
空堀episode8
私が空堀で長く関わっていたのはここでの出会いと繋がりがあったことも大きいことを改めて感じた次第。
出会いと再会
大学のゼミ旅行でタイへ。
みんな成人したかしてないかくらいの年頃で、ほぼ全員が初めての海外で、大袈裟ではというくらいの大荷物。
そんな私たちの前に空港の待ち合わせ場所わに現れたのが背中に小さなヒップバッグを携えた建築士Uさん。海外ってそんな気楽なもんなんや!というカルチャーショック。とはいえ、タイでは色々とお世話になったお姉さん。またお会いすることはないかなと思っていたが、ゼミ生の数名が空堀の卒論のフィールドにすることになりそうだ、という時に参加した“からほりまちアート”で再会。そして、あれよこれよと縁が続くことになるー。
カッコ良い建物
そんなUさんが、空堀の安堂寺にある眼科だった長屋を事務所兼住まいとして引っ越された。(安堂寺について詳しくは安堂寺界隈ご近所プロジェクトの記事にて)
Uさんが海外で半年ほど暮らしていた時に色々な人とシェアして暮らしていたのでここでもやりたい、部屋を区切り、シェアハウス的活動(Piso研)をされていたことも。

その時に押入れも部屋にしていて、ここの押入れベッドで泊まらせてもらったこと数回。(窓がなくて朝になったからわからない)

海外に行けば、スライド報告会を兼ねた宴会とカレー対決辛いもん研など。勤めていた設計事務所との関係もあり、一緒に海外に行ったり、後輩誘ってスライド報告会に参加したり。何度となくお邪魔させてもらった。

そんなUさんをはじめ、この場所で出会った方々と共にからほりまちアートの運営に関わることになる。

色濃い安堂寺祭り
からほりまちアートで数年の関わっている間に、安堂寺祭りがはじまる。からほりまちアートを運営している頃はあまり関わっていなかったけど、2011年以降は安堂寺祭りの運営にも関わるように。
詳しいことはこちらにて
アート好きやまち好きの人が多く関わるからほりまちアートとは違い、安堂寺祭りには、長く地域に暮らし、地元の地縁組織に関わる人やその界隈に勤めている人も関わっていて「まちのローカル感」を味わうことができた。

そんなUさんの事務所はお祭り打ち合わせや準備に、打ち上げにと大活躍。後半になると関わるスタッフが増え、近隣の店舗や会社が場所を使わせてくれることになるなどの変化もあった。

安堂寺の風景が変わる
安堂寺祭りのあと、コロナ禍になった。
そして、お祭り会場だった会社の移転や長く空き家だった古家が解体され、マンションになった。ならびの長屋は解体されコンビニに建て替わった。など、とさらに少しずつ風景が変わっている。

そんな中、Uさんが長らく借りていた長屋も2024年末を持って退去の日がやってきた。最後のスライド報告会。

そして、引っ越し直前には、21年間という時を振り返るイベントが催された。




地元の人もきっと100年近く前からずっとあって、これからもあると思っていたかもしれない。そんなこの古い長屋という建物が、次の住み手・使い手が変わるのではなく、建物としても失われてしまう(と思われる)ということは、時代の変化とすればそうかもしれない。しかし、地価の高騰する大阪市のど真ん中でこの建物を賃貸建物として維持しづつけることが難しいという現状もあると想像する。
かつては、まちのメインストリートとして賑わっていた内安堂寺通が、徐々にマンションとオフィスビルが中心の場所に変わって行く変化を見届けていくしかないのかな〜。
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