これまでのこと・6(大変な時期~辞めるまで)
正直、この時期のことを思い出していたら気分が悪くなってきてしまったので簡単にまとめたいと思います。
前回までのチームでは本当に恵まれていて、いろいろ教えてもらえて私の社会人として、あるいはシステム業としての基本はここで作ってもらった。そこに暗雲がかかったのはリーマンショックでそれまで従事していたプロジェクトがぽしゃった。某企業の某事業所2フロア分のそれまでの資料のお片付け。フロッピーディスクを何枚破壊したことか。
そこそこ人数が増えていたメンバーはほとんどが散り散りに。本社に戻っても仕事がなく、居心地悪すぎて辞める人も続出。私は残された。理由はTOEICで一応600点台だったから。ドイツにまだ残っている試験機の障害対応で、英語メールのやりとりができる程度の英語力があったから。ドイツ人と日本人が英語でメールをやり取りする日々。英語って世界の公用語なんだなと思った。
その後、同じ会社の別のプロジェクトに配属。上司から「Perlとサーバについて勉強しといて」とかるーく言われた。SSHすら知らない状態からべそかきながら勉強したが、それよりも大変だったのはチームメンバーだった…。
システム業界で働いていて思うのは、圧倒的にコミュニケーションに問題のある人がたまにいること。それで仕事ができればまあ許される(場合もある)けど、そうじゃない人もいる。ディスリじゃなく事実として。
この時のチームメンバーがまさにそうだった。片方はプログラムのプロ、もう一人は同期の男性。なぜか私がチームリーダー。一番の仕事はもしかしたら日本語と日本語(SE)の通訳だったかもしれない。
言葉が通じない。スタンドプレーばかり。出向先の社員と喧嘩。
最終的に病んだ。二か月ほど休職。
復職して、同期の代わりに話の通じる後輩が来てくれてどれほど嬉しかったか。後輩が結婚してなければ恋に落ちたかもしれない。
なんとかかんとか仕事をしていく。HP-UXを立てて、Solarisを立てて、Redhatを立てて、Windowsサーバを立てて。
ネットワークの知識もサーバの知識もないところからよくもまあやったものだ。途中からプログラムとサーバ構築から、構築済みシステムの試験になって、そこでまた言葉の通じる先輩と通じない先輩が増えた。
…だからなんで私をリーダーにするの!? やめて!??
先輩がいるのに自分がリーダーなプレッシャー、すごい。まあ、正直に話が一番通じる人材だったということだったんだろうな…通訳者として。。。
そして、詳細はあまり覚えてないけれど限界を迎えた。非常階段で上司に辞めさせてくれと電話した。
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