315回 冬色のマフラー


気温がだいぶ低くなり、そろそろ巻き物が活躍する季節となった。
巻き物、ファッション用語である。つまりストール、ショール、マフラー、スカーフといった、身体に巻き付けて使う布のことだ。
ああなるほどと思われただろうが、この4種類の巻き物の違いをすぐに答えられるだろうか。マフラーとスカーフはわかるとしても、ストールとショールはどう違うのか、単に大きな布ではないのか。正確に答えられる自信が私にはなかったので、良い機会だと思い調べてみた。

ストールは、ラテン語の「stola」を語源としており、古代ローマ時代に既婚女性が着ていた、くるぶしあたりまである緩やかなチュニック様の上着のことである。
それがなぜか4世紀(10世紀とされている記事が多いがカトリック教会関係ではこう書かれている)頃から、キリスト教ローマ・カトリックの聖職者の祭服の一部として、叙階された権威を表すための細長い帯状のものをこう呼ぶようになったという。ストラは長さ2m30~60cmで幅12~25cmと、とても細くて長い。これを司教・司祭は首の周りに回して前に両端を下げ、助祭は左肩からたすき掛けをする。ストラの色は典礼祭により紫・白・緑・赤の4色で、十字架などの刺繍が施してある。チュニックがどうしてこんなに細長くなってしまったのか、謎である。
16世紀頃から、女性の防寒用の肩掛けのことをストールと呼ぶようになったそうだ。ここでまたなぜ幅が広くなったのかも不思議。首に巻いて使うこともあるが、本来は羽織りとしてスーツやドレスの上から肩に掛けるものだった。素材は様々だが、マフラーより薄手で幅が広い。夏は綿や麻で紫外線避けや冷房対策として、冬はウールで防寒対策となる。今はストールは男女問わず重宝されている。1枚バッグに入れておけば便利な存在、それがストールなのだ。
因みに西洋では、イブニングドレスにストールを腕に絡ませた装いが、女性の正装だという。

ではショールとはなんだろう。
元々はインドカシミール地方の男性の伝統的な衣装だったそうだ。語源は「1枚の大きな布」という意味らしい。肩掛けやマント、ベールに毛布など、防寒用として様々な用途に用いられた。
なのでショールには本来、大判で厚手の生地を用いる。ストールは長方形だが、ショールは正方形の布を半分に折って三角形にして使うのが一般的だ。肩に掛けたり頭に被ったりするが、首には巻かない。これがストールとの一番の違いだろう。
15世紀にカシミヤのショールがインドからヨーロッパに伝わり、19世紀になると薄手のドレスの上に羽織る防寒用として大人気となる。とはいえカシミヤのショールは大変高価だったので、綿やウールのものがスコットランドで作られるようになった。なかでもペイズリー市の勾玉のような植物モチーフの模様が織られたショールが有名になり、いまでは「ペイズリー」といえばこの特徴的な模様自体を指すようになった。
ショールは厚手のはずだったが、現在ショールといえば結婚式などのフォーマルな場で使われる、シルクでできたドレッシーな女性用のものを指すことが多いため、本来の意味でのショールとは違ったものを指すようになっていると思われる。そういえば着物にもショールはよく合わせるが、成人式でみんな制服のようにダチョウの羽を使った白いショールを羽織るのはどうかと思う。

マフラーは簡単、防寒用の細長い襟巻きのことでしょ? いやいや、そう簡単ではない。
マフラーの語源は、包み覆うという意味のラテン語「マフル maffle」である。起源については諸説あるようだが、15世紀ヨーロッパで女性が顔の下半分を覆っていた四角い白い布を「マフラー」と呼んでいたことに起因するというのが一般的だそうだ。
17世紀にはこのマフラーを元に、貴族が首元の装飾とした、のちのネクタイの原型となるクラバットという布が生まれる。そしてフランス革命の時代には、顎から首にかけて巻きつける黒い布のことをマフラーというようになった。19世紀になるとショールが普及したので、厚手の生地のマフラーは防寒用として首に巻いたり、戦場でマフラーの布を包帯がわりに使ったりと、ひとくちにマフラーといっても用途が多様化する。
我々はウールやアクリルなどの暖かい繊維でできた30~50cmの細長いアイテムを、マフラーと呼ぶ。しかし英語圏で「muffler」と言えば、自動車やオートバイの排気ガスを排出する際の吸気音や排気音を低減する消音器を指すのが普通であり、襟巻きとしてのマフラーのことは「scarf」というそうだ。
日本では江戸時代から「襟巻き」はあったようだが、防寒具としては頭巾や手拭いの方が一般的だった。明治時代になると西洋から肩掛けとしてショールが入ってきて、1873年には毛皮のマフラーが初めて発売されたとのこと。その後はニット素材のマフラーも防寒用として普及し、昭和の時代には女性からのプレゼントの代名詞として「手編みのマフラー」などというものがあったほどだ。

最後にスカーフである。
ショールが東からヨーロッパに入ってきたのに対して、スカーフは北から伝わってきた。元来北方民族の防寒用の首巻きとして用いられていたものが発祥と言われている。
16世紀後半のエリザベス1世の時代には貴婦人たちの日除けとして、18世紀ルイ14世の時代には貴族の男性の首元の装飾品として、いずれもスカーフは実用というよりはファッション性の高いアイテムとして存在してきた。
今で言うところのスカーフを世界で初めて発売したのは、エルメスである。1937年に、90cm×90cmの正方形でシルク100%のスカーフ第1号「カレ」が誕生。当時のボードゲームを題材とした《オムニバスと白い貴婦人のゲーム》の柄だった。その後もエルメスを象徴する馬具をデザインした柄など、1500種類に及ぶ美しいプリントのスカーフを生み出し、今もスカーフといえばエルメスに代表される。
ところで日本は養蚕が盛んだったので、シルク製品は長い間輸出産業として大きな役割を担ってきた。1859年に横浜が開港して、世界に横浜のシルクハンカチーフが輸出され始める。そして昭和の初めにはこれを大判化したシルクのスカーフが人気となり、一時は世界シェアの80%を横浜産のスカーフが占めていたと言うから驚きである。
バブル期にエルメスをはじめとしたハイブランドのスカーフが大人気となり、あまりにも流行したせいか、反動でいまではスカーフをしている人をあまり見かけなくなってしまった。私も当時は本を買ってスカーフの巻き方を練習などしたが、なぜか載っている巻き方のアレンジは素っ頓狂なものが多く、普通に結ぶだけなのが一番無難だったことを覚えている。

もうひとつおまけに、ドゥパタを紹介しておこう。
ドゥパタというのはインドのショールのことである。上半身をすっぽり覆うほどの大きさで、パンジャビスーツには欠かせない。素材はインド綿かシルクが基本だが、最近ではレーヨンのものもあるようだ。
普通我々はショールを後ろから前に羽織るが、インドではこのドゥパタは前から後ろに纏う。歩くと布の端が背後にヒラヒラと舞って、とても美しい。右肩の前後に掛ける場合もあるそうだが、いずれにせよ綺麗な布がひらめく様は素敵だ。
ブロックプリントの素朴なものから、刺繍やミラーワークが施された豪華なものまで、色とりどりのドゥパタ。インドに旅行した時にはこのドゥパタを何枚も買いまくり、それを持ち帰るためにバッグをひとつ購入したほどである。

巻き物は良い。何枚あっても良い。
ということで、無限に巻き物が増えていく。


登場した巻き物:ドゥパタ
→デリーの店先で気に入ったドゥパタを見つけた。インドでは値段交渉をするのが基本である。連れて行ってくれたインド哲学の先生によれば、値段交渉は礼儀であると。なので早速交渉に入るが、店主は「fixed price」つまり定価であると譲らない。しばらく粘ったが駄目だったので買うのはあきらめて宿に戻った。しばらくして同行の年配の女性が帰ってきたが、先程目をつけたドゥパタを纏っているではないか。驚いて値段を尋ねると、我々に店主が告げたよりもかなり高い。彼女は「fixed priceだったのよ」と言っていたが、なるほど「fix」しているのは品物に対してではなく、客に対してだったのかと、妙に納得してしまった。
今回のBGM:「真っ赤なスカーフ」 作詞阿久悠・作曲宮川泰・歌唱ささきいさお
→言わずと知れた『宇宙戦艦ヤマト』のED曲である。それにしても歌詞に出てくるスカーフは赤いものばかりだが、真っ赤なスカーフをしている人など現実には見たことがない。


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