309回 とどろく叫びを耳にして
世に怪獣好きは多い。
この70年余り、日本の戦後は怪獣と共に歩んできたと言っても過言ではないのだ。
昨年は『ゴジラ-1.0』が大ヒットして、アメリカでも日本映画として初めて視覚効果賞を受賞するという快挙があった。その前にも2016年に新しい視点で描かれた『シン・ゴジラ』は、ゴジラ映画の歴史を塗り替える興行収入となっている。
今でこそ怪獣は大掛かりな映画が中心となっているが、昭和の時代、怪獣はTV番組に毎週登場する身近な存在だった。
私が子供だった頃、丁度第1次怪獣ブームと第2次怪獣ブームと呼ばれる時代を、真っ只中で経験している。
その立役者となったのは、ご存知円谷プロダクションであった。1966年(昭和41年)『ウルトラQ』『ウルトラマン』、1967年(昭和42年)『ウルトラセブン』、ここまでが第1次怪獣ブーム。この後1968年(昭和43年)から始まったTVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』が妖怪ブームを巻き起こし、一時怪獣の人気は低迷する。しかし1971年(昭和46年)に『帰ってきたウルトラマン』が始まり、再び第2次怪獣ブームが始まった。
幼稚園児の頃から恐竜好き動物好きだったので、もちろんヒーローのウルトラマンなどよりも、怪獣が大好きであった。親にねだってソフビも随分買ってもらった覚えがある。もう半世紀以上前のことなので記憶が朧げなのだが、エレキングやステゴンのように如何にも恐竜や爬虫類を思わせる造形を好んだような気がする。「◯◯星人」のようにヒト型をしているものは、あくまでも宇宙人であって怪獣ではないと思っていた。
街を破壊し暴れ回る怪獣は確かに恐ろしい存在であるが、彼らにも大義名分があった。当時高度成長期にあった日本では、公害や環境破壊が問題になっており、怪獣たちはそれらに対する警告でもあったのだ。それはゴジラの時代から怪獣を生み出した制作者たちの思いでもあった。
そもそも「怪獣」という言葉が人々の間に浸透したのは、1954年(昭和29年)『ゴジラ』の大ヒットによるものである。ゴジラより前に登場しているキングコングは、あくまでも巨大生物であって怪獣ではない。モンスターというと怪物を意味するので、ドラゴンやクラーケンには使われるが、ゴジラにはしっくりこない。
「怪獣」という言葉の歴史的に最も古い記述は、中国の春秋戦国時代から秦漢時代にかけて編纂されたという「山海経(せんがいきょう)」にあるとのこと。江戸時代の書物にも「怪獣」という記述はわずかに見つけられるが、妖怪との区別はあまりなかったようだ。因みに水木しげるは怪獣も妖怪ととらえていたそうである。
ゴジラの登場で、「怪獣」という言葉は日本独自のカテゴリーとなり、今では英語圏でも「Kaiju」で通じるようになっている。怪獣好きのギレルモ・デル・トロ監督は、怪獣と巨大ロボットという2大日本産アイテムをモチーフに、『パシフィック・リム』などという映画まで作ってしまったが、ここに出てくる怪獣はある種の侵略兵器であり、どうしても本来の怪獣の出自とは異なる印象を受けてしまうが、どうなのだろう。
怪獣には特撮が欠かせない。
ウルトラシリーズの中でも自分の中で印象に残っているのは、1971年(昭和46年)に観ていた『帰ってきたウルトラマン」だ。実はこの年には、特撮ものの番組が次々と放映されていた。『仮面ライダー』が始まったのも、同じ年である。『ミラーマン』は同年、『愛の戦士レインボーマン』(こんな正式名称だったとは)は翌年の放送だ。
ここでひとつ白状しなければならないことがある。長年の間一番好きだった特撮番組として『ミラーマン』と公言していたが、今回あらためて調べてみると実はそうではなく『スペクトルマン』だったことが判明した。なんということだ。タイトルを忘れていただけでなく、『ミラーマン』も『レインボーマン』も主題歌を歌えるが、『スペクトルマン』は歌えないぞ。ショックだ。
この『スペクトルマン』、1971年の正月から放映された当初は『宇宙猿人ゴリ』というとんでもないタイトルだった。それが21話から『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』にタイトルが変更され、さらに40話から『スペクトルマン』になったそうだ。どうりでタイトルをよく覚えていないわけだ。
この『スペクトルマン』(面倒なのでタイトルはこれで統一)が、第2次怪獣ブームのきっかけになったと言われている。『巨人の星』の裏番組で初め視聴率に苦戦したが、15話で逆転したというから、かなりの人気だったということだろう。
今でも語り草になっているのが、この『スペクトルマン』の第48・49話である。当時大号泣して観たこの2話、ずっと後にかの有名なダニエル・キイス著『アルジャーノンに花束を』を読んで、なるほどこれが元ネタかと知った。実際脚本を担当した山崎晴哉がこの小説を参考にしたと語っているそうなので、確かだろう。ただこれをパクリだとか盗作だとか言うのは違うと思う。
知的障害がある青年が薬や手術によって天才的な知能を得るというアイデア、それに先立ってネズミやイヌが実験台になる、この2点は同じであっても、話の行末が全く異なるのだ。
『スペクトルマン』49話の葛藤は人間としての尊厳を問うものである。確かにそういう意味に於いては異なる結末であっても、『アルジャーノンに花束を』と同じく人間性というものを描いた傑作と言えるのではないだろうか。
10年近く前に青森県立美術館を訪れる機会があった。
丁度その時開催されていたのが、円谷プロでウルトラマンや怪獣たちのデザイン・美術を担当した成田亨の大回顧展だった。
彫刻家、画家、デザイナー、特撮美術監督と多彩な表現活動を行った成田の作品の全貌を振り返るその展覧会で、幼い自分が夢中になった怪獣たちの原型となるデザイン画に出会い、大人の自分が観ても斬新で格好良い「成田怪獣」たちにあらためて惚れ惚れとした。
コミカルな存在であったカネゴンでさえ、デザイン画の決定稿に描かれたそれは、なんと無駄のないスタイリッシュな姿であることか。
そして元々気鋭の彫刻家としてデビューしている成田の代表作とされる「翼を持った人間の化石」を観た時は、造形それ自体の美しさに圧倒されると共に、人間社会に対する優れた批評性に胸をうたれてしまった。
1972年以降も『ウルトラマンA』『ウルトラマンタロウ』とウルトラシリーズは続くのだが、なんとなく設定が世知辛くなったような気がして、中学生になる頃には特撮番組自体観なくなった。怪獣のソフビも何度かの引越しを経てどこかへいってしまった。
最近は怪獣が出てくるTVの特撮ドラマというのは聞かない。かつての怪獣もキャラクター化し、可愛い存在として愛されるようになっている。
恐くて格好良くて子供たちが夢中になった怪獣は、本気でそれに取り組んだ大人たちによって生み出されたのだ。
都市を蹂躙し咆哮をあげる怪獣たちは、いまも我々を魅了してやまない。
登場した特撮番組:『レインボーマン』
→「インドの山奥で 修行して~」などと脳天気に歌っていたが、原作脚本の川内康範は、旧日本兵の遺骨収集の経験をもとにこの作品を書いたという。設定も、日本国の滅亡と日本人殲滅を企む外国人の政治結社「死ね死ね団」(なんという名前!)に対して、祖国愛に燃えそれを阻止すべくレインボーマンが一人孤独に戦うという、非常にポリティカルなものであった。全然、愛の戦士じゃない。ダイバ・ダッタ、関係ない。
今回のBGM:「帰ってきたウルトラマン」主題歌
→東京一作詞、すぎやまこういち作曲、団次郎&みすず児童合唱団歌唱。「ウルトラマン」の主題歌の変奏から始まるこの歌、好きでしたね。
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