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いい意味であきらめる

ぼくはなぜか、小さいころから

『人はどのようにあるべきだろう』

と考えながら生きていた。
なぜ人は怒るのだろう、泣くのだろう、喜ぶのだろう。
悲しい時に笑うのって変かな。

1人でそんな想像をめぐらせていた。
子供にしてはかなりの変人だった。

人を観察するのが大好きで、
人を眺めながらあるべき理想の姿を
無意識に追い求めていた。

大人になって答えを探すも、
生きていく中で苦しいことはなくならなかった。

ブッダの生涯を描いた『Siddhartha』を読んだ時は
ちょっとヒントが得られたかな。
でも答えは自分で見つけるしかない
ということもわかった。

アメリカに長く住んでいたぼくが、
帰国して地元で生活を始めたのは
10年以上前のこと。

毎日特に困ったことはなかったが
小さいころから求めていた、
苦しみから自由になりたい気持ちは
ずっと続いていた。

今の会社は働いて10年ぐらいになるが、
最初の頃は楽しいものではなかった。
がんばっても一向に気は晴れないから
あることを試してみた。

英語には「Surrender」(サレンダー)という言葉がある、
降伏する、とか 身を任せる という意味があるようだ。

このサレンダーを試してみることにした。

生きていて、なるべく何もしない、
と言っても普通に仕事はこなすし
家でご飯も食べるのだが、
会社員として必要な最低レベルで生きる。

その間、常に1つのことだけに集中した。
それは"ありがとう"と心の中で言い続けること。

ホ・オポノポノという
ハワイの問題解決方法があって
ありがとうと言い続けることで
心が晴れてくるというものだ。

おそらく数年間は、あきらめた(サレンダーした)生き方をしていた。
その間は、ただ"ありがとう"と心の中で言い続けた。

すると少しずつ動けるようになってきた。
自分のためだけに動くというよりは
周りの状況に順応した動き方が
できるようになってきた。

気を使わずに、同時に周りと調和できる、
そんな毎日の動きになってきた。

すると会社で働くのもそれなりに楽しくなり
家でもうちの奥さんの手伝いができるようになった。

自分の周りの環境とも、いい感じで
バランスが取れるようになった。

その頃 ”ありがとう” と毎日1,000回ぐらいは言っていた。
ここまで来れば変人を通り越して
プロのアスリートみたいな気分だ(笑)

今ではもう毎日1,000回言わなくても良くなった。

ぼくは自由になったのだろうか。

(終)




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