311回 おいしい水
いつもなら温かい飲み物しか摂らないのだが、流石にこの夏は暑すぎた。
毎年のように夏になると脱水を起こし、点滴をする羽目になることへの反省として、今年は職場にマイボトルに入れた麦茶を持参することにした。せっせと飲んだ甲斐あって、猛暑だったにもかかわらず無事に脱水にならずに秋を迎えることができた。
実は昨年も脱水予防に、小さな紙パックの甘酒を飲んでみたのだが、これでは沢山飲むことはできない。どうしてみんな甘くて冷たい飲み物を大量に飲めるのだろう。チェーン店のカフェメニューでは、季節毎にたっぷりと生クリームやキャラメルソースを加えた飲み物を発売して人気となっているが、私は無理。
冷たい飲み物を飲むとしたら、水かお茶一択、いや二択か、である。あ、アルコールは別。と言ってもやはりカクテルを別にすれば、冷たいアルコールもあまり飲まないかも。赤ワインも適温と言われる18℃以上の室温が好きだし、紹興酒も熱燗だ。お茶だって温かいのが基本だが、唯一冷たくして飲むのが、麦茶というわけだ。
いや、冷たい飲み物の話ではない、マイボトルの話である。
容量は大小様々、外側には可愛いイラストが描かれているものもあり、よりどりみどりだ。近年マイボトルが流行り出した頃からいろいろ買ってはみていたが、実はこれまで使う機会が殆どなかった。ひとつには外出の機会が少ないということもあるが、やはり一番は職場で飲むなら温かいお茶を淹れられるので、わざわざ家からマイボトルに何か入れて持っていく必要がないということだろう。
旅行に出かける際には、どうしても手軽なペットボトルになる。だいいちマイボトルでは飲み終わった後で洗う手間と、空になった後外出先で何を入れるのかという問題が生じてしまうため、不便なのだ。それでも環境に配慮してペットボトルは買わないでマイボトルを持参するという人もいるだろうが、そこまで頻繁に出かけるわけではないので、たまの機会ならばペットボトルにする。
念のため書いておくと、ペットボトルでもお茶か水以外は買わない。
マイボトルマイボトルと書いてきたが、要は水筒である。
水筒の歴史は古い。なんといっても水は生命維持に欠かせない存在だ。にもかかわらず液体なのでそのまま単体では持ち運びにくく、漏れてしまったらおしまい。水を入れられる携帯用の容器、それが水筒である。
お馴染み古代エジプトでは水筒はどうだったかというと、スイカが水筒代わりだったそうで、あまり水筒が作られたという記録がない。あのなんでもある古代エジプトにないはずがないと思うのだが。
ペルシアでは、紀元前3000年程前から革の水筒が使われていた。縫い目があるとそこから水が漏れる恐れがあるので、普通の革を縫い合わせたものよりも、胃や膀胱といった元から袋状をしている部分を用いることも多かったようだ。中に入れる液体は水に限らず、酒やミルクなどの場合もあった。有名な話だが、羊の胃で作った水筒にミルクを入れて運んだところ、透き通った水のようなものと白い塊に分離していた。恐る恐るその塊を食べてみると、大変美味しい。ミルクが撹拌されて凝固した、チーズの誕生である。
革の水筒は、内袋に漏れない材質を使い、外袋に毛皮や装飾を凝らした布で保護することが多かったようだ。
そんな手間をかけないでも気軽に持ち運べる水筒を、人類は昔から愛用してきた。
そう、ヒョウタンである。ヒョウタンというと酒を入れて腰にぶら下げている図がすぐ浮かぶが、別に酒だけでなく液体を携帯するのにこの植物の実は最適であったのだ。アジアでは竹筒の水筒も使われたが、利便性からするとやはりヒョウタンには劣るだろう。
ヒョウタンはアフリカ原産と言われ、世界最古の栽培植物のひとつである。
縄文時代早期の9600年前にはすでに日本にも伝わっている。世界各地で土器よりも先に出土しているというのだから、ヒトが作った容器としても最古の部類と言える。紀元前10000年以上前のペルーの遺跡や、紀元前7000年頃のメキシコやタイの遺跡から、ヒョウタンの種子や破片が見つかっているというのだから、人類の歴史に於いてワールドワイドにヒョウタンは用いられてきたと言える。
ヒョウタンはウリ科の一年草である。ヒョウタンというとあの8の字型の形を思い浮かべるが、実際はくびれのない壺型やヒョロ長い柄杓型のものもあり、大きさも5cm程度のものから3m近くになるものまで様々だ。果実が成熟して果皮が硬くなったものを収穫し、果柄の付け根を切り落として水に漬け、中身を腐らせる。そして柔らかくなった種子や果肉を掻き出し、硬い果皮だけにしてよく乾燥させれば完成である。
軽くて丈夫、液体を入れても漏れない。人類が世界中に広がる一番の助けとなったのは、このヒョウタンであることは間違いない。
時代は下って、日本では明治時代になるとアルミ製の水筒が軍用として使われるようになり、やがて一般家庭でも用いられるようになった。
そして昭和になると、魔法瓶の登場である。魔法瓶と言っても今の人にとっては何が魔法だかわからないに違いないが、当時は冷たいにせよ温かいにせよ、温度が変わらずに持ち運べるということは魔法のようなことだったのだ。因みにこの「魔法瓶」という言葉、誰が最初に考えたかは諸説あって定まっていないらしい。
そもそもの原理は、1873年(明治6年)にイギリスの化学者・物理学者のジェームス・デュワーが、二重壁とした金属容器の両壁間を真空にして断熱効果を得た放熱遮断実験に始まる。デュワーは1982年(明治25年)には、ガラス二重瓶真空内壁に銀メッキを施して輻射熱の損失を減らす実験器具を作り出したが、これが魔法瓶の基礎となった。
1904年(明治37年)、ドイツのラインホルト・ブルガーが「テルモス」という家庭用保温保冷器具を製品化して売り出した。このテルモスという名前は、ギリシア語の「熱」からきた言葉で、公募で採用されたとのこと。
日本に魔法瓶が輸入されたのは1907年(明治40年)、そして国産の魔法瓶第1号が早くも1912年(明治45年)に製造されている。
魔法瓶の製造には真空にする技術が欠かせないが、同じく真空技術が必要だったのが電球である。日本電球会社の八木亭二郎は、輸入品を解体研究して電球製造の際に用いる真空技術を応用して魔法瓶を完成させ、「八木魔法器製作所」を設立して販売を始める。1913年には朝日新聞に、国産初の魔法瓶の広告を掲載したそうだ。
その後次々と魔法瓶メーカーが現れて、魔法瓶市場は活況を呈す。現在も有名な「象印マホービン」は1918年、「タイガー魔法瓶」は1923年創立である。
私が子供の頃は、水筒といえばこの魔法瓶であった。魔法瓶なので中はガラスである。強い衝撃が加われば内部が粉々に割れてしまうため、扱いは慎重にならざるを得ない。遠足に持っていく時にも、くれぐれも落とさないように気を遣ったものだ。
このガラス製の魔法瓶の弱点を克服すべく登場したのが、ステンレス製の魔法瓶であった。
世界初の高真空断熱ステンレス製魔法瓶は、1978年に日本酸素株式会社が開発した「アクト・ステンレスポット」である。ここでついに割れない水筒が誕生したのだ。1989年には日本酸素がイギリス・アメリカ・カナダのサーモス(1904年に初めてガラス製魔法瓶を製造した会社、サーモスとはテルモス THERMOS の英語読み)事業を買収し、2001年現在のサーモス株式会社となっている。
実はマイボトル・ブームの火付け役も、このサーモスだそうだ。
水筒は、コップを外して中栓を開け、コップに注いで飲むという手順が必要である。遠出をする時以外に、日常生活で持ち歩くものではなかった。水筒のように持ち運べて、マグカップのように気軽に飲むことができるというコンセプトで作られたのが、1999年にサーモスから発売された「ケータイマグ」である。
初代はまだスクリュータイプのフタだったが、2000年発売のものからは、ロックリング付きのワンタッチ・オープン構造が初めて採用されており、これが現在に至るマイボトルの構造の原型となった。
私は知らなかったが、2011年には環境省が「マイボトル・マイカップキャンペーン」などというものまでやっている。使い捨てのプラスチック製品削減、リサイクル・リユース促進、循環型社会の構築などと銘打って、マイバッグ運動に続いて行ったものらしい。このキャンペーンは2019年には「プラスチック・スマート」キャンペーンに統合されたそうだ。
こんなキャンペーンを知らなくても、マイボトルは社会に浸透し、バッグからスッと取り出していろんな場面で飲んでいる人々の姿は当たり前になった。
さて気温も随分低くなっている。もう冷たい麦茶を飲む気にはなれない。
マイボトルを持って行かなくなったら、途端に水分摂取量が減ってしまった。猫舌なので、淹れたての熱いお茶は飲める程に冷めるまでに時間がかかり、何杯も飲めない。
今度は適温に冷ました温かいプーアル茶でも、マイボトルに入れて持っていくことにしようか。
登場した構造:ワンタッチ・オープン構造
→これは片手で開けてすぐボトルから飲むためのものであるが、私はどうしても直接口を付ける気になれず、コップに注いで飲んでいる。一度口を付ければ中身も汚染されるので、汚すのが嫌なのだ。もちろん飲んだ後は洗うわけだが、それでもなんとなく嫌。なので外出先ではどうしても、飲み終わった後そのまま捨てられるペットボトルになってしまう。
今回のBGM:「The Composer of Desafinado, Plays」by アントニオ・カルロス・ジョビン
→日本では「イパネマの娘」というタイトルで有名なアルバム。3曲目がボサノバの名曲とされる「おいしい水 Agua de Beber」である。