
からほりまちアートepisode7
誰が始めたのか、、からほりまちアートの作品やイベント風景をまとめた「記録集」の発行。
「記録集なんて最初に始めた人がいるから続けなければならなくなったんや」とは、とある人からのコメント。
あくまでも「記録集」
写真集ではなく、あくまでも記録集なので、少々の写真の粗さなどは目をつぶってくださいという感じのニュアンスである。それでも初回の記録集は、作品集って書いているし、装丁もお金かかっているし、手作業でナンバリングしたり、と結構凝っている。
なんでもそうだけど、継続されると「最初に作ったもの」が基準になる。
なので、サイズはB6で本文はモノクロを踏襲しながら10回目まで発行してきた。
関わりは第5回の記録集から
私が最初に携わった記録集は、第5回の記録集…しかし、第5回からほりまちアートには行ってない…
きっかけは実行委員長からの「illustrator使える?」だった。
実際に「少しなら使えます」と言ったところ、なぜか抜擢される。
場所の交渉とか、平日はあまり動けないのでこういった内職で役立てるなら、まあいいか、というぐらいの気持ちで。
当時のイラレは、CSが出る前なので、あんまり親切機能がない(玄人さんからすれば“おせっかい”機能)
高校時代にマンガ描いてたおかげで、トンボとか冊子の体裁とか、その辺は理解していたので、まだよかったと思う…それも知らんと全くのド素人だったら多分できなかったと思う…。
写真がない!!!
当時(2006年)は、当然だが、スマホ時代ではないので、連絡手段もメールだし、人によったら添付ファイル容量もそれほど多くなかった頃。
CD-Rか何かで預かった写真データは作家ごとにフォルダ分けがされていた。しかし、手元にあるマップを何回見ても、その作家さんのフォルダだけが存在しない。ある作家さんの展示写真だけが見つからないのである。
しかも第5回は、関わっていないからどんな作品なのか記憶にもない。
実行委員長や他のメンバーに助けを求めても、やはり「写真がない」
結局、作家さんご本人に連絡して、聞いてみて、という流れになった。たまたま、その作家さんは詩人で、記録集に関わりたい。何なら詩を載せたい、とお会いすることになった。
ただの「記録」だけではなく「読み物」にしたい
実行委員長は、初回から当時まで4冊の記録集に関わってきただけに、ただ単にイベントの当日写真だけが載っているだけの記録集ではなく、読み物としても成り立たせたいという思いがあったそう。
-詩を載せたい
しかし、その一言が私を翻弄させることになる。。。
作家さんから届くはずの「詩」を待つ日々…しかし、一向に連絡がなく、入稿ができない。前年度の記録集は少なくともその次の年のイベント当日に販売したい。(前年に出展した作家さんが買ってくれたりする)となると、締め切りが自ずと決まってくる。
その後、詩ではなく空堀にまつわる文章と写真が届き、第6回に販売する第5回の記録集ではなく、次の年発行された第6回記録集に掲載することになる。
元々、巻末の言葉に代えて、色々なメンバーが空堀やからほりまちアートへの思いをつづった文章は掲載してきた。こういった作家さんの文章は初めてだったのでそれはそれでよかったのかな。。。
ちなみに、第7回の記録集には私が書いた文章になった。その記録集を親が読んで「○○って字が間違っていたよ」(文字校正かよ)と言われる。あ、そう。
表紙のデザインにこだわって
表紙もからほりまちアートの“ロゴ”をドーン!じゃない、何か工夫したものにしてほしいというリクエスト。
悩んだ結果、以前とある長屋の窓から見た空堀の長屋の屋根の風景をイメージして描いた。当時は、ロクにillustratorを使えないからこれが限界。
反省から:記録写真は必要だ
当日は記録係のスタッフを決めた。それでも例えば2日間あるイベントのうち1日しか展示していなかったので、写真撮っていなかったとか普通にあった…全員のMLで写真を!!!と呼びかけたりして、それが一番苦労したなーやっぱり常設ではなくて2日間だけ、しかもまち中にちらばっている…。
記録係は配置しつつ、運営スタッフは担当エリアや自分の担当作家さんの作品風景を撮影するように呼びかけるなど、とにかく1作家1枚必ずあるようにというように注意深くなってきた。
展示作品ばかりに気を取られてイベント写真が撮れていない年もあったし、本当に毎年完璧に揃った!ということは一度もなかったな~
原稿づくりは1人ではなく、他のメンバーも
その次の年からは、記録集の原稿をまるっと作るということはなくなった。特に表紙のデザインは、紙選びも含めてデザインを生業にしている人やデザイナー志望の人に作ってもらうようにした。人が変わると選ぶ紙もデザインも違って面白い。
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