【再現性最強】思春期の3年間「無口」だった自分が試したコミュニケーション上達法3選!?
お疲れ様です。
英知 契(えいち けい)です。
とうとうnoteデビューから1ヶ月が過ぎてしまいました。
1ヶ月記念という訳でもありませんが、私個人の昔話をしつつ、実践的な記事を書いてみます。
実は、私は中学時代まで事情あって無口でした。
これだと若干言い訳がましく聞こえるので、よりストレートに表現するとコミュニケーションが大の苦手でした。
当時の私は、中学校を「タダで通える予備校」だと考えていて、言葉を発するとすればホームルームの「おはようございます」「さようなら」くらい。両親も忙しく、一人っ子だったので家に帰っても基本1人で読書やゲームに明け暮れる日々。
そして、「地元から逃げたい」というただ一点の思いを胸に抱いて猛勉強し、その結果偏差値70以上の県外の私立高校に合格し、入学。
そして人生のターニングポイントの1つである寮生活が始まったわけですが、それは試練の日々が始まることを意味していました…
入寮して早々、ある事に気づいた英知契。
…あれ、友達ってどう作るんだったけ?
北海道から沖縄、果てはアメリカまで世界各地から集った周囲の同い年の寮生を見回してみると、コミュニケーションが、まあ上手いこと上手いこと。次々とコミュニティが形成されていきます。
それもそのはず、僕以外の周りの全員は、中学時代まで文武両道。勉強も学年ランク上位をキープし続け、尚且つ部活の部長や生徒会長を兼任したりと、ドラえもんに出てくる出木杉くんの上位互換か!とツッコミを入れたくなるほど、それぞれの地元で「神童」と呼ばれていたメンバーの集まりでした。
一方、中学時代まで無口だった私は、唯一の取り柄である「勉強」すら一般入試にギリギリ合格したラインでした。
地元を離れ、入学したばかりの当時の私も自分なりにベストを尽くしますが、周りからの反応はというと…
「あんたの話し方おかしいよ」「なんかズレてる」「リアクションが遅い」「日本語理解している?」
…あ、これアカンやつや。(何がアカンのかはさておき…)
そして、寮内のスクールカーストも徐々に固まった入寮2~3ヶ月頃には、
変人・怪人枠のいじられキャラが定着していました。てか、ほぼイジメ。
このままでは、中学時代までと同じではないか。
散々逃げる思いで勉強してきたあの日々は、幻に終わってしまうのか。
さあさあ、どうする英知契。
・・・といったところで、前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが、ここから本題に入っていきます!
果たして、高校時代の英知契はどのようにしてこの絶体絶命の危機を乗り越えたのか。
それでは、スタートです!
第1章:とにかく声をかけてみる
高校時代から経験した寮生活。これを一言で表すとすると、
ある日突然、同世代の兄弟が130人できる
といえば伝わりますでしょうか。
私が3年間過ごした寮は、中学生約30人と高校生約100人が共生しているかなり大規模な寮でした。
すなわち、一人っ子だった英知契は入寮した瞬間に30人の中学生の「アニキ」となり、60人の先輩たちの「弟」となり、さらに同い年の兄弟がもう30人いるという、文字に起こすと超カオスな環境に飛び込んだわけです。
そして、迎えた入寮式の日。
新入寮生として、他の同期の寮生と並んでいる時、周りの同期がすぐに打ち解けている状況に焦った私は、近くにいた寮生のKくんに人生最大レベルの勇気を振り絞って、話しかけてみました。
…以上。これが、私の高校時代、ひいては寮生活3年間最初の同期との会話でした。
今振り返ってみると色々な意味でお粗末ですが、それでも優しく接してくれたKくんには感謝してもしきれません(今でもKくんとは仲良いです。)。
そして、私が住んでいた寮には「ルール」がいくつかあり、門限や外出時間といった、きちんと明文化された「ルール」もあれば、「ルール」というより「文化(culture)」に近いものもありました。
代表的なものとして、
と言う感じです。
そして、同期や先輩方の中には「うっす、お疲れい!」といった感じで応用して使っていた人もいました。
中には、このルール(Culture)に対して「めんどくせえ」と消極的だった寮生もいましたが、他人とのコミュニケーションのノウハウが分からなかった私にとっては渡りに船でした。いや、船通り越してもはや豪華客船「うっす号」。
味をしめた英知契。いろんな寮生に手当たり次第に「うっす、お疲れい!」と声をかける日々が始まりました。声をかけていくと、次第に「内気なお前が、変わったな」だったり「かなり積極的になってきたな」と好意的な声が寮中に広がっていきました。
この「うっす」カルチャーを味方につけたことは大成功で、人生初の親友や毎晩UNOで修学旅行のような夜を明かせる友達もこの時期にでき始めました。
現実でも、社会的に成功している人は自分から他人に話しかけてコミュニケーションのきっかけを作りにいく傾向性があるみたいです。社会に出てからのプレゼンも友人作りも、基礎はこの時期にできていたのかもしれません。
しかし、だんだんと「お前のうっすうざいねん」だったり、皮肉交じりに「お疲れい!」と言われたりと、周りの空気的にあ、このままではアカンなと危機感を覚えてきた英知契なのでした。(第2章に続く)
第2章:ジェネラルな話題をストックする
「お前な、話がおもんないねん」
寮にも住み慣れてきたある日、突然先輩のアニキから言われた言葉です。
そして、スーパーまじめ君だった当時の英知契は、寮生活と言う究極の集団生活の中でボッシュートされないために、新たな作戦を実行します。
それは、話のトピックを考える、です。
。。。は?と思う方もいらっしゃるかもしれません。
「右足を出して左足出すと歩ける」みたいなこと言うなや!
「あたりまえ体操」の歌詞でも考えてんの?
と総ツッコミを喰らいそうなくらい「あたりまえ」の内容ですが、大事なことなので、先生何回でも言いますよ。
私の所感ですが、雑談においてノートピックで話を広げようとするのは手持ちカード1枚か2枚の状態で遊戯王のデュエルを申し込もうかと言うくらいの玉砕行為だと考えています。
そして、当時の私に足りなかったのは、「うっす、お疲れい!(=挨拶)」の次にくる話(=会話のトピック)でした。
以下、実際に会話に使ったトピック集。
•今日の天気(天気を気にしない人間はいない)
•学校生活(授業の話とか。今所属している共通のコミュニティの話ならなんでもOK)
•部活の話(ほぼ全員何らかの部活やってたから)
•寮のご飯の献立の話(寮飯食べない寮生は基本的に0人)
•趣味(寮にいると寮生は何らかの新しい趣味に目覚めます)
•睡眠(寝てない人間って逆におるの?おるなら目の前に連れてきてほしいわ)
どれもこれも、とても「ありきたり」で「当たり前」で「ジェネラル」な話題ばかりかと思います。
…でも、これが大切なんです。
私が言うのもなんですが、「誰でも話せる」話題を振ることはコミュニケーションにおける一種の礼儀だと思っています。
仮にあなたが読書や特撮モノが嫌いだとして、初対面の人にいきなり「好きな作家いますか?」だったり「好きなスーパー戦隊なんですか?」とか聞かれたらドン引きしますよね?
、、、いや、入寮当初の私ですやん。(Kくんが読書好きでよかったぁ。。。)
会話はあくまでも言葉のキャッチボールです。
私は、小さい時に父親に一度もキャッチボールをさせて貰えなかったので高校に入ってから知ったのですが、キャッチボールは「親切さ」が第一です。
会話に置き換えると、「天気」だったり「食事」の話だったり「睡眠」の話だったり、誰でも気にしている話を振ってあげることがキャッチボールだと思っています。
一方、聞いてもないのに、いきなり好きなプロレスラーの話や好きなガンダムのモビルスーツの話をぶち込んでくるのは会話のドッジボールです(相手は会話を拾えず、話せない(=キャッチできない)。避けるしかない)。
それはともかく、「うっす」などの挨拶はあくまで「話のキッカケ」であり、ジェネラルな話題は「会話作りのキッカケ」であることを抑えていただけると嬉しいです。
「契君も、だいぶ話ができるようになってきはったなあ」
と、謎の上から目線を喰らいながらも会話術を確実に身につけて行った英知契。はてさてこの先、どうなりますことやら。(第3章に続く)
第3章:「話し上手」のマネをする
って言う感じで、同期の寮生からも親しみと舐められの中間の接し方をされながらも、周囲に変化を認められるようになった2学期。
明治時代、欧米列強に追いつけ追い越せと文明開化や不平等条約改正を進めていって「一等国」と認められてきた100年前の日本ってこんな苦労してたんやーみたいな感覚にはなりましたが、それよりも皆さん、お気づきでしょうか。
こいつ、いつの間にノリツッコミ覚えてますやん。
と。
はい。確かにノリツッコミしました。確かにしましたよ。
では、なぜ、「できるようになった」のか。
それは、私の中学時代の恩師の教えである
を、ここぞとばかりに実践したからです。
そう、私の読者のうち、コアなファンならもうお気づきであろう、「まねぶメソッド」解禁です。
実は、高校1年2学期は、人生の中でも5本の指に入るほどの「病み期」だったのです。
寮には「部屋替え」と言うイベントがあり、半年に1回4人部屋のメンバーが総入れ替えになるのですが、次の部屋がまあ地獄でした。
先輩の滑舌が悪いのか、私の聴力がおじいさんレベルだったのかは分かりませんが(でも聴力検査で一度も引っかかったことないので後者は多分違う)、とにかく部屋の先輩の話が聞き取れない。(心因性のストレスで耳が聴こえなくなる症状もあるみたいです。念の為。)
そして、聞き取れないと「日本語が通じないジャパニーズや」とか「ほんまに人間なん?」みたいな接し方をされる。
はい来ました、私の一番苦手な人種です。
ちょっとやそっとのミスで、「日本人」だとか「人間」だとかのアイデンティティを否定しまくるような言い方をしてくる。
DNA的に「ムラ」社会が根付いている我々日本人にとって、屈辱的と言う言葉ですら生ぬるい、薄気味悪い感情すら覚えてきました。
と同時に、
おい!お前よくも人様のアイデンティティ否定してくれたな!
日本語通じないジャパニーズだってぇ!?
だったらよお、日本一話が上手い奴等の会話術身につけてヨォ、
この先輩絶対見返してやるわぁぁぁぁ!
と言う、ナニクソ根性が発動したのです(※上の太字は実際に発言していません。もし発言していたらnoteなんぞに書きません。※※あと、当時の先輩の皆様読まれていたら誠に申し訳ございません)。
ともかく、私のコミュ力上達の戦い「第3章」が開幕いたしました。
寮生は、携帯電話の持ち込みが許されず(そもそもお金なくて携帯電話なぞと言う高尚なものを持ち合わせていなったので無問題)、情報収集といえば寮の食堂にある10台のデスクトップPCのみ。それを、1日30分までという制限付きで。
私は、学校が終わって寮に帰るとすぐに、寮の食堂のPCにメモ帳とペンを持って向かいました。
幸い、Youtubeは観れたので、明石家さんまさんやダウンタウンさん、マツコデラックスさん、島田紳助さんなど、「日本一 トーク上手い 芸能人」とググると出てくる芸能人がMCや回し役をしている番組を総当たりで視聴しました。そして、ここパクりたいなぁと思った話術は、すかさず手元のメモ帳に書き込んでいました。
以下、例。(高1当時の私の分析結果です)
•ダウンタウンさん:独特のワードセンスと均等に話題をゲストに振っていく姿勢
•出川哲郎さん:大きめのリアクション。リアクションが大きい人は相手の記憶に残りやすく、親しまれやすい
•マツコデラックスさん:究極の聞き上手。
•千原ジュニアさん:起承転結と話題の豊富さ、聞き手の脳内に映像化してしまうほど高い具体性
•タモリさん:会話の引き出しの多さ。どんなゲストの方ともコミュニケーションが取れるリサーチ力の高さ。
ちなみに、肝心の冒頭のノリツッコミは宮川大輔さんか幼少期からのファンだった陣内智則さんから「まねぶメソッド」で学習した記憶があります。
インプットの次はアウトプット。幸い、寮生活なので「全然相手がいなくて辛いよ」的なシチュエーションはまず起こらないです。
寮生活中は、このメモ帳を肌身離さず持ち歩き、様々な寮生に様々なシチュエーションで実験感覚で使って演習を進めていきました。
その結果、同部屋の先輩から「お前最初きた時より話おもろなったな」と言う、これ以上ない嬉しいお言葉をポロッといただけたのです(日本史で言えば、ようやく小村寿太郎さんさんが関税自主権回復させたようなもんかな、と)。
まだまだ続きを書きたいのですが、長期戦となってしまうので続きはまた次回に書きます!
スキやコメント、また皆様が実践されてきたコミュニケーション術も共有頂けますと嬉しいです😀
それでは、また次回。アディオス!