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2023 旧暦新年

2023.1.22
家族の座 with Daso  + 追記

新幹線からの富士山 朝は格別の美しさだな

東京行きの新幹線から見えた雲ひとつない富士山を横目に、この週末は充実した時間にしかならないと予測はしていたものの、そんな予測を軽く超えてくる現実。誰ひとり欠けても同じ体験はなかったであろう、全員の参加で仕上がった場が秘めていた可能性。一個人の想像力など到底追いつかず、25名そしてそれぞれの魂のつながりの皆々さまが持ち寄って創造された時間と空間。

この10年の間に何度となく参加してきたこのワークの中でも大きな規模のグループだった今回。規模の大きさとか小ささに意識が及ばないほど、わたしにはそこに自分がいることが自然なこととして感じられる集まりにしか感じていなかったのがあとからよくわかる。信頼している先生や仲間そして友人たちと会場作りを始めるときからもう樂しくて、少しの緊張はありつつも、くつろいでいる自分もいた。

2日間久しぶりに対面でのコンステレーションの場に没入してみると、命の繋がりがあるところには必ず愛があることを、どうしてこうも忘れてしまうのだろう、なんて思えてくる。そう、誰かのコンステレーションを目撃するたびに、そこには愛しかないことを突きつけられてきたのに。何度も、何度も。

親に〜〜してほしかったのにしてもらえなかった。
だから怒っている。悲しんでいる。

子どもに〜〜した。
当時の未熟なわたしには〜〜することしかできなかった。

ただ、愛ゆえに。

既視感のある光景と何度となく聞いたことのある台詞(英語では、ヒーリングセンテンスと呼ばれてます)に触れながら、なんの涙がわからない涙が幾度となく流れた時間。

でもその反面、こうしてついわたしのエゴが、愛しかないことなんて忘れてしまったかのように振る舞うからこそ、コンステレーション/座が可能にするような『思い出すプロセス』が自分を成長させることにもつながるんだなあ。初日ワークがはじまっていくときにDasoが、

どんなたましいも成長したがっている

という話を聞かせてくれた。本当にそうだと思った。そうでなければこの生を選ぶことも授かることもなかったと思いたい。誰しもが。

成長するプロセスを味わうならば、内なる葛藤としてやってくる心地よくない瞬間があっていいし、その心地の悪さ故に排除したくなるものにこそ、思い出すきっかけがたくさん詰まっているんだなあと。

そして、どんなプロセスも、体験することでしか味わえない。つまり生の感情が伴わないと、体験したことにはならないんだな、というのがようやく見えてきた今日このごろ。

そんなコンテクストに置いて、人生の成功とか自己実現とかの類の言葉が妙に陳腐に感じられてしまう。

でもそんな成功を追い求め、まだ30代を当時それなりにもがきながら生きてきた私は、

一足飛びで、一気に苦痛やもどかしさを超えたところに辿り着けたらきっと毎日が楽しくて充実するに違いない!ところで、一体そんなやり方はどこにあるんだろう?どうやったらそこにたどり着けるんだろう。

そんな風に思いながら、違和感を感じながらもサラリーマン社会での成功のために、そうすることで親を喜ばせるために、そして、わたしを幸せにしてくれる人と出会って、親が死んだあとも天涯孤独にならずに安心して暮らす準備のための結婚生活をはじめるために、前のめりになりながら、生きていた。

そんな中でたどり着いたのが、ファミリーコンステレーション/家族の座だった。

今でも時々、開かれたコンステレーション/座の中の緊張がゆっくり解かれるのを見ているとき、わたしのエゴは『そんなの遠回りしてるだけだ』とうるさく茶々を入れてくる。でも、その遠回りのように感じるプロセスがもたらすことこそを、今一度信頼しよう、と自分に確認することになった、この二日間。

なおこはファミコン愛を確認した。(笑)
そしてコンステレーター道を地道に歩んでいくことも。

2日間のわたしにとって思い出すプロセスを手伝ってくれた数々の座やひとりひとりの気付きのシェアリング。あの場に起きることに真剣に寄り添う姿勢があったからこそ、終わったあとのなんとなく名残惜しいようなそれでいて終わって安堵して楽しさが込み上げてくるような対極が味わえたのかなぁ、なんて、わたしのマインドは今日も分析が好きです。

ようやく新年が明けた・開けた感じがします。
新月とともに。

#familyconstellation
#ファミリーコンステレーション
#家族の座

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