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たまには近所を散歩でも



強い台風がくるというので、週末の予定をキャンセルしたのに、結局そこまで天気が荒れず、ぽっかりと予定が空いてしまった。

午前中は家の掃除やベッドシーツの洗濯で終わるけれど、午後は時間を持て余す。

ダラダラネットフリックスでも見れれば良いのだけれど、休日の昼間から外にも出ず、画面に向かって受動的に時間を潰すというのが性分じゃない。

サブスクが流行ってアニメを見る層も増えたけれど、私は上記の理由から、俄然漫画を読んだりゲームをする方が好きなのです。似てるようだけど、後者の方が自分のペースでできるし、どこか能動的な感じがしませんか。

本当なら半日でも時間が空いてれば東京にでも遊びに行きたいところなんだけれど、わざわざダイヤが乱れるリスクを冒しながら無理していくタイミングでもなし。


ので、車で行けそうな近場ということで、近所の熊谷文化スポーツ運動公園を初来訪してみた。(※熊谷市民ではない)


ちなみに、当初は伊香保の榛名山や、秩父の浦山ダムが候補に上がったんだけど、こちらも天気が急変したらなんだかやばそうだし、片道2時間弱は半日旅行の距離ではないなと思い断念。行けるとは思うけど、帰って来れなくなりそう。


熊谷文化スポーツ公園。


話には聞いてたけど、広かった・・・・・。
もう、とんでもなく広かった。


熊谷はラグビーが有名なので、ラグビー場も併設されてるんだけど、とてもじゃないけど広すぎてそちらまで足を運ぶ気力がなかった。




私、行ったことがない場所を散策するの好きなんですよ。

いや、みんな好きだと思うんだけど、なんかマップそのものを制覇するのが好きというか。

行く前に地図を見ても、全然イメージが湧かないものが、自分の足で歩くことで、一気に解像度が上がるのが気持ちいい。だから無駄に敷地内をうろうろしてる。
屋外だけじゃなくて、屋内、デパートの各フロアとか、大型商業施設とか、ディズニーランドとか、別に近所でもなんでも良くて、へーここの道がこう繋がってるのかとか、散策してるといろんな発見があって楽しいよね。逆に、マップを制覇できれば良いので、その場所で何かアクティビティしたいとか、アトラクション乗りたいとか、そういう欲求はあまり無い。

マインクラフトでも、ひたすらマップの端を目指して歩いたり、地下を掘って穴を繋いだりして満足してるタイプ。



さて話は戻して。
そんな広い熊谷文化スポーツ公園を、ひたすら歩いて来た。

やっと暑さもちょっと落ち着いて、外を歩ける気候になってくれて助かるな、と思いながら歩いてたけど、その代わりものすごい湿度だった(それはそう)。


ちらほら親子連れや、ランニングしている高齢者を見かけるものの、あまりに広すぎて遭遇率が低い。楽しそうにはしゃぐ声も、私の耳に届く前に空へ拡散されて、どこか遠くで聞こえてるようなそんな感じ。


いいな・・・これくらいの人口密度・・・・・・。


日々日本の人口密度の高さに息が詰まりそうになっているので、たまにこういう自然の中に行くと気持ちいい。

広い
広い


でも、たまにでいいな。

蜘蛛の巣にひっかかったり、歩道をカラフルな芋虫が歩いているのを見てオゾゾゾゾ…としながら思う。


私は何よりも芋虫毛虫が苦手で、なんならゴキブリよりも苦手。


以前勤めてた職場が、1年毎に毛虫と蜘蛛の大量発生を繰り返す謎の環境下にあったのだけれど、私が勤めた年は毛虫のターンでした。控えめに言って地獄だった。


地元の運動公園は、野球場やら屋外50mプールがあったっけ。


50mプールがある環境って、実はそう多くなくて、埼玉だと大宮とか川口の方に行かないと無い。栃木にいた頃も、大学の水泳部は小山の方に通っていたから、実は貴重なんだよね。



運動公園に来る地元の小学生達を見てると、自分の小さい頃を思い出す。



小さい頃、夏に、よく地元の運動公園に併設されてた科学博物館に、兄と一緒に自転車で遊びに行ったっけ。

周りの木々から鳴り響く蝉の声を聞いてると、よく祖父母の家に遊びに行って、飽きもせず虫取りをしたな、と思い出す。


祖母や母が茹でてくれた山盛りのそうめんをみんなで食べたな、とか。

新潟の従兄弟たちと一緒に海で遊んだな、とか。



そういう楽しかった夏の思い出の欠片を探したくて、夏の終わりにはふらっと自然の中へ出かけたくなるのかも知れない。もしくは夏の思い出と共に去来する郷愁の念みたいな何かを振り切りたくて、黙々と歩きたくなるのかも知れない。


この子達の何人が、将来地元に残るのかな、なんて思いながら眺めてしまう。

地元に居着く、という人に少し羨ましさを感じる。

自分自身が中学校から地元を離れて、大学も県外、その流れで就職、出向で首都圏へ出てしまい、ついぞ地元に帰ることがなく現在に至っており、故郷ですとか地元ですと言えるほど思い入れのある土地がないからだと思う。だから、地元そのものに自分のアイデンティティを見出せる人が羨ましい。


たとえ出生地に戻って暮らしても居心地が悪いし、だからと言って今家を建てている場所に暮らしたとしても、そこが自分の故郷、とはならない気がする。なんなら終の住処はまた別の場所な気もする。物理的には根をおろしたように見えても、心の中ではふわふわと地に足着かず、安息の地を求めて死ぬまで彷徨うんだろうな。



室生犀星の有名な詩で
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
というフレーズがあるけれど、こんな夏の終わりの日は、とくにその詩を思い出して辛くなる。


私にとっての故郷は、両親や兄妹、祖父母や従兄弟達と過ごした夏の楽しかった日々であり、皆大人になり、祖父母や親戚の何人かはこの世を去り、もう決してあの頃には戻れないと分かっているのに、それでも心のどこかで未だに故郷に帰りたいと切実に願ってしまう。きっとそれは私だけじゃなくて、多くの大人たちが感じてることなんだろうな。同じ夏は二度とこないからね・・・・・ああ、辛い・・・・。



つらつら書いてるうちにセンチメンタルになって来たけど、なんの話をしていたんだったっけ。ああ、運動公園を散歩する話だった。毎度書いていて思うけど、話が脱線しすぎる。まぁ、テーマなんてあって無いものですし・・・・。




もうすぐ16時。
休日の12時−16時をうまく潰せれば、あとは夕飯の支度や家族が帰ってくるやらでセンチメンタルな気持ちも吹っ飛ぶので、今日の過ごし方は上々だったかな。




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