寄り添ってあげたかった。
皆さんこんにちは!
毎日がスーパーミラクルウルトラベリーハッピーなぴよりんです🐤
最近、寒暖差が激しいですね。
風邪も流行ってきているみたいなので、お気をつけてくださいね。
今日は、私のイトコについてお話したいと思います。
私のイトコは中学生の頃に亡くなっています。
私の2歳年下でした。
母の妹の子供(イトコ)は兄妹でした。
今でも妹のほうは地元に居るみたいですが、もう全く連絡も会ってもいません。
母の妹(叔母)がDVにより離婚。
しかし、親権は父方にいってしまいました。
イトコは二人とも父方の実家で暮らしていたそうです。
しかし、実家のほうでも実父からの暴力、暴言。
私は当時小学生でした。
詳しく知ったのは、高校二年生の時。
ふと、パッと頭をよぎって母に聞いたのです。
「ねぇ、最近〇〇(イトコの名前)って元気しているのかなぁ?」
しばらく沈黙が続きました。
なにか聞いてはいけなかったのかな、と空気の重さで感じ取りました。
「実はね。言えなかったんだけど。自殺したの」
頭が真っ白になりました。
様々な疑問が駆け巡り、母を責め立てるように乱暴に聞きました。
「どうして教えてくれなかったのか」
「いつ亡くなったのか」
「なんで亡くなったのか」
母も、イトコの死をしったのは新聞のお悔み欄をみたからと聞きました。
祖母と、母でお墓参りにも行ったそうです。
私だけ、何も知らされていなかった。
兄は知っていたそうです。
私に、言わなかった理由。
精神が不安定になるだろうから。
だけでした。
それだけの理由で私は、イトコに最後のお別れも。
何もすることも。
寄り添ってあげることも。。
話を聞いてあげることも。
なにも。
なにも。
なにもできなかった。
当時高校生の私にとって、イトコの死というのはとても大きかった。
はじめての身内の死を実感した。
もう絶対、会うことはない。
会えなくなってしまった。
遠すぎる場所にいってしまった彼に。
少しだけでも、力になりたかったと今でも後悔している。
きっと、怖かっただろう。
中学生という小さな、まだまだ未熟な年齢で。
自らを殺めるということは。
本当に最後の手段だったんだろう。
誰にも話せない、苦悩や悩みがあって。
彼が最後に下した判断がそれだった。
私は、彼のぶんまで生きなければならない、と思った。
今は、気持ちがつらくなった時にかける
いのちの電話
というものがある。
時々、私も電話するときがあり、様々話を聞いてもらっている。
無料の電話サービス。
名前も顔も知らない人たちに、私は何度も何度も救われた。
守りたい人がいる。
命にかえても守らなければいけない人がいる。
そうは思っていても、人間の心はもろいもので負の感情に包まれてしまうときがある。
そんなとき、今はツイッターやLINE、様々なSNSがある。
自ら、発信してください。
辛い、ネガティブな気持ちでもいい。
発信するということで気持ちが和らぐこともある。
あと、夜に考え事はしない。
これはとても大切。
夜はどうしてもマイナスな考え陥りやすい。
私の経験上。
大切な判断をするとき、夜に決めるのは辞める。
皆さんも、自分を大切に。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
ぴよりんでした^^