325回 海辺のアルバム
寝室の棚にはアルバムが沢山並んでいる。写真のアルバムだ。
そういえばもうずいぶん長い間写真をプリントしていないな、とぼんやり考えながら、1冊抜き出して開いてみる。ああ、懐かしいな、こんなところ行ったな、一緒に写っているこの人は今どうしているだろう。
スイッチが入ったように、わずかな胸の痛みを引き連れて、記憶が次々に蘇ってくる。不思議と楽しかったという感情ばかりで、嫌なことは思い出さない。胸の痛みは、過去へのはなむけか。
手にとってすぐに昔の自分に出会える。アルバムはまるでタイムマシンのようだ。
写真という手法が出現してから、人々は記憶を手軽に記録できるようになった。
もちろん初期の頃はとても手軽にとはいえず、写真を撮ること自体が一大イベントだっただろう。写真を撮られると魂を抜かれると怯える人もいた程、印画紙に像が浮かび上がる様はある意味呪術的な印象を受ける。
アナログ写真の場合、フィルムを現像してみないと何がどう写っているのかが確認できない。デジタルのようにその場ですぐ見ることはできないので、現像するまで不安が伴う。実際失敗して何も写っていない、写ってはいるがろくなものではないということも起こる。両親の新婚旅行で、父親が得意気に高いカメラで写した写真が全部ピンボケだったと、結婚前に職場で写真部に入っていた母親がいまだに文句を言う程、致命的なミスとなることもあるのだ。恐ろしいことである。
そしてフィルムを現像するだけでなく、印画紙に焼き付けるところまでではじめて写真となる。この印画紙に焼き付けることを、通常プリントと言っている。私も大学では写真部だったが、暗室の赤色のランプの下で、印画紙にゆっくりと像が浮かび上がってくる様子は、なかなかに感動的であった。
通常はカメラで撮影した後、フィルムをカメラ屋に持っていって現像とプリントをお願いする。昔は出来上がるまで1週間くらいかかったが、プリントを持ち帰りアルバムに収めるところまで含めて、写真は完成と言えたのだ。
それがいまやどうだ。スマホで写真のみならず動画も撮り放題。一昔前のホームビデオも、過去の遺物となってしまった。
写真は撮ってSNSにアップして、それで終わりである。撮影するという行為で満足してしまい、プリントのみならず、後で見返すこともあまりなくなってしまったという人が多いのではなかろうか。
アナログ写真の時代は、フィルム代・現像代・プリント代とそれなりにお金もかかったので、スナップ写真といえども1枚1枚大事に撮っていたような気がする。一旦撮影したらそれはもうフィルムに記録されてしまうので、すぐに消すことはできない。フィルムは24枚撮りが一般的で、36枚撮りもあった。より沢山撮れるように、ハーフサイズカメラというのもあって、24枚撮りのフィルムで、倍の48枚撮影できる。かなり便利なので、連れ合いは重宝して使っていた。
デジカメが出てきてからは、フィルムの残り枚数を気にせず撮影できるようになり、その場で撮ってすぐに確認もできるので、心理的負担は大幅に減少した。しかしそのかわり、それぞれの写真に対する思い入れも薄くなってしまったように感じる。
そしてそれはスマホのカメラ性能が向上して、もはやデジカメも必要なくなってしまった現在、さらに希薄になってしまった。
今でも写真館で大事に撮影した写真であれば、額に入れて飾る人も多いだろう。
だがスマホで簡単に撮った写真は、余程のことがない限りわざわざプリントすることはない。なぜならいつでも手元で見ることができるからだ。DMでもなんでも添付してすぐ送れるので、焼き増しだって必要ない。焼き増しという言葉自体、今の若者は馴染みがないだろう。
昭和の高度成長期、コンパクトカメラが普及して気軽にスナップ写真を撮れるようになった時には、みんなこぞって撮影した写真をプリントしたものだ。そうしてプリントされた写真は、大事にアルバムに貼られる。
貼られる、と書いたように、写真はアルバムに貼るものだった。そのアルバムも大判でしっかりと立派な装丁のものが多く、それに家族の歴史が記されていった。大きな災害があった際に、被災者が被害があった家の残骸の中で一番探したいものは、アルバムだという話を聞いたことがある。亡くなった家族の姿をとらえた大事なアルバム。
いまならクラウドに保存されていると思われるかもしれないが、そのようなものがなかった過去の記録は、物理的に失われてしまったら二度と取り戻せない。アルバムの中にしか存在しないのだ。
そんなアルバム、最初は写真を糊で貼り付ける形式だった。
画期的だったのは、台紙に細い線状に粘着剤が付いているタイプのアルバムの登場である。好きな位置に写真を貼った後、上から透明なフィルム状のシートを保護のために被せる方式だった。この利点は、貼った写真を何度も貼ったり剥がしたりできるというところだ。もちろん粘着性は低下していくので、そう何回もやり直すことはできないのだが。このタイプのアルバムを最初に発売したのがどこのメーカーか色々調べたのだが、どうしてもわからなかったのが残念。
誰もが写真を撮るようになり、アルバムに貼る写真の枚数が増えると、同じフィルムで撮った一連の写真があと1、2枚なのに入らないということが起きてくる。その場合、新しいアルバムの1枚目にそれだけ貼るというのもなんだか収まりが悪いし、だいいち新しいアルバムを買ってこなければならない。
そこで発明されたのが、ナカバヤシの「フエルアルバム」である。
「フエルアルバム」は、その名の通りアルバムの台紙を増やせるというものだった。なんだそんなことかと言われるかもしれないが、なかなかこれは画期的な発明なのだ。
そもそもこのナカバヤシという会社、1923年(大正12年)創業の製本会社である。創業者の中林安右衛門の代表作とされる『ウィリアム・ブレイク書誌』は、1929年(昭和4年)に発行された箔押しの分厚い立派な本だ。1959年(昭和34年)に発売した手帳は、今に至る会社を代表する大ヒット商品となった。
そして1968年(昭和43年)に「フエルアルバム」を発売。当時の社長が、ラジオのアンテナを伸ばしたり縮めたりしている息子の姿を見て思いついたとのこと。台紙を留めるビスを継ぎ足すことで、持ち主が好きな枚数に台紙を増やせるという発想は、製本業ならではと言えよう。
この「フエルアルバム」は、最初全く売れなかったそうだ。それでもめげずにアメリカに進出して大ヒット、それを受けて国内でもTVコマーシャルを流したことで、爆発的な売れ行きとなる。
その後デジタルの時代となっても、図書館製本の技術とアルバム作りのノウハウを活かして、「フエルフォトブック」という高品質のオリジナル写真集制作サービスを行なっているそうだ。
埃をかぶった沢山のアルバムには、大切な思い出が詰まっている。
色褪せた写真に記録された記憶は、どれも優しい。
写真は、撮るという行為だけで完結するものではない。どのような形にせよ、後で見返すためにあるのだ。だからこそ、記録なのである。
今は自宅のプリンターでもスマホで撮った写真のプリントはできるが、久しぶりにカメラ屋に行って我が家の保護猫の写真でもプリントしてもらおうか。すっかり出番がなくなった一眼レフのデジカメを引っ張り出してきてもいいかもしれない。
私の場合面倒なのと撮る枚数が多かったので、アルバムといっても貼るタイプではなくポケット式の簡単なものを愛用していた。
よく見たらまだ棚には使っていない新しいアルバムが残っている。
それにはきっとまた、これから過去になる記憶が記録されることだろう。
登場したカメラ:ハーフサイズカメラ
→1963年(昭和38年)に世界初のハーフサイズー眼レフカメラ「オリンパス・ペンF」が発売され、大ヒットした。翌1964年の東京オリンピックに向けて、各メーカーが次々にハーフサイズカメラを発売し、1966年(昭和41年)には、日本のカメラの生産量・売上は共に西ドイツを抜いて世界一となった。その後一旦ハーフサイズカメラは廃れたが、1987年に京セラが発売した「サムライ」が大ヒット。連れ合いが愛用していたのもこれである。
今回のBGM:「Will You Dance?」by ジャニス・イアン
→今回のタイトルは言わずと知れたTVドラマ「岸辺のアルバム」から。そのテーマソングとして使われたのが、1977年のアルバム(こっちは音楽のアルバム!)『奇跡の街』に収録されたこのシングル曲である。このアルバムは日本だけで100万枚を超える売り上げを記録したそうだ。