目に見えることだけが「愛情」ではない
ぴよ🐥です!今日もありがとうございます(^_^)
会社の3年目の社員で、休む時に必ず母親から電話がかかってくる人がいます。それを友達と話していた時に、医学部の大学受験でも親がついてくる学生たくさんいるよ!という話題になりました。(友達は医学部の講師をしています) それが良い悪いとかではなくね。
前者については、うらやましいなんて気持ちは一切ありませんが…後者については正直うらやましいなぁと思ったのです。受験で不安な時に、親がついてきてくれるなんて大切にされてるなぁーと。きっと私の両親なら「一人で行ってきなさい!」と突き放されるからね。そんなことを思っていた時に、ふと気づいたのです。
「目に見える形だけが愛情ではない」ないのかも?と。確かに不安な時に、一緒にいてあげることはある一種の愛情かもしれません。でも、だからといって自分の両親が私を大切にしていないと言えるのだろうか?と冷静に考えてみたのです。
結果、彼らは一緒にいてあげるという目に見える形以上の愛情を私に与えてくれたいたんだと気づいたのです。どういうことかと言うと、「一人で行ってきなさい」と突き放す方がよっぽど彼らにとっても辛いはずなんですよ。だって、子供の不安な姿を目の当たりにして、それを知っていながら一緒に行かないって「忍耐」や「強さ」が彼らにも求められる。両親も不安で仕方なかったはずです。彼らの中にある不安に負けて、「一緒についていく」という選択もできたはず。でも、それをしないでいてくれた。
さらに、突き放すとはある意味、私のことを信頼してくれていた証拠だったんだなぁーと。「ぴよならできる!」と彼らの中に、そんな気持ちがあったから突き放してくれたのではないのかなあ?もう、それは私にとって最高の愛情です。自分のことを信頼して見守っててくれることが、どれだけ愛情で溢れていることか。
見える形で自分に手を差し伸べることだけが愛情ではなないのです。時に、ぐっとこらえて相手を信頼することも愛情の一つなのですよ。それは理解されないこともあるかもしれない、誤解されるかもしれない。それでも、あえて手を差し伸べないと選択をしてくれた両親に感謝しかないです。