185回 小さな愛のメロディ


 苦しい時悲しい時、どこからかアイツがやってくる。小さい羽をパタパタと一生懸命羽ばたかせ、懐かしいメロディに合わせて飛んでくる。
 頭の中で無意識のうちに浮かんでくるあのメロディは、そう「フライングトースター」だ。
 これを読んで即座に画面が浮かんだあなたは、往年のMacintoshユーザーだろう(Macと書いていないところに注目)。

 1990年代、まだコンピュータがクラウドではなく、パーソナルだった時代。いまやPC(Personal Computer)という言葉自体が時代遅れとなってしまった。
 当時のディスプレイは液晶などではない、ブラウン管(CRT)である。
 ブラウン管は長時間同じ画面を表示させておくと焼きついてしまう。そのためディスプレイを保護する目的で、ある一定時間経過すると自動的に立ち上がりアニメーションなどを表示する、スクリーンセーバーというソフトウェアを殆どの人は使っていたと思う。

 なかでも1989年にリリースされた「After Dark」というスクリーンセーバーは、当時のMacintoshユーザーの必需品で知らない人はいないと言えるほどの人気だった。そしてその「After Dark」の中に含まれる「Flying Toaster」というモジュールが、とても印象的だったのだ。
 羽の生えた小さなトースターが沢山、画面を横切ってパタパタと飛んでいくというものなのだが、スクリーンセーバーが作動した直後のみ、このフライングトースターのテーマソングが字幕付きで1回だけ流れる。このメロディがなんとも威勢が良く可愛らしく、愛らしいトースターの姿と相まって、なんだか励まされているように感じたものだ。

 このフライングトースターには元ネタがあると言われている。
 それは、アメリカのSF作家トマス・M・ディッシュが1980年に発表した「いさましいちびのトースター(The Brave Little Toaster)」という短編小説だ。置き去りにされた家電器具たちがご主人を探して旅に出るという物語で、この作品の中のトースターには羽は生えていない。
 『人類皆殺し』といったシビアな作品を書いた作家とは思えないほど、この短編にはユーモアと小さきものへの愛が詰まっている。
 きっと「フライングトースター」の開発者たちは、その健気なトースターの姿を愛おしく思い、このソフトウェアをつくったに違いない。

 俗に言う「応援歌・応援ソング」というものはあまり好きではない。いかにも元気が出るような歌詞やメロディで頑張れと励まされても、十分頑張ってるわいと反発するのがおちだ。
 頑張っている人にそれ以上頑張れというのは酷なものである。だからといってもう頑張らなくていいよと背中をさすられるのも、なんだか居心地が悪い。声高に応援されるのではなく、まあいろいろあるけどぼちぼちやっていこうと、ぽんぽんと肩を叩かれるくらいが丁度良い。
 もちろんここぞという時に、思い切り気分を上げてパワーアップできるような音楽がある人もいるだろう。私も学生の時には試験勉強をやる際に、ヘビメタをガンガン流していた。アスリートたちはそれぞれ、試合の前に聴くこの一曲があるというのも聞いたことがある。
 それほどの大舞台でなくても、日常生活の中で少し疲れたなというときや仕事でもうひと頑張りというようなとき、無理矢理鼓舞するのではなく、トースターたちも一生懸命飛んでいることだしとほんの少し自分を励ます。「フライングトースター」のメロディは私にとってそんな存在なのだ。

 パタパタとせわしなく羽を動かしながら、画面が焼き付かないように飛んでゆくトースターたちは、ディスプレイが液晶となりスクリーンセーバーの必要がなくなってから、見ることがなくなってしまった。
 現在のコンピュータのOSに移植されたソフトウェアもあるようだが、それはもはや形だけのものだ。画面が焼き付かないようにという役目を担って飛んでいたあの小さくて勇敢なトースターたちとは違う。
 いまやコンピュータはブラックボックスとなり、昔のように簡単にカスタマイズできない。できることは格段に増えたが、その分遠くにいってしまったと感じる往年のユーザーは多いだろう。
 スクリーンセーバーが必要ない環境は快適だ。すぐフリーズすることもなく、再起動も爆速で行える。インターネットは危険も多いが便利だ。それでも時々、あの頃のちょっと不便で手を焼かせられる黎明期のPCが懐かしくなることがあるのは、単なる郷愁だろうか。

 いまも尚あのメロディは、ちょっと辛いなというときに必ず頭の中に流れてくる。
 励ましとともに、便利さに慣れ過ぎることへの幾許かの戒めを込めて。


登場した用語:PC
→神林長平の短編小説「ぼくの、マシン」には、全てのコンピュータはクラウドにつながれており、パーソナルなスタンドアローンのマシンを所有することが犯罪となった世界が描かれている。現在既にそういう世界になりつつあることが、薄ら寒い。
今回のBGM:「Flying Toaster」
→やはりここはこれしかないでしょう。確か最初歌詞はなかったような気がするが、人気が出たからか歌詞の字幕(もちろん英語)が出るようになった。なかなか洒落た歌詞なのだよ。“On mighty Toaster Wings!”

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