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会社を休業し未来へ進む

タイトルの通り、新たな未来へ進むことを決めた経緯をすべて丸々お話ししようと記事を書いていたのですが、「今年はとにかく静かに過ごしなさい」と各所でお言葉を頂いていたことを思い出し、今回はざっとした内容でまとめることにしました。

生い立ちを含め、細かいところまでお話しするのは、その時が来るのをもう少し待とうと思います。

会社を休業するということ

昨年末に親会社であり地主である父から

「土地と建物を売りに出します」と通達があり
私と夫、母は現在の会社を休業する決断をしました。

(この決断をするまでの様々なやりとりをお話しするためには、私の生い立ちまで関わってくるので、今回はそこを割愛し、時が来るのを待とうと思います。)

本日2/16(日)、お客様とお取引先宛てに一斉通知をするこのタイミングで、私からは少し感情を交えてお話しさせて頂こうと思います。

埼玉と群馬、それぞれで

私の生まれは埼玉の最北端・上里町です。
そこで母が起業したのが1999年のこと。

大学、軽井沢での修行を経て
2009年にその家業に合流し
法人化、私の結婚、夫が代表を継ぎ…
最終的に現在は私が代表取締役を担ってます。

それと同時進行で
上里町で祖父が経営していた養鶏を
1998年に父が継ぐ形で
群馬県東吾妻町に農場を移転し

その養鶏場で生産している卵を
近隣の地に直売所を作るという目的で
2005年に群馬県中之条町に会社を作りました。

紆余曲折あり
2年目で母が群馬の会社を継ぎ
私が埼玉の会社を継ぐタイミングで
夫が群馬の会社を継ぎ、現在代表を務めています。

母は両社の会長職として
私たち夫婦と共に経営をしています。

なぜ休業しなければならないのか

先にお話しした通り
私と夫がそれぞれ代表を務める会社で
今回なぜ休業を迫られているのか…

それは
両社の土地と建物の権利が
親会社である父の会社の所有だからです。

私たちの会社は家賃を支払いながら
毎月経営をしています。

そして今回
その両方の土地建物を売却されることになったため
私たちは休業することを決断しました。

休業に際して

この決断をするにあたり
断腸の思いであったのが
両社合わせて15名のスタッフに告げることです。

特に群馬の会社では
10年以上の勤続をしてくださった方が数名います。
1ヶ月前に入社してようやく慣れてきた方も。

"断腸"とよく言ったもので
実際、1週間腸炎で寝込み
冗談でなく毎晩泣いて泣いて疲れて
気絶するように眠るという日々でした。

それでもこの決断をした時に
様々なことを乗り越える覚悟をし
私、母、夫で報告と謝罪を伝えました。

思いもしなかった
私たちには身に余るような
温かい言葉を頂き
最終日である3/16まで
全員で向かってくれると言う奇跡に
今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。

休業に向かって

①3/16までの営業を全力で突き進み
真摯に全力でお客様に接すること。

②閉店した後
スタッフ全員の権利を申請すること。

③売掛買掛、契約関係をすべて成し遂げること。

④6月の決算を丁寧に仕上げること。

これら全てを取りこぼすことなく
やり終えるまでの4ヶ月半。

黙々と向き合っていきます。

未来へ

土地と建物が無くなり
私たち3人は己の身1つで
休業した会社を2つ抱きしめながら
必ずどこかで再起します。

今は3/16までの日々を
丁寧に送ることしか考えられないですが
会社と言う、人間とはまた別の生き物と一緒に必ず立ち上がってみせます。

日本のどこかで…
それとも世界のどこかで…
株式会社夢みるぱさり と 株式会社モアザン がまた声をあげますので、それまでの過程をどうぞ見守ってください。

未来は開いていて
常に追い風です。

2020.2.16

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