305回 アナーキー・イン・ザ・JP
ボンパンが好きだ。
ボンパン、ボンデージパンツ。ベルトで左右の足が繋がれ後ろ側にジッパーがあるパンツと言えば、お分かりになるだろうか。ダメージ加工や安全ピン・スタッズと共に、パンク・ファッションの代名詞とも言える。
何度も流行を繰り返しながら、いまだに根強い人気を誇るボンパン。
日常生活や仕事に於いては、ただただ不便なボンパン。
そこにはファッション、いや服とはなにかという根源的な問いが秘められている、と思う。
ボンデージパンツのボンデージ(bondage)というのは、「拘束、束縛」という意味である。
そもそもまず、ボンデージ・ファッションというものが存在する。こちらはPVCやラテックスという素材を用いたフェティッシュな服やアイテムを指すが、一般的にはSMプレイといった性的なイメージが強いかと思われる。実際はそれにとどまらず、純粋にそういった素材の感覚を楽しんだり、コルセットやハーネスで締め上げたシルエットに美しさを感じたりと、色々な楽しみ方がある。
「フェティッシュ(fetish)」という言葉は本来「呪物・物神」や「呪物崇拝」といった意味で、人類学や宗教学の分野で用いられていた。それが19世紀後半から、心理学者や精神医学者によって「特定の物や行為などに対して過度な執着や興奮を覚える」という性的嗜好を指す意味で使われるようになり、現在に至るまでその印象が強い。
日本ではその執着する対象物の名前を使って、「◯◯フェチ」といった言い方をする。「足フェチ」といえば、身体の中でも特に足に執着して、それを愛でることで通常以上の性的興奮を得られるという意味になる。ただ実際には性的な意味までは含まず、つい足に目がいってしまうとか足の形が美しい人が好き程度でも「足フェチ」と呼んだりと、かなり軽い意味でも使われることが多い。
ボンデージ・ファッションの面白いところは、拘束をすることで着用者はかえって開放感を得られるという点である。
皮膚に密着するラテックス、伸縮性のないPVC、呼吸が浅く苦しいコルセット、動きにくいベルトやハーネス。拘束によってかえって感覚が研ぎ澄まされ、普段とは異なる世界が現れる。それは公共の場における一般市民としての取り澄ました顔ではない、服と自分だけの親密な空間でのみ現れるありのままの姿なのかもしれない。
そう、通常我々が着ている服は、社会の中で逸脱しないようにと有言無言の圧力を受けているのだ。TPOをわきまえなさい、この場面ではこういう服は相応しくない、なぜこの季節にそんな服を着ているんだ?などなど。その中で背徳的とも言えるボンデージ・ファッションを身に纏うことは、確かに窮屈な社会の空気からの開放感を得られるだろう。そのためボンデージ・ファッションは、性の解放やセックス・ポジティヴといった思想に並走してきた歴史を持つ。
コアなボンデージ・ファッションでなくても、ほんの少しそういった素材やアイテムを普段の服に加えるだけで、いつもとちょっと違う気分になれる。
拘束を解放に反転させる、ファッションの面白さである。
さて、ボンパンに話は戻る。
ボンデージパンツのルーツは、かのヴィヴィアン・ウエストウッドだ。「パンクの女王」と呼ばれた彼女の輝かしい経歴、いや戦歴と言った方が良いかもしれない、それは様々なところで書かれているので割愛する。81歳で亡くなるまで、既存の価値観と闘いそれを上書きし続けた彼女は、自分自身についても変化を厭わなかった。
1971年にマルコム・マクラーレンと共に構えた最初の店は「Let it Rock 」という名前だった。ロックンロールスタイルに甘んじることを良しとしなかった彼女は、1972年には店の名前を「Too Fast to Live, Too Young to Die」に変え、そしてまた1974年に「SEX」と変えて、そこではフェティッシュなスタイルを取り入れた実験的なスタイルの服を作った。マルコムがこの店の常連客を集めて作ったバンドが、かの「Sex Pistols」である。
そして1976年、店の名前は「Seditionaries」に変わる。「Seditionaries」の名前の由来は、The Act of sedition (治安法)だ。Sex Pistolsの「God Save the Queen」がチャート1位を獲得したにも関わらず、BBCで放送を拒否されたことに由来する。あくまでも反骨である。
ボンデージパンツ(正式にはBondage Trousers)はこの「Seditionaries」で生まれた。
タイトなシルエットにするために大腿と下腿の背側にはジッパー、前から股を貫いてヒップの上まで達するここにもジッパー、ヒップを覆うバックフラップ、両膝を繋ぐベルトストラップ。ボンデージというフェティッシュ・ファッションのアイテムであったストラップやジッパーを、拘束服をモチーフにD.I.Y.でファッションに仕立て上げたセンスよ!
ヴィヴィアン・ウエストウッドの慧眼は、既存の価値観を破壊するだけでなく、一方では伝統や手工業を見直し取り入れアップデートしたことだ。1976年に作られた初期のボンパンには、タータンチェックの生地が使われている。後にウエストウッドのシグネチャとなった「MacAndreas」という名前の鮮やかな赤と青のタータンは、伝統あるスコットランドのロキャロン社で織られたものだ。
タータンはスコットランドの伝統的な織物である。しかしこのタータン、ジャコバイト蜂起が鎮圧された1746年からの35年間、イングランドの服装法という法律によりスコットランドでの着用が禁止された。これを踏まえて、ヴィヴィアンは反抗精神の象徴としてのタータンに魅せられたのだろうと言われている。
また彼女は伝統的なハリスツイード(Harris Tweed)をこよなく愛し、自らの作品にも沢山取り入れた。あの有名なオーヴも、ハリスツイード協会のロゴと呼応しているそうだ。
服は人なり。ファッションには流行というものがあるが、時代を超えてなお生き残るデザインが僅かながらも存在する。そのような服は単なる自己表現の域を超えて、その服を選ぶ人の価値観や人生までも体現するのだ。
パンクを得意気に語れるほど詳しくはない。ただパンクの精神は自分の中にも流れていると自負している。
ヴィヴィアン・ウエストウッドの現行のコレクションにボンデージパンツは出ていない。しかしパンク精神の申し子たる新しいデザイナーたちが、今も様々なボンパンを世に出し続けている。
そして私も、ささやかな反骨精神を秘めてボンパンを愛用する次第である。
登場したファッション:ボンデージ
→史上一番有名なボンデージ・モデルと言えば、ベティ・ペイジ。豊かな黒髪をぱっつんと切り揃えた印象的な姿は見たことがある方も多いだろう。1951年からボンデージ・ファッションのピンナップガールとして一世を風靡したが、1955年のポルノ追放キャンペーン以降は不遇を託った。晩年は再評価などもあり、それなりに穏やかに暮らして85歳で亡くなっている。
今回のBGM:「Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols」by Sex Pistols
→彼らが残した唯一のアルバム。2年弱という活動期間だったが、その後の音楽シーン・ファッションシーンに多大な影響を与えたことは言うまでもない。
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