【ネタバレ注意】「飽く」に対する独自の物語/連載中
※柄シャツ男さん×オクトさんの創作写真集『飽く』に対し、かなり独自の解釈をし、捏造しています※
※まだ写真集を見ていない方はネタバレにご注意ください※
柄シャツ男×オクト
創作写真集
『飽く』
製本版発売中
↓
▼修から見た世界
俺はMBTI診断をやらない。
やらないという確固たる気持ちがあるわけでもないが、くだらないと思っているんだろうと言われるとやや当てはまる。そう思った経緯もきちんとある。昨今MBTIが就活でも使われているというネットニュースを見て、それほどまでに世間に浸透しているのかと驚き、どういったものかと覗いたことがある。ずらりと並んだ質問に自分で「賛成する」か「反対する」かそれとも「中立である」かどうかを選んでいく様式であることを知ったとき、これではバイアスがかかるだろうと思った。「自分はこう思う人間でありたい/ありたくない」というバイアスだ。いくら自分に正直に、と言っても自身で思考して選ぶ以上、無意識の願望を完全に無視できる人間がどれくらいいるだろうか。つまり社交的でありたいと思う人は「定期的に新しい友人を作ることを心掛けていますね」に賛成したいし、自己肯定感を高く持ちたい人は「些細なことでも間違えると、自分の能力と知識全般を疑ってしまう」に反対したい。そのバイアスがかかればかかるほど実情とはズレていくだろう。つまり、結局MBTI診断でわかることは"なりたい自分"であり自己では無い。思考回路を介さない血液型の方がみなが薄っすら信じていないあたり、まだ楽しめる。以上の理由で「俺はMBTIはくだらないと思う」と言える。
というのが誰かになぜやらないかを問われたときに言おうと思っていることだが、本当に自分に正直になるのであれば、俺自身が答えられる質問は少ないだろうと思っているからやらないのだ。30半ばの社会人男性は一般的に賛成すべきであろう、反対すべきであろうという外から入れた知識でしか答えられないからである。それくらい俺には“自己”がない。すべてが平均点、当たり障りのない人生を送ってきたからだろうか。心身ともに健康な両親から生まれ、教師からハッパをかけられない程度の学力でそこそこの大学に進学し、平均年収どんぴしゃりな人に笑われない程度の中小企業に就職しこれ以上ない平凡な人生をごく淡々と送っている。誰かが「喜びもない代わりに悲しみもない」と歌っていたがまさにその通り。平凡であることが価値あることとされる風潮の中で、平凡ど真ん中をいく俺が幸せを感じないということは一種の皮肉だろうと思う。両親は普通に愛情をかけて育ててくれたと思うし今もそれは変わらないが、変わらずそこにずっとあるせいでそのありがたみも貴重さもあまりよくわからない。恵まれてると人は言うだろう。だが起伏のない人生は感情を生まないらしい。喜びも悲しみも人よりもかなり薄味で感動することなどない。すべきことがわかってもしたいことがわからない俺はMBTI診断をするまでもなく、ただの凡人だ。
その事実からできるだけ目を離そうとする俺は常に本と共にあった。
ジャンルにこだわりはない。古典から現代まで、小説からビジネス書、聞いたことすらない国のものまで片っ端から手に取る。どこかに俺が心の底から共感できる、俺にとっての正解が書かれていることを願って何十、何百、何千と読了してきた。たった一文でいい、この世を生きていく意味が見出せるような、本当に死ぬ意味が理解できるような一文を求めてきた。が、未だに突き動かされるような言葉には出会っていない。それは作家に俺のような凡人がいないからかもしれないし、俺の感度が低いせいかもしれないし、そもそもそれらを求めるなら今すぐ本を置いて何か行動すべきなのかもしれない。わかってはいるがどうしても現実で得られないものをせめて情報としてでも知ろうとしてしまう、俺の悪い癖だ。
つづく