300回 鏡よ、鏡


自分の目で自分の顔を直接見ることはできない。
手や足や身体は見ることができるのに、顔だけは見れないのだ。
鏡を見ればいいじゃないかと思うだろうが、鏡に映っているのはあくまでも左右反転した「鏡像」である。ともすればそれが自分の本当の姿だと思いがちだが、他人が見る己の姿は自分が鏡で見ている姿ではない。鏡の中の自分の左目は本当は右目なのだ。私は右の鼻翼に黒子があるのだが、鏡に映る自分は左の尾翼に黒子がある。
なんとかして本当の姿を見ようと、合わせ鏡にしてもう一度左右反転させても、鏡に映った鏡の中の自分は、どこか遠くの見知らぬ他人のようだ。

そもそもこれほどはっきりと自分の顔を鏡に映すことができるようになったのは、つい最近のことである。
一番初期の鏡といえば「水鏡」だろう。水面に映る自分の姿に恋したナルキッソスの神話もある。水面は常に揺れているので、そこに映る像も安定しない。そこで皿に水を注ぎ上から覗き込む水鏡が作られた。これを古代中国では「監」と呼び、のちに金属製になると「鑑」となった。その後青銅で作られたものを「鏡」と呼んだそうだ。日本でも各地に「姿見の池」という名前が残っているように、やはり水面を使った「水鏡」が鏡の始まりだと言えよう。
因みに「鑑」は人としての規範・模範を指し、「鑑みる(かんがみる)」はそのような規範とじっくり照らし合わせることを意味する。鏡と向き合うように規範と向き合えということだ。

金属製の鏡が登場した時期ははっきりとはしないらしいが、鋳造技術が発達した紀元前3千年~2千年「金属期時代(青銅器時代+鉄器時代)」のオリエント地域だろうと言われている。お馴染み古代エジプトも負けてはおらず、紀元前2800年古王国時代第6王朝の墓から、金属製の鏡が出土しており、中王国時代になるとレリーフに柄鏡を持った王女が描かれるようになる。古代エジプトでは化粧が盛んだったので、鏡も化粧の際に用いられたようだ。
ローマ時代のポンペイの遺跡からは、豪華な意匠を施した手鏡も出土しているが、銀製の鏡などは単に姿を映すという役割以上に、財産的価値や権力を示す手段としても用いられたと考えられる。
古代の鏡は、黒曜石、金、銀、銅、青銅などの原板を研磨して反射面としたもので、しょっちゅう磨いていないとすぐ曇ってしまうという欠点があった。それに金属や石には色があるので、そこに映る姿はどうしても暗くなってしまう。今の鏡からは想像もつかない程、そこに映るのはぼんやりとした自分であったことだろう。

日本に中国から鏡が伝わったのは、弥生時代前期と言われている。
青銅製のその鏡は、自分の顔を見るというよりも、太陽の光を反射する神秘的なものとして祭祀や魔除けの道具として用いられ、また地方豪族の権力の象徴にもなった。その最たるものが「三種の神器」の一つである「八咫鏡」であろう。
古墳時代になると、日本でも「鏡作部(かがみつくりべ)」と呼ばれる工人が鏡を作るようになり、国産の鏡が増えてくる。奈良時代には中国の影響で銅鏡の製造技術が発展し、平安時代には貴族や武士の間で化粧道具や装飾品として広まり、日本独自の紋様を施した「和鏡」が登場する。そして鎌倉時代には一般庶民にも鏡は普及するようになった。
江戸時代には鏡の需要が高まったため、多くの職人が鏡を製造するようになった。江戸時代の鏡は、引き出し付きの台に鏡を取り付けた「鏡台(きょうだい)」が一般的であったそうだ。この頃には「姿見(すがたみ)」という全身が映る大型の鏡も登場する。
いずれにせよまだ鏡は銅が主体の金属製であったので、反射面が酸化して曇らないようにするために、鏡磨師という専門職があった。

では現在我々が使っているようなガラスの鏡は、何時頃から作られたのだろうか。
イタリアではルネッサンス以前に、ガラス表面を平坦に磨く「磨き板ガラス」の技術が完成していた。そして1317年にヴェネツィア共和国のガラス職人が、板ガラスの表面に錫と銀の合金を用いて反射面を作る技術を発明、金属鏡とは比べ物にならない大きさと美しい反射を持つガラス鏡は、諸外国の憧れとなった。製法はガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ放置してアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落として鏡として仕上げるという手間のかかるものであった。
このガラス鏡はヴェネツィア共和国にとっては外交上の戦略物質であったため、製法は国策に関わる機密事項であった。そのためムラノ島という島に工房と職人を閉じ込めて製造していたという。
この美しい鏡をなんとしても自分のものにしたいと考えたのが、隣国フランスのルイ14世であった。彼はムラノ島から密かに職人を連れ出し、破格の待遇で自国に鏡工場を作らせた。その成果が、1682年に完成したヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」である。実際にこの「鏡の間」に行ったことがあるが、長さ73mの壁に357枚の鏡が並んだ回廊は、荘厳ではあるがまあ落ち着かない。生活の場ではなく、ルイ14世の威容を誇る場であったのだろうから、それで良いのだろうが。

1835年にドイツの有機化学者ユストゥス・フォン・リービッヒが、現在の製鏡技術の元となる製法を開発した。還元性のある有機化合物に硝酸銀アンモニア溶液を加えて温め、環元されて析出した銀イオンをガラスに沈着させる「銀鏡反応」と呼ばれる技術である。なぜ銀かというと、銀という金属は電気伝導率及び熱伝導率に由来する可視光線の反射率が、金属の中で最大だからだそうだ。
それ以来ガラス鏡の製法は改良を続け、品質・生産性・耐久性の向上により、今ではガラス鏡は安価で手軽な日常生活の必需品となっているが、基本的には19世紀に開発されたガラス表面を銀メッキするという原理は変わっていない。

日本に最初にガラス鏡を伝えたのは、かのスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルと言われている。西洋のあれこれを日本に初めて伝えたのは、ほぼ全部ザビエルなのではなかろうか。
ザビエルが周防国大名・大内善隆に時計や手鏡などを贈った1549年の翌年には、早くもオランダ人から長崎にガラスの製法が伝わっている。1582年に「天正遣欧使節」の4人がローマに渡った際にはガラス工場を見学、1590年帰国時にはガラス鏡4枚とガラス器具2個を持ち帰ったという。
「銀鏡反応」を用いたガラスの製造法は、1800年代後期に日本でも始まったが、当時は小規模な家内制手工業が殆どであった。そのうちに国産板ガラスの供給も拡大し、ガラス鏡の需要も増大、大規模な製造設備が求められるようになる。そして1961年に銀鏡反応をベルトコンベアー上で連続的に行う自動製造が開発され、鏡の製造は以後大量生産の時代に入った。

さて、鏡に映った像を自分だと認められるのは、実は当たり前ではない。これは「鏡像認識」という認知能力によるものだ。人間でも2~3歳になるまではこの能力を持たない。
この鏡の像を自分と認識できるかという実験を、動物行動学で「ミラーテスト」という。人間以外の大多数の生き物は、鏡に映っているのは他の個体だと考える。なのでミラーテストでは、鏡像に対して攻撃をしたり、鏡の裏側に回って存在を確かめようとしたりする。
研究によると、チンパンジー、ゴリラ、ゾウ、イルカは鏡像認識ができる。認識できる動物たちはみな、群れや社会を形成し他の仲間とお互いにコミュニケーションをとるという特徴がある。それが鏡像を自己として認識する能力と関係しているのは間違いないだろう。
意外なことに、ネコ、イヌ、カラスはこの鏡像認識ができない。賢いと考えられているこの3者がどうしてできないのか。ハシブトガラスに関しては、縄張り意識が強くとても攻撃的で喧嘩っ早いという性質があるので、じっくり鏡の中の像を認識する前に真っ先に攻撃してしまうのだろうと言われている。ネコは単独で生きる性質があるため、特に必要ないからだろう。イヌの場合は群れを作る社会的な動物なのになぜかというと、圧倒的に視覚よりも臭覚の情報に頼っているためと考えられている。
驚いたことに、ネズミ、カササギやハト、イカ、ホンソメワケベラという魚もできるそうだ。ただ一見してわかるわけではなく、何度か見ることで理解するらしい。

知能は生き残るために必要な方向に発達してきた。どこが得意かが生き物によって異なるのは当たり前のことだ。ミラーテストをパスするから人間の2歳児並み、とかいう比較は意味がないことはお分かりだろう。
人間にとって、自分がいったいどういう姿形をしているのかを知ることは、とても大事なことだったのだ。それは社会的動物として、またコミュニケーションの手段として、または単に知りたいからという理由からかもしれない。化粧やファッションも鏡なしでは発達しなかっただろう。人間は様々な目的のために鏡を必要とした。
人は常に鏡を見て、自己像を強化している。最近はスマホのカメラを反転させて鏡がわりにすることもあるらしい。それもまた鏡面反転していることには変わりなく、やはり視覚を身体から独立させる技術でもできない限り、反転していない自分の顔を自分で見ることはできないのだ。
誰もが自分が写った画像を加工するようになっても、鏡に写った自分は変えられない。
鏡面反転した自分と今日も向き合い、冷静に客観視したいと思う。


登場した人物:ナルキッソス
→ギリシア神話に登場する美少年。彼にふられたニンフの恨みをかって復讐の女神ネメシスの罰をうけ、泉に映った自身の姿に恋焦がれ憔悴して亡くなり水仙になったという。死後も冥府で水に映る自分の姿に見惚れ続けているというから、つくづく鏡像認識ができなかったんだな。
今回のBGM:「ラヴェル:ピアノ独奏曲全集」ピアノ演奏スティーヴン・オズボーン
→「鏡 Miroirs」はモーリス・ラヴェルがアパッシュという芸術グループのために書いた5曲の組曲。ラヴェル自身がシェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」の台詞「目はそれ自体を見ることは出来ない、何か別のものに映っていなければ」を引いて、タイトルについて語っているそうだ。まさにその通りである。


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