短編小説 「蒼と、雲」
不規則な足音が響く。
隙間からのぞく蒼は 軽々しい雲に飲み込まれていくようで、いつもの、好きなそれとはちがって見えた。
肺に入る空気。ひや、として、わざとらしい空気。カランカランなんて鳴っているのは 実は僕の心臓の音なのかもしれない。
ビル街は、いつも通り午後の香りに侵食され、輝くひかりに吸いとられていく。
PM3:21。
僕は今日、パフェを食べることができなかった。
「それでは、最新のニュースをお伝えします」
寝ぼけた頭に 容赦なしに飛び込んでくる 、“世界たち”は、いつも通り騒がしい。
僕の視線はそのちょっと手前にある、トーストだ。“世界たち”の音をかき消すくらい勢いよくかぶりつく僕。
今日も至って普通の、綺麗な歯型がつく。
「…昨夜、東京都練馬区の住宅街で火災がありました。プレハブ小屋が燃えている、と近くの住民から通報があり、その後消し止められました。けが人はいなかったということです。警察は出火の原因について…」
小屋、どんな小屋だったのだろうか。僕が昔、あいつと遊んでいたみたいな、ああいう小屋なのだろうか。
必死でがらくたを集めて、それを敷き詰めて、夕方になると風と陽が舞いおりてくるような。
ザク。
また調節を知らないトーストの音がして、僕はまた戻る。
「続いてはスポーツです!荒井さん!」
やっぱり“世界たち”は騒がしい。
僕は空が好きだ。写真が好きだ。半熟のゆで卵が好きだ。古本屋で立ち読みする空気が好きだ。あいつの字が好きだ。レモンが好きだ。
こうして授業中、窓枠にかかる影が動くのを眺めるのも、好きだ。
教授とは反対方向に目をやることくらい、“世界たち”にとってはどうでもいいことなんだろう。ささぁ、と呟きながら小さな影たちは形をかえる。
揺れる木の葉は前よりずいぶんと大きくなっていて、でもそれに気づいているのはきっと僕くらいだ。
次の授業が終わったら、今日はもうフリーだ。バイトも丁度休みだし、あそこへ行こう、きっとそんなことを知っているのも 僕くらいだろう。
ガタガタ、と地響きがして目の前が暗闇であることに気づく。
だんだんと広がる視界の中で、近づいてくる大きな影が窓の光を塞ぐ。
「佑絃、おまえ寝てただろ、レポート今日提出しろだってよ」
やはり“世界たち”にとってはどうでもいいだろうど。
今僕はひどく目が冴えまくっている。
陸橋を渡って、立ち止まって。
カチリとシャッターをきりながら歩く。
ぴょこぴょこ頭をだす建物たちと、車の音。見慣れた風景が動いていく。
僕には、ちょっとした楽しみがあって、お気に入りの喫茶店でパフェをたべる、というものなのだが、ちょっとしたというよりも もしかしたら盛大な、なのかもしれないと僕を感じて僕は思う。
なにせこんなにもに自分で引くほどに、目に見えてるんるんしているのだから。
四角く切りとる風景は光に満ちて、都内と思えぬほどに 生き生きして見えた。レポートはなんとか書き終わり、ほっと胸を撫で下ろした矢先、教授が見つからず校内を3周ほど走り回った謎の達成感が高まらせているとも思えた。
今日もあの緑のソファの席、空いているだろうか。新聞を虫眼鏡で読むおじいさんはいるだろうか。パフェが今日はもうない、なんてことはないだろうか。
ごおぉ、という街の音に紛れて1人、歩く。
かちり。かちり。
ごおお。
歩く。
「蒼と、空」
前編
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