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世界が私の…

文章を書くのは苦手だけど、文章化することが、言語化することが大事だ!と思って、noteに手を出してみました。こうやって書こうと思うことは、今後ないと思うので。

貴方のでんぱ組.incはどこから?
TLででんぱ組.incにハマったきっかけ、タイミングがよく流れてきて、本当に人それぞれなんだな〜と思ってた。
エンディングツアーで初めて見て好きになったという人もいた。もっとたくさんの人に、でんぱ組.incが観られていれば、なんて不毛なことを思った。

私のはじまりは、高校二年生のとき、地元イオンのVVででんぱ組.incのでんでんぱっしょんのライブ映像を観てから。
「でんぱ組.incって言うんだ〜。ライブでリボン使うんだ、可愛いな。」と思って、家に帰って調べて、すぐに好きになった。可愛いし、曲調が好きだと思った。
W.W.DのMVもあったから、「アイドルってキラキラしてるだけじゃないんだ!」ってびっくりして。
ちゃんと彩音さんのことを好きになって、専用のTwitterアカウントを作って、
福岡に来るって知って、初めてライブに行ったのが2015年の大冒険ツアー。

この前久々に実家に帰って、初めて行ったライブのチケットが出てきた。

バイトが校則で禁止だったので、お小遣い貯めて行ったことを思い出した(高校生のときはお小遣い月5000円だった)。

その後あしこなのリリイベで彩音さんと初めて握手をした(はじめてでんぱ組.incを知った、VVがあるイオンで)。なお緊張で何を話したかは全く覚えてない。ずっと好きでした!と言った気がする。興奮しすぎて自分の手の写真を撮ったことだけは、覚えている。

そして大学生になって、スピンズとのコラボイベントで初めておたくに声をかけてもらって(今思えばスピンズにいましたよね?とバスの中で声かけてくるのは怖すぎん?)、そこからたくさんお友達が増えたな。こんなに性別も年齢もバラバラなお友達がたくさんできたの、本当に嬉しくて。
でヲタはみんな優しい。本当にみんなの事が好きです。

医療系の大学だったから、というか具体的に言うと看護科だったので、初めて行った生誕(2016年)は必修の授業を受けていて遅刻をし(しかもこのときが初めての遠征だった、成田空港は遠かった)、連番していたおたくにとても迷惑を掛けてしまった。本当にごめんね。
2017年は実習で行ってないけど、その後2年間も実習の合間をぬって、バイトに勤しみながら生誕に行った。
限界すぎて12月の寒空の下、物販に早朝から並びながら課題とか勉強してた。国試は2月なのに1月時点で合格圏に入れず泣きながら勉強した(受かった)。



ちなみに大学生になってから付き合っていた人とは、バイト代をアイドルに使いすぎて「俺とピンキーどっちが大事なの」と振られた。男が推しより大切だったこと、ないので…。

でんぱ組.incのおたくにバンもんやBiSHを教えてもらったり、コドモメンタルを教えてもらったり、おたくと付き合ったり別れたりして、今振り返ってもでんぱ組.incは人生だな、と思う。
というか、でんぱ組.inc無しに私の人生は無かったと思う。
でんぱ組.incの凄いところは、そんな人が私だけではなく、たくさんいるということ。でんぱ組.incは宇宙だけではなく、たくさんの誰かの人生を救っている。



そして2020年春、就職の年、コロナ流行。
アイドル現場はなくなり、コロナの皺寄せを受けた私の病棟は忙しくなり、1年目でも夜勤で休憩にいけないことはザラだった。18時間連続勤務。というか入った時点でもう忙しいことが当たり前だった。もちろん定時になんか帰れなかった。病院も初めてのことで対応に困っていて、足りないPPIを100均の雨ガッパを切って作る等していたことは記憶に新しい。


どんなに仕事を頑張っても、私の生き甲斐であるアイドルには会えない。頑張ってライブをしてくれている現場に行けば、叩かれる。


私は、医療従事者だから。


何が医療従事者は頑張ってるだよ。
そんなのクソ食らえだ。
どんなに頑張って働いていたって、推しに会えなかったら働いている意味ないじゃん。



職場はいつもピリピリしていた。毎日何かしらで怒られた。
患者から怒鳴られたり叩かれたりすることも、珍しくはなかった。



限界だった。
辞めたかった。



でもそんなとき、「ユメ射す明日へ」を聴いて、

『多分 多分 成長出来てるんだ』

で引くほど泣いた。このとき、初めて曲に救われた。
いつか大丈夫になるかも、と思って働いた。
そして今5年目、そのまま同じ病院で働いている。


もう一つ、でんぱ組.incと私の人生を振り返ったとき、語っておきたいことがある。長くてスミマセン。

でんぱ組.incを知って、ステージをみて、アイドルへの憧れが強くなった。
でも私は普通に大学に入って、バイトしながら勉強して、オタクもしていて、看護師になって、そんな暇なかった。
でも、社会人も2年目になったとき、「若いうちしかできないことは、今全部やろう」と思って、
働きながらだけど、地下アイドルをした。病棟に勤めながらだったので、全部のライブには出られなかった。
しかも当時同じ理由でコンカフェでのバイトもしていた。
それでも大事なライブは前々から休みをとって出たし、夜勤明けでライブに出ることもあった。対バンが多かったので、メンバーに謝り倒しながら、出番じゃないときは裏で少し休ませてもらったりしながら。


一度だけ、自分の生誕をした。
自分のやりたい曲を詰め込んだ中に、キボウノウタを入れた。歌は上手くないけれど、1人で歌った。

『しまいこんだ文集に書いた 将来と今が違っても』

私は保育園の文集のなりたいものの欄に“あいどる”と書いていたので。

今はアイドルもコンカフェも卒業した。
でも、一瞬でも夢を叶えられてよかった。私の人生を何度振り返っても、アイドルをできるのはこのタイミングしかなかった。
自分がアイドルをしてみて、ただ歌いながら踊るんじゃなくて、振り、立ち位置、歌割り、表情管理、魅せ方まで完璧なアイドルへのリスペクトが増した。
やってみないとわからないことだったから、そういう意味でもやって本当に良かったと思っている。


でんぱ組.inc THE ENDING
実は幕神ツアーの神戸には行ったけど、私は幕張メッセに行ったことがなかった。一時期でんぱ組.incから気持ちが離れていたので、ジャンボリーも干していた。
最初で、おそらく最後の、幕張がこのライブで良かった。仲良しのおたくのほとんどが同じ宿で、夜中までUNOして遊んで、みんなで泣いて笑って、本当に楽しかった。遅れてきた青春だった。
ずっと彩音さんを、好きで良かった。




後悔することなんかたくさんあって、

もっとちゃんと振り入れしておけばよかったな、とか

最後まで人見知り発動して、顔は知ってるのに話しかけられなかった人がたくさんいるな、もう会えないのに、とか

どうにかしたらもっと行けた現場もあったはずだよな、とか

でも多分、そういう後悔も含めてエンディングなのかなあと思うようになった。ライブが終わって1週間経って。
きっとどんな形で終わっても、私は何かしらの後悔をしてたと思うので。



でんぱ組.incのおかげで出会った、今後も1番会いたい人たちには、でんぱ組.incがなくても会えると思っているし、
私はでんぱ組.inc以外にも、DSPM含め、好きなアイドルがいるから、そこで会えたら会いましょう。
関西にも関東にも行くから、お酒をたくさん飲みましょう。


世界が味方だなんて思ったことはなくて、ずっと牙を向いてるものだと思ってた。冗談じゃなく(私のツイートを見てる人はわかるかもしれない、私はいつも何かに噛みついている)。

でも、でんぱ組.incに出会って、大人になって、そうじゃないかも、って思えるようになった。アイドルを通して、友達もたくさんできた。


エンディングライブ後、日常を過ごしていても、うっすら辛い気持ちが靄のように心に残っていた。ほんのり希死念慮すらあった。
楽しかった反面、私の人生、これより楽しいことなんてないんじゃないかな、と思ってしまって。


でも、こうやって自分の人生を振り返って、これからも、何か大丈夫かもしれない、と今なら思える。でんぱ組.incは終わっても、私の人生は続いていくから。


でんぱ組.incの曲があるなら、私の中のでんぱ組.incは消えないから。
私の愛する推しが、彩音さんがこの世に存在してるなら。

世界が、私の、


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