【ネタバレ注意】『羊水に還る』に対する独自の物語 2/2
※柄シャツ男さんの創作写真集『羊水に還る』に対し、かなり独自の解釈をしています※
※まだ写真集を見ていない方はネタバレにご注意ください※
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後藤裕司の場合
彼はその部屋で目を覚ます。寝ぼけ眼で枕元のスマホを確認するともう昼時を過ぎている。灯りが消された部屋の中に高くなった太陽の光がたっぷり入ってきていて明るい。寝すぎたな、と思いつつも起き上がるかどうかうだうだと少し迷う。今日もとくに何か予定があるわけではないからだ。ぼんやりとした意識の中で空腹を感じた彼は、仕方なく起き上がることにした。
冷蔵庫をあけると目に飛び込んでくる鮮血まみれの肉。部位ごとに分けられジップロックや瓶に入っている。彼は疑問も躊躇いもなくそのずしりとやや重い袋を持ち上げ、どのように調理するかどうかを考える。と言っても焼くか煮るかどちらかの選択肢しかないのだが。
売られている豚肉や鶏肉が血にまみれていないのはちゃんと血抜きされているからなんだなあ、と手やまな板が赤く染まっているのを見て思う。グロテスクだ。肉を丁寧にフライパンで焼きながら、そういえば、大智が熱心に勧めてきた「ゴールデンカムイ」には仕留めた生き物を食べるために血を抜くシーンがあったなと気づく。もうすぐ完結するから今読んだ方がいいと語っていたことを思い出し申し訳なくなる。でも、僕が読めばいいんだよね。
空いたワイン瓶に雑に飾られた二本の白い花が枯れている。同じ机に広がっている喜びの報告に満ちた招待状と不釣り合いになりつつあるが、どちらもあの日から片づけられていない。その机の限られたスペースにただ焼いただけの肉の皿とスマホを置き床に座る。この肉を食べているときが一日の中で唯一幸せを感じられる時間だ。ながらスマホは悪いと思いながらついついと動く手が、あるニュース記事で止まった。その記事を一文字一文字確認した彼は、ゆっくりと水を飲み深い息をつき安堵する。“誰も僕が描いたストーリーを疑っていないんだ”と。
『東京 男女2人行方不明 捜査難航中 情報提供望む』と題されたその記事には、裕司の家に大智と美香が訪れたが、大智が30分外に出ていた間に裕司と美香が家からいなくなっており、行方がわからない状態だと大智が証言したという内容だった。それを読み終えた彼は、自分でもよくまあこんな嘘を堂々と警察に言えたものだと思う。実は書かれていることほぼすべてが間違っている。なぜならこの記事は、彼が大智になりすまして証言したことを元にしているからだ。
2022年3月13日午後11時ごろ。
彼、つまり後藤裕司はこの部屋で双子の弟である大智とその妻・美香を殺した。計画性はなかった。殺してしまったあと、自分が大智になり代わればその事実を隠せるのではないかと思いついた。幸い双子の彼らを見分けられる人間はもういない。稚拙な思いつきだったが警察やマスコミはそれを信じたようだった。それ以来彼は大智と美香の家であり犯行現場であるこの部屋で寝起きし、大智の服を着て、大智として生活している。
2人で寝ていたにしては少し狭いベッドに寝転がり、スマホで例の動画を再生する。それは大智と美香の結婚式で流すために作られた友人からのサプライズ動画だった。
兄として確認してほしい、と知人から送られてきた動画がこのような事態を引き起こしてしまうとは思ってもみなかった。どのように撮ったのか、美香も大智もカメラに気づくことなく話し続けている。その話を聞いているうちに2人と自分の認識が明らかに違っていたことを理解させられてしまう。彼らは仲の良い幼馴染3人組だったが、本当はずっと2人と1人だったのだ。彼にとっては幼い頃から大智と自分という2人の中に美香が入ってきたという感覚があったが、大智と美香の間はいつの日からか友情から生まれた強固な愛で結ばれていた。
彼はこんなにも2人の中に自分がいないことにも衝撃を受けたが、心のヒダまで一緒だと言ってくれた大智が、結婚を決めたことによって「誰よりも美香を一番に愛している」と宣言するのだと思い知り大きなショックを受けた。彼と大智は生まれたときから自分たちの意思とは関係なくお互いが特別な存在だった。だが大智が意思を持って美香を選ぶなら、僕は一体どうなるのか?そう考えたとき、生まれたのは美香への憎しみと大智への歪んだ愛情だった。
壁に貼られた複数枚の写真。大智と美香が貼ったのだろう、3人で写っているものもあれば2人の仲睦まじいものもある、が、美香の顔だけ塗りつぶしてあることで不気味さが漂う。幸せそうに結婚指輪を見せる2人の写真をぐしゃっと握り剥がす。真ん中の美香を顔をつぶし、強制的に2人の写真とした1枚を手に取りじっくりとそれを眺めていると、愛おしさと共に彼らを殺めたときのあの激しい感情がぼこぼことわき上がってくるのを感じた。それに支配される前に立ち上がり、換気扇の下で煙草に火をつける。1Kのこの部屋は玄関をあければすぐに台所があり廊下を挟んだ向かいには風呂場がある。煙草の煙をくゆらせながら風呂場を見つめる目は虚ろ。ああ…美香の死体をなんとかしなきゃいけないんだよな。そのためには外に出て少し準備をしなくてはいけない。大智が愛用していたナイフのように大きい一枚刃の剃刀を使って髭を剃る。だんだんと鏡に映った自分が大智に成っていく。大丈夫、僕らは完成に近づいている。
あ、なんで今この映像が見えたんだろう。僕がこのアパートを訪れたときの、白い花2本を持って大智がドアを開けるのを待っている、僕自身、がパシ、と瞬きする一瞬の闇に映り込んでくる。あの日の僕は、1本は大智に1本は美香にと思って、ちゃんと祝おうと思ってここに来たのは間違いない。間違いない、と思う。いや、もう、こうなってしまったらわからない。殺意というものの基準がわからない。愛してた、だから殺した、だから、食べた。
あれ?バカッと開けた冷蔵庫に、ない。あ???そんなはずはない。ガス台の下。ない。上の戸棚。ない。鮮血にまみれた肉が、大智がいない。あああんなにたくさんあったのに。もう、大智は、どこにもいない?いや、違う。ちちちがちがちがうちがうちがう。いないということはここにいるはずだ。僕の中に。細胞に。いや?でも?これが本当に完成なのか?完成ならば?完成と仮定するなら?どうして、こんなに、息苦しいのか、どうして、こんなに、納得できないのか、わからないただ息がとても苦しい。僕は僕のルールに則って大智を毎日毎日食べていたそうすることで僕らはまた2人だけに、2人がひとつだけになれると思っていた、いる。僕は今も間違っていない。間違っていないのにどうして僕はこんなにも僕のままなんだろう?僕を完璧に理解して心の底から愛してくれていた大智、だいちは、僕と同じじゃないの????
思わず確認するのは鏡の中の顔、はやはり大智そっくりで、大智と僕は同じ卵子から生まれて同じ羊水で2人になったんだから、ただまたひとつに戻っただけだそれが僕の最高の愛し方だと思う、と同時にもうこの世界では僕らは双子ではなくなってしまったこと、この顔を持つ人間が僕一人になってしまったこと、それはつまり誰も大智を双子の僕を認識しなくなるということに気が付き愕然とする。僕は大智で大智は僕だと理解しない世界はなんて恐ろしいんだろう愚かなんだろう無意味なんだろう?そうだそんな世界なんてもう……どうして気づかなかったんだろう?そうだよね。
彼はナイフのような大智の剃刀を持ち風呂場へ。何かを隠しているブルーシートが空間を占拠している。それを横目に彼は水が張られた浴槽の淵に座り、その腹を、自身の腹をびびびびびと掻っ捌いていく。だばだばと大量の血が流れだし彼の意識はざあっと混濁していく、どっどっどっどっ、壊れたポンプのように心臓が激しく体外へと血を流していく、どっどっどっどっ、彼は大智の死体をそうしたように、裂いた腹の中から自分の内臓を引きちぎる、どっどっどっどっ、僕らはこれでわかり合える、どっどっどっどっ、痛みで白濁した頭で思いながらその肉塊を口に含む、どっどっどっどっ、これで僕らは本当に羊水に還るんだ、どっどっどっどっ、だけど彼は、どっどっどっどっどっ、最後の最期にわかってしまった、
大智は今の彼をわかってはくれないということに。
どぼん
actor:柄シャツ男
photographer:ホンダアヤノ