「周りの人によって」私は生かされてる

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今日は最近の自分について反省したいと思ったことがあるので、それについて書きます。

毎日、テレビがない代わりにポッドキャストを聞きながらご飯を食べているんです。昨日もそれを聞いて、ご飯を食べていたんですが、途中から猛省したんです。
ポッドキャストの内容は、「自分を大切にすること」と「自分は大切にされる存在と思うこと」の違いです。どんなポッドキャストを聞いてるのかって思われそうですが、恋愛系です(笑)
自分自身が「自分を大切に扱うこと」と、自分は周りから「大切に扱われる存在だと思うこと」は大きな違いがあると。後者は、自分のエゴでしかないと。周りの人がいて初めて「自分」という存在が成り立つのに、「自分は特別な存在」とか思う時点で、そのことを忘れてはいないですか?と。

そう、最近の私は後者の意識が強くなっていて、傲慢な人間になっているなぁと思ったんです。これ、ずいぶん前に母親に言われていたことと同じだと気づきました。数年前に、母親に「私は大切にされてない」という想いをぶつけたことがあります。そしたら、「自分は大切にされる存在とか傲慢すぎるんだよ」「大切にされてないようなこと言ってるけど、これ以上大切にされたいの?」と。その時は、ムカつくと思ってました。

でも、その意味が分かった気がします。「自分は大切にされる存在」とか自己中でしかないですよね。大切にされるとかされないとかの前に、私が生きられるのは「周りの人がいるから」なんですよ。そのことを忘れるんじゃないよ!!と自分に言ってあげたいと思います。周りの人の手を借りずになんて生きられない。ご飯が食べれのも、会社に雇って頂いているからお金がもらえるし、そのお金で食べ物を買えるんですよ。食べ物を買えるのは、お野菜などを育ててくれてる人、運んでくれた人、売ってくれた人がいるからこそなんです。自分一人で生きてるような感覚になって、「自分は大切にされる存在」なんておこがましすぎるわ。「自分一人で生きてるような顔するな!」と母親に言われていたこともありました。

「自分」という人間を知れるのは、「周りの人」がいるからこそ。「自分」は「周りの人」との関係性の中でしか生きられない。言い換えると、私は「周りの人」に生かされてるとも言えますよね。そう考えたら、感謝の気持ちしか湧かないですよね。こうやって、反省しようと思えるきっかけがあるのも、周りの人のおかげ。お局おはばが嫌だなぁと思うのは、周りの人によって自分の望みを知るきっかけになる。いつだって、周りの人から何かを頂いているんだと思います。このことは、やっぱり人生において忘れちゃいけないなぁと思うのです。だから、反省としてここに記しておこうと思います( *・ω・)ノ

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