仮想と現実の転換点~バーチャルスローライフVol.2~
こんにちは、北海道在住のざっきーです。
コロナウイルスに関して、北海道では知事によって「緊急事態宣言」が出されました。
ここに来て急に普段の生活スタイルの脆弱性が顕になったような気がします。例えば、非正規雇用の問題、正社員でもない限り、出勤をしないとそもそも給料がもらえない人が多すぎるため、緊急事態だとしても出勤を余儀なくされる人達のおおいこと。
これが接客業だとするとまた悲惨です。リモートワークが可能な職種であれば、非正規雇用であっても出勤せずに働くことが可能であると思います。
なんとかできないものかと考えているだけではどうにもならないも事もわかりますし、僕一人でこの状況を嘆いていたところ何も変わらないんですけどね。
この気持ちを政治批判に持っていくことだったできますが、正直それすらも愚かな気がします。
まぁ、ここは気持ちを切り替えつつも方向性は替えずに仮想と現実についての話を続けていきます。
転換期としてのコロナウイルス
ある意味で今回のコロナウイルスの流行は働き方の転換期な気がします。
これまでにあまりメジャーではなかったテレワーク、在宅勤務についてこれほどまでにテレビや新聞などの報道で見る機会はありませんでした。
Twitterや、FaceBookやInstagramで理想的な働き方としてのリモートワークはよくありましたが。
これほどまでにインターネット上でコミュニケーションができる状況にあって、この働き方が普及しなかったことのほうが不思議なのかも知れません。
自粛の代替案としてのオンライン配信
これは働き方だけではありません。僕の音大生の友人の話ですが、今回のコロナウイルスの流行によって、演奏会の中止、延期を余儀なくされた方が多いとのことです。
音大性だけではなく、身の回りのバンドマンもライブハウスでのライブを中止を余儀なくされているとのこと。
ここで、やはり代替案として、オンラインライブ上での開催を行うというものが挙げられているようです。
確かにこの形式であれば、わざわざ会場に足を運ばずとも音楽を楽しむことができますが、致命的に足りないものが一つだけあリます。それが、ライブ感です。
そこに存在することの大きすぎるメリット
これは本当に難しい問題で、序盤で述べた、接客業の非正規社員が、出勤しないことで賃金がなくなってしまうことにも似たようなことが言えますが、音楽のライブの場合は、動画でライブ配信をすると、その場にいないと絶対に味わうことのできないライブ感が失われます。
実演家としては、最も大事な要素です。このライブ感が失われてしまうことを良しとするなら、極端な話、人間が演奏する必要がなくなってしまうことになります。それは、音符を追いかけただけの楽譜の演奏になるのです。
これはやはり、どんなにインターネット上でコミュニケーションツールが発達したとしても対面で存在することの良さには替えられないものがあるというわけですね。
リモート感
これは少し逆の立場からのお話ですが、むしろ現実に存在していても精神がそこにないような感覚を感じることもありました。
これは僕が、慣れない東京にいたときの体験談ですが、体はそこにあるのに、ふわふわした感覚で移動しているような感覚です。
それこそまるで、自分の体を遠い場所でリモート操作しているような感じです。この感覚はもしかすると、逆も然りなのかも知れません。
インターネット上に実体をおいたような気がいるけど、現実に目を向けることができていない感覚。
そう考えてみれば、そこにいること、存在していることは案外曖昧なことなのかも知れませんね。