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ラビリンスを歩こう

みなさん、ラビリンスを知ってますか?
迷路のように歩く道なのですが
迷路とは全く違う。

今回は1度はぜひ歩いてほしい
ラビリンスのお話です。


ラビリンスと迷路の違い

写真はテキサスにあるリッチランド・カレッジ内にある
ラビリンスです。
訪問した際にたまたま見つけ、歩いてみました。

入り口にはラビリンスの説明がありました。
こんな感じです。

“ようこそラビリンスへ。
ここは歩くことで安らぎを与え心満たされる場所。
古代から精神世界で伝わる、人生と魂を映し出す場所。
一見迷路に似ているけれど、ラビリンスの通り道は1つだけ。
間違った方向を選んだり、行き止まりはありません。
ご自分のスタイル、リズム、ペースで
周りの草木、大地、歩きながら感じられるもの、
と共にお進みください。”

ラビリンスへの招待

ラビリンスは最後に真ん中に到着します。
通り道は1つなので迷路のように迷うことはありません。
必ずたどり着きます。
ですがこの違いは歩いてみないと体感できない。
おそらく今の自分の状態を反映してくれる
不思議な世界です。

入り口

実際に歩いた感想

入り口から1礼して前を見ると
最後の到着地点はすぐそこにあります。
ですが歩き始めてすぐに左しか行けなくなり
その通りに進みます。

まず感じたことは自分の進む道は
自分の意思では決められないのかなぁ、ということでした。
次にどっちに行くのかさえわかりません。

真ん中に到着地点があることがわかっているので
近づくともうすぐか、と思うとまた遠ざかります。
行ったり来たりと一体何をしているのだろうという
思いまで浮かんできます。
本当に到着するのだろうかと少し不安になります。

only one path(通り道は1つだけ)

だけど、周りの草木や土を踏む感覚に集中していくと
今歩いていることがすごく神聖で安らぎを与えてくれる、
そんな気分になってきました。

全てを委ねて1歩1歩歩いてみようと、
いつの間にか最終地点への到着よりも
歩いてること自体を楽しむ自分がいました。

途中で立ち止まってもいいし、周りも眺めてもいい。
この時点で必ず到着することを確信していました。

そして真ん中の最終地点へ到着。
なんとも言えない達成感でした。
到着したことよりもそれまでの1歩1歩に
迷いがなくなっかことが大きかった。
もしかして今生きている人生も本当は同じではないのか、と。

最後に

海外では信仰に関係なく多数の歩けるラビリンスが存在します。
日本でも一部の教会や学校などで存在するようです。
もし近くで発見した場合はぜひ歩いてみてください。
日常の悩みが解決される良いきっかけになると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

(終)

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