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90年代の“あの感じ”

前回の記事で90年代の“あの感じ”と言ったが、
いざ“あの感じ”を言葉で言い表そうと思うとなかなか難しい。
あの時代に流れていたあの退廃的なムードは何だったのだろうか?

私は83年生まれで今年37歳になる。
14〜18歳くらいのいわゆる「超多感な時期」に90年代を過ごした世代である。

自分にとって90年代とは何か?

改めて思い出してみると、自分の周りで何か特別“退廃的”な出来事が起きていたかというと、そういうわけでもない。

東京郊外の退屈なベッドタウンで
高校受験に向けて勉強しつつ
幽遊白書にどはまりしてアニメイトでグッズ買って
GLAYのCDをMDに録音してラルクファンの友達と交換!
そして高専に入ってからは毎日バイトに明け暮れて
家には夜中、寝に帰るだけ!

…という具合で健全な学生生活を送っていたわけだ。
(本当に日常。なんら特別なことはしていないし、普通にハッピーな若者だ!)

だがそこには確実に退廃的なムードが流れていたように思う。

退廃的なムードの原因はなんだったのだろうか?
何故退廃的に感じたのか?何がそう感じさせたのか?単に私が厨二病だっただけでは説明がつかない何かがあったように感じる。多分。

当時の私は前述の通り、毎日刹那的にしか生きていなかったので
社会情勢など全く眼中になかったわけだが、
改めて調べてみると…

IT革命でインターネットの普及(90年前後から)
環境破壊に注目が集まる(89年ヘルシンキ宣言)
昭和から平成に改元(90)
湾岸戦争勃発(91)
欧州連合発足(93)
阪神淡路大震災(95)
地下鉄サリン事件(95)
北朝鮮がテポドン発射(98)
核燃料工場で臨界事故(99)
ヒトゲノム解読ほぼ完了(00)
米同時多発テロ(00)

*(吉川弘文館/世界史年表・地図より一部抜粋)

ざっと目についたものだけでこんな感じだった。

あくまで歴史としてドライな視点で見てみると
天災や戦争による社会不安というのは古今東西いつの時代にもあると思う。(自作品の舞台である紀元前の世ですらも!)

だが90年代が従来の歴史と違ったのは

インターネットの普及により、それらの怖い現実にお茶の間から簡単にアクセスできたってのがあるかも知れない。

テレビやパソコンの画面の中では
ミサイルが飛び、
アラビアの海で原油まみれの海鳥が死に、
東京の地下鉄は阿鼻叫喚、
地震と火事で滅茶苦茶になった神戸の街

確実にぶっ壊れていく世界をBGMに流しつつ、私はアニメイトで買った飛影の下敷きをノートに挟み、受験勉強に勤しみ、MDプレイヤーでGLAYのグロリアスを聴いて第一志望の学校に見事合格である…!!!

現実に起きてる戦争や天災、悲惨な事件に誰でも簡単にアクセスできるようになったが故のヴァーチャル感…
遠くの国や街で悲惨なことが起きているのを知りつつ、変わらぬ日常生活を送ることへの小さな背徳感…

それがあの時代の“あの感じ”
あの退廃的なムードの原因だったのかも知れない。
そんな気がした。

戸塚からは以上です。

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