くの時間を使えば、その分趣味の時間は減るのと同じように、
推しに時間を使えば、その分他の人には時間を使えないということです。

推しは別と自分では思っていても、時間的制約は受けています。
そして周りからの印象も変わってきます。
もちろん、主張することで得られる人間関係もあるでしょう。
共通の推しを通じて仲良くなった人がいるかもしれません。

それはそれで良いことです。
ここで言いたいことは、本当にそれが最優先事項なのかということです。

推しがいることが悪いと言っているのではありません。
「推しだ!」と主張することの影響を改めて考えてみてください。
そのメリットは何でしょう。
それは最優先事項なのでしょうか。

よく考えればデメリットも見えてくるはずです。

全てを選択することもできない

「推しは何人いても良い」という言葉も知りました。
これも諸刃の剣です。
選ぶものを増やすということは、1つあたりの配分は減ると言うことです。
5人の推しを全員100%で推していくことはできません。
かけられる時間や物理的制約はその人の24時間365日の100%を超えることはできません。
リソースは5等分されます。
5人同時にライブ配信を開始したらどうしますか?
モニターを増やせば良いという話ではないのです。

気持ちとしてもそうです。
自分だけを推しているという人と、自分以外にも他に4人推している人がいるとなったら受け止める側の印象は違うはずです。
受け止める思いは軽くなります。

本当に好きという思いを最大限伝えたいのであれば、1人に絞った方がいいのです。

「思い」は向かう先が増えれば増えるほど「軽く」なるのです。

望みが叶わない理由

望みが叶わない理由は、自分が望んでいないものを選択しているからです。
望んでいないものを選択することは、本当に欲しいものを選択しなかったということだからです。

毎日の時間の使い方は本当に望んだものですか?
今の仕事は本当にやりたいことですか?
今の人間関係は自分の理想とする関係ですか?

本当は自分磨きをするべきなのに、目先の人間関係に流されていたり、
自分にとって優先度の低い人にいつまでも時間をかけていたり、
みんながそうだからと、本来やるべきことを先送りにしていたり、

自分の選択が本当に正しいものなのか、常に自問自答するべきです。
間違っていてもいいのです。
それを認識して、軌道修正し続けることが大切です。

自分が成長して価値観が変われば、正しい選択だって変わるはずです。

自分がどうしたいのかを明確にする

望まない選択をしないためには、まず自分がどうしたいのかを本音ベースで明確にしましょう。

もともと意図して望まない選択をしているわけではないと思います。
なんとなく過ごしているうちに、気づいたらそうなってしまったというパターンが多いのでしょう。
自分でもよくあることなので気持ちわかります。

これの原因は、そもそも自分が何を望んでいるのかをちゃんと認識できていないということです。
そして、結果として最優先するべきものを見失い、なんとなく目先の選択肢を選んでしまう。

そうならないためにも自分自身の心の中だけでも構わないので、本当はどうしたいのかをまずは自問自答してみる。
スマホのメモや紙に書き出してみて整理すると良いです。
そして、改めてなりたい自分をイメージすることで、自然と正しい選択をできるようになってくると思います。

ミニマリズムで大事なものを明確にする

大事なものを明確にする方法として「ミニマリズム」がオススメです。
ミニマリズムとは、できるだけ保有するモノを減らし、シンプルな生活を送ることです。
そして、このミニマリズムを体現する人たちのことをミニマリストと呼びます。

ミニマリストを最もイメージしやすいのは住んでいる部屋です。
以下の画像は、AIに生成してもらったミニマリストの部屋です。

生成AI(DALL-E)による生成

ホテルや別荘のような部屋ですね。
必要最低限のモノしか置いていないです。

この部屋のように必要最低限を目指すことがミニマリストです。

これは部屋をキレイにしようという話ではありません。
自分の生活の全てを、この部屋のように必要最低限にし、シンプルにしていくのが効果的ですよということです。

本当に大切なものを見分ける方法

ミニマリストになったつもりで、1回全部捨ててみてください。
それこそ転生するつもりで捨ててみましょう。
これはモノだけでなく、自分の習慣や人間関係も含みます。

その時、どうしてもこれは捨てられないというものが出てきます。
それがあなたにとって本当に必要なものです。

全部捨てる気持ちで、捨てられないものを理解にする。
捨てられないものが明確になったら、それだけを残す。
こうすることで、自分にとって必要なものを明確にすることができます。

モノに関しては1年触っていないものは基本的にいらないモノです。
なんとなくやっている習慣も思い切ってやめてみましょう。
足を引っ張られる人間関係も不要です。
どんどん捨てましょう。

そして、捨てた分だけ余白が生まれたはずです。
その余白に改めて何を入れたいかということです。

そもそもモノは保有することでコストが発生します。
2LDKに住んでいても1部屋物置になっていれば、それは1LDKです。
モノの置き場所に家賃を払っています。
広い部屋を選んでも、モノにスペースを取られていたら意味ないのです。

人間関係もその人に本当に時間と労力を割くべきか見直した方が良いです。
特に時間は人生における貴重な資源です。

何にしてもコストが発生しているという感覚はとても大切です。

人間関係はゆるく継続で良い

ただし、私は人間関係は明確に断ち切る必要はないと考えています。
連絡先を消したり、SNSのフォロー整理してみたり、この人たちがいればいい(その他のみなさんはいらないと同意)と全方位に意思表示をする必要はありません。
出会いの可能性を狭めてしまうからです。

人間関係はその人のライフステージや心境の変化によって、合う合わないが変わりやすいです。
例えば、ハマっている趣味が変われば話が合う人も変わるでしょうし、転職で業界や職種が変われば、気が合う人も変わるでしょう。
親になれば親同士で会話が弾むでしょうし、そもそも引っ越して住む場所が変われば、物理的に仲良くする人は変わらざるを得ません。

現時点で必要以上に制御できないコミュニケーションコストがかかっていたり、自分の負担になっている場合は断ち切った方がいいですが、時間やエネルギーを取られなければ、そのままでも問題はありません。
連絡を取らなかったり、一時的にミュートするなり、見えないようにしてしまえば良いだけです。

選択肢を増やすためには

目指す先を明確にして選択をし続けても、報われるとは限らないという意見もあると思います。
だから選択肢が歪むというのもわかります。

それはその通りです。
この世はあらゆる資源が共有されている以上、それらを全員に最適化することはできません。
わかりやすく言えば、全員がお金持ちになることはできないし、全員が人気者になることもできないし、全員が望んだ通りの人生を送ることはできません。

これについての解は努力して自分が成長するしかないと考えています。
・いつまでも健康でいたい
・尊敬される人になりたい
・親友が欲しい
・やりがいのある仕事をしたい
・給料を増やしたい
・好きな人と結ばれたい

人によって欲しいものはいろいろあると思います。
いずれも、そのための努力を選択しないと得られません。

みんな平等であるべきというのはベースの話です。
生き方による差を否定することは、努力を否定することになります。
ただ待っているだけで、望むものは降ってきません。
幸運の女神は努力している人に微笑みます。

努力できる人は少数派です。
そして、この記事を読んでいる人はその努力ができる人だと思います。
努力しない人はこういった記事にそもそも興味を持ちません。
読んだとしても「勝たん!」のあたりでもう閉じてます。

今もいろいろ努力されていると思いますが、それが本当に最適化されているかは見直してみた方がいいです。
自分の成長に合わせて見直す必要があるからです。
私は定期的に見直すようにしていますが、自分の状況に合わせて、結構変えた方が良いと実感することが結構あるので、やってみることをオススメします。

キレイごと抜きにこの世は競争です。
できるだけ早く走る必要があります。
その時に不要なものを背負っている余裕はありません。
必要なモノ以外捨てましょう。

私もついつい背負いがちなので人のことを言えないのですが、
最近考えていることをまとめてみました。

身軽になって、思い切り走り出してみてはいかがでしょうか。
より早く走れた先に新しい発見があると思います。

いいなと思ったら応援しよう!