これまでのこと・4(就活)
就活にあたって、正直に当時は自分が働くビジョンというのは全然できていなかった。
うちは母親が結構いいとこのお嬢さん(父親いわくジョンジョン)で、生まれつき心臓が悪く働いたことがなかった。バイトは親戚の紹介でしていたそうだけど。一方の父親は、高校で父親(私の祖父)を、大学で母親(私の祖母)を亡くし、わりと苦労してきた。ちなみに、私は父親ほど仕事ができる人にあったことがない。
そんな父親の厳命が「就活するなら正社員として就職すること」
うちは基本的に父親の言うことはゼッターイだったので、これはもう仕方ない。とにかく、出遅れながらも就活を始めた。ちなみに親は、大学院に行くかと思っていたらしい。ごめんなさい、論文書くの苦手だったんだ。。。
今はどうだか知らないけど、当時私の通っていた大学は学生の就活サポートがものすごく薄かった。説明会と、相談しにいったらちょっと話を聞いてくれるくらい。自分でなんとかしろ感がすごかった。最近の大学の生き残り戦略的な就活サポートと比べたら雲泥の差。ついでにいうと、女子大だったのもあるだろうけど、進路調査の選択肢に『家事手伝い』が存在した。今もあるかは知らない。
閑話休題。
何をしたいかわからないまま、本が好きだから書店を受けてみたり、保険やら証券やら受けてみたり。本当は事務がよかったけれど、私の探し方が悪かったのか、正社員で事務というのはみつからなかった。ので、興味のあるところをいろいろ受けた。でも全然面接から先に進めない。自分が人見知りなのは自覚していたけど、ここまで面接が苦手だとは思わなかった。そんな中で、『文系でも歓迎します!』というIT企業がちらほらとあることに気づいた。前述の通り、自由選択でも情報処理科目を取り続けていた身としては、「これはありかも!?」と思って早速応募を始めた。こちらもなかなか面接が通らない。その繰り返しの結果、ようやく一社、内定をもらうことができた。その頃には就活にも疲れ果てていて、「ようやく就活終われる…」とそこに飛びついた。
なお、SEだった叔父には「なんでそんな大変な仕事を…」と苦い顔をされた。だってそこしか受からなかったんだもん。
その言葉の正確な意味を知るのは就職してから。ようこそ地獄へ。
ちなみに、のちの職場からは「C言語勉強しといてね」と本を一冊貸し出された。その本を読んで、パソコンにCのコンパイラをインストールして独学で試すのが、私の入社前研修だった。
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