262回 尾張名古屋は城でもつ
つい先日実に4年ぶりに名古屋に行ってきた。
それまではライヴ遠征などで結構ちょくちょく行っていたのだが、コロナ禍で県外(県内も!)出歩くことが殆どなくなってしまったので、本当に久しぶりだった。
私は名古屋には格別の思い入れがある。
どうしてかというと、医師国家試験の会場が名古屋だったのだ。医師国試は県毎に会場が設置されるわけではなく、全国で13都道府県(令和5年度)にしかない。それぞれに複数の会場はあるがほぼ大学で、それも不公平にならないように医学部がない大学が選ばれている。
長野県からの受験の場合、わざわざ愛知県まで行かなければならない。前日から宿泊して備えるのだが、土地勘のない場所なので会場までの行き方を事前にシミュレーションしてみる。なにせ個人個人自力で会場まで辿り着かなければならなかったので、地下鉄を乗り継いで降車駅から地図を見ながら歩いたりするのが、かなり大変だったことを覚えている。
これが他大学だと、バスをチャーターして会場まで送り届けてくれたりしていたので、我が校はなぜそうしないのだと抗議の声が上がったが、全員一緒のバスで何かあればみんな受験できなくなるからという、よく訳のわからない理屈で却下となった。もしかするとこれは、かつて地元の有名高校が登山をした際、並んで登っていたため雷に多数打たれて大惨事になったことと関係あるのだろうか。
個人ならリスクがないかというとそうでもなくて、タクシーを数人で乗り合って行った同級生は、違う大学に連れて行かれてしまったそうだ。大学の名前は似たようなものが多く、確かに間違えやすい。あわや遅刻という前に気づいて正しい大学に向かってもらい、なんとか間に合ったとのこと。
どんなところに罠が仕掛けられているかわからない。
実はこの医師国試、私は2回受験している。つまり1回目は落ちた。
卒業試験で既に青息吐息になっていたところに、国試の直前に祖父と祖母が相次いで亡くなり、あたふたと東京と長野を何度も往復していたため、国試の準備が間に合わず…というのは言い訳なのだが、とにかく卒業した年は不合格だった。自己採点では1点足りなかったが、1点だろうが100点だろうが、落ちたことには変わりがない。
大学院には入学が決まっていたので完全な浪人生ではなかったが、とにかくその1年は人生で一番勉強したと胸を張って言える。医師国試は入試ではないので、誰か他人と競うわけではなく、自分が合格点を取れば良いのだ。本番は絶対に模試よりも点数が取れないだろうから、模試では9割以上点が取れるように実力をつけておく必要がある。
国試は2回目までで合格しなければ、その後は急激に合格率が下がっていく。なのでなにがなんでもこれで受からないとと、背水の陣で臨んだ。
そして再び訪れた国試の日。同じ名古屋だが、会場の大学はまた違うところだった。
2回目以上の受験者は、1回目の受験者とは違う部屋に集められるので、なんだか前科者のような気分になり落ち着かない。周りでは、医師国試に特化した予備校の先生と思われる人が、受験生にしきりに最後のアドバイスをしている。
私の前の席の受験生の様子がなんとなくおかしい。じっと不動の姿勢で座っていたかと思うと、いきなり鼻をかんでその紙を捨てに行く。不穏だ。段々開始時間が近付いてくる。部屋の全員の緊張がピークに達したその時、その前の席の受験生がいきなり立ち上がった。試験監督官は厚労省の役人である。3人いた監督官が「君っ!何をするんだ!」と駆け寄ってその受験生が取り押さえられるのを間近で見て、ますます緊張する私。彼は単にトイレに行きたかっただけらしいが、それなら手をあげて伝えればいいものを、なぜ事を大きくするのだ。
そしてなにはともあれ試験開始となった。私が受験した頃はまだ国試は2日間だったが、その後3日になりまた2日に戻ったらしい。2日で10数時間に及ぶ試験は、最終的には気力体力集中力の勝負である。
最後の最後、あと30分で終わるとなったその時、震度5の直下型の地震が起こった。かなりの揺れの中すぐ頭に浮かんだのは、マークシートを全部塗り終わるまで待ってくれということだけだった。自席から動いてはいけないので、机の下に潜るわけにもいかず、監督官たちも「こんなこと聞いてないよ!」という顔で右往左往していたが、幸い天井が崩れることもなく何度かの余震の後揺れはおさまり、無事試験は終了した。
終わった開放感に満ち溢れながら、同級生(学年は1年下になるが一緒に受けたということで)たちと名古屋駅に戻ると、地震の影響で電車が全て止まっていた。
いつ復旧するかわからなかったが、ホームにいた我々はすっかりハイになっていたので、時間を潰すためにその場で酒盛り(という程ではないが)を初め、大いに盛り上がった。今思い出すと周囲の一般の方々には迷惑をかけたと思う。だいぶ遅れて再開した電車の中でも、答え合わせをするグループ、既に出来上がっているグループと、思い思いに過ごして帰路についた。
自己採点の結果、不適切問題を加味すると8割以上は取れていたようで一安心。そして結果は無事合格、めでたく医師免許を取得することができたのであった。
今では名古屋駅の前は再開発されて、当時とは趣が異なる様相となっている。
あの大名古屋ビルヂングも建て替えられ、すっかり綺麗になってしまった。受験の時はあそこの裏手にあるホテルに泊まり、名古屋の地下街を彷徨ったことが懐かしい。
その後も名古屋は何十回も行っているが、名古屋というとこの時のことを鮮明に思い出す。いやあ、本当に合格して良かった。
医者になって四半世紀以上過ぎたが、いまだに名古屋はこのような理由で私にとって特別な場所なのである。
今度行く時はぜひ、きしめん味噌カツひつまぶし以外の名古屋飯を試してみたいと思っている。
登場した用語:不適切問題
→正解率が極端に低い問題は点数に加味されない。私の受験の時は、なんらかの装置を覗いている写真に「これは何を測定する機械ですか」という問題があった。眼科の測定装置は種類が多く、どれも「覗いている」ことには変わりがない。なんだかわかんないよ!と皆が間違えた中で1人だけ合っていたのは、直前にこれで自分が測定されたという人だった。ちなみに答えは隅角鏡。
今回のBGM:交響詩「中央アジアの草原にて」 アレキサンドル・ボロディン作曲 ウラディーミル・アシュケナージ指揮 / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
→サンクトペテルブルグ大学医学部を最優秀で卒業し後に教授となり、またハンブルグ大学でメンデレーエフに化学を学んで有機化学の研究者としても多大な業績を残したボロディン。30歳でバラキエフに出会うまで本格的な作曲法を学んだことがなかったというから驚きだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?