利便性を第一にキャラを作ったら、できたのは森でした ~「そこにある森」ができるまで~
1.試遊会で
「そこにある森」、騒乱イバラシティENo.1047。
試遊会の世界線においてはイバラシティのどこにもこのキャラクターは存在しない。
その際の使用キャラクターはENo.798、会中灯。
第一回のプロフィールはこの通り。
オウナカ アカリ。
某中学2年生、14歳。
名前の通り、自分の周囲や身体の一部に光を灯す異能を持つ。
が、フルネームに加え本当に明かりにしかならない光量からついたあだ名は「懐中電灯」。
当然本人が気に入るわけもなく、いつも不機嫌な顔をしている。
彼女の通う中学校には「学校の七不思議」がある。
創立の頃から存在し、時代によってさまざまに内容を変え、『すべて知ってしまうと、その生徒は死ぬ』で締められるそれは、イバラシティにある大小様々の学校にはありふれた話だ。
だが彼女の学校にある七不思議のおかしなところは、『八つ目』が存在するという噂である。
その、耳にしたことはあるという程度の話に、特に彼女は何も思うところはなかった。
ある日その真偽を調べに行くと意気込んだ友人達により懐中電灯代わりに連れて行かれる日までは。
通っている中学校の名前すら決まっていない。
実際に地図上に施設を建造できるゲームにもかかわらず!
このキャラクターはPTM、八つ目の七不思議ことヤツメさまとの設定合わせによって誕生している。
設定合わせ当初はプレイスも建築してみたいという話も出ていたのだが、実際に1000人超の参加者が自由にプレイスやスポットを建造しイバラシティの街中を動き回る段になると二人揃って気後れしていた。
更新時メッセージならともかく、リアルタイムメッセージのやりとりには不安を抱える同士。
自分の話をすれば、おおむね何のゲームをしても開始一週間、あるいはそれより前にチャット画面への入り口の存在自体を忘れている。
そもそもチャットをせずとも違和感がないようアリや酸素ボンベなど人型ですらないキャラクターを愛用するプレイヤーに、イバラシティのチャットシステムは重厚すぎた。
しかし自由度とキャラクター表現性の高い異能LVシステム、対人戦をリソースペナルティの心配なく行えるシステムは非常に魅力的で、ゲームの参加そのものを諦めるのはあまりに勿体ない。
問題はチャットシステムと深く結び付いた世界観、そしてそこに参加したい私との整合性だけ。
参加する時間がなかったわけではない。魅力的なスポット、共に話してみたいキャラクターを見つけられなかったわけでもない。
ただ会話をどう始めたらいいのか分からず、そのスポットに自分が踏み込んでもいいという確信が持てず、会話を続けてつつがなく終われる自信もなかった。
ただただ、雑談や日常の描写が死ぬほど苦手なのである。
イバラシティで確かに生活しているはずの女子中学生は、しかしハザマ以外のどこにも活動実態がない。
これは甚だしい矛盾だ。少なくとも私の目にはそう映った。
やはり喋らなくてもいいよう無機物や動物であるべきだろうか。いつもの流れだが、しかしそれもイバラシティのどこかに存在していることには違いない。
そうなれば、どこかで存在を演出しなければならないだろう。
シティマップを始めとするスポットシステムはとても良いものだが私が扱うには重すぎるし、このシステムの上で実態を持とうとすると私は自分にできもしないことを求めすぎる。
そんな中でふと思い浮かんだ案が、
「本編ではキャラクター兼スポットの原っぱとかを作って、チャットに出てこなくとも地図上にあるだけでイバラシティに存在していることにしたい」
時間がもし取れなくなっても問題はない。
何せ土地は自発的には何もしない。風景描写の頻度に影響するくらいだ。
自分で作ったスポットなら、入ってもいいのかなどと疑うこともない。
何せ主人は私だ。
共に話してみたいキャラクターを見つけたとしても動けないだろう。
しかしわざわざ自分が作ったスポットに来てくれたというだけで、そのキャラクターに特別な感情が沸き起こるに違いない。
時期はちょうどこの記事の記載から約1年前、2019年3月。
試遊会3回更新が確定する頃。
テストプレイ中からこの方向は既に決まっていた。
2.開始前
テストプレイ時のキャラクター案に「イバラシティでは植物を成長させる異能を持つ果樹園の主、ハザマにおいては食人植物」というものがあったのもあり、それをベースに「自然」分野の異能を核とするプレイスそのもの、土地であるキャラクターを考える。
対人戦でより多くのマッチングを行いたいことや、そもそも人間ではなく土地であることを鑑みれば陣営は出身・所属とも「多種族の世界」アンジニティが適しているだろう。
しかし、多世界からの様々なキャラクターを容認する傾向にある定期更新ゲームの世界観では珍しく、チャットの舞台であるイバラシティは「人間の世界」であることが明記されている。
ワールドスワップによってアンジニティから紛れ込んだ侵略者たちも、元は人間でなくとも人間の姿となっているキャラクターが大半だ。
土地が土地のままで問題ないのか確認するため、ここでもう一度ルールブックの世界観記述を見直してみよう。
侵略能力により、アンジニティでの記憶・姿を失い、一時的に記憶・姿が『イバラシティに適応したもの』となり、イバラシティの住人として過ごすことになります。
「人間の姿になります」とは書いていない。
限りなくグレーゾーンだが、イバラシティにあって違和感のないものになればアンジニティ出身の土地はイバラシティに存在する余地がある。
世界を跨ぐ上で必須となるこの変身は、私のやりたいもうひとつの重要な要素の要ともなる。
イバラシティとハザマを行き来するイバラシティの舞台は「知っているものがまったく違う姿・思考を持ち立ちはだかる」という展開を演出しやすく、それをドラマ性として捉えるプレイヤーが多い中、ホラー要素との親和性も高いと考えていた。
例えばイバラシティで誰かを暖かく迎えた家が、ハザマにおいては足を踏み入れたものを二度と帰さない生きた密室へと変貌するというような。
このホラー性の核は「知っているものの」変貌である。
そうした点に着目するのならば、まず誰かに存在を知ってもらわなければならない。
そうでなくても、可能な限り自分のキャラクターを様々な人に知ってもらいたいという願望はある。
これはプレイスタイル的にあまりにハードルが高い。
何せ、キャラクターは土地そのものなのだ。
これが人間、そうでなくともせめて動き回る動物であれば、自分から他のキャラクターのいるプレイスに出向き己を認知してもらうことができる。
しかし土地神などの有意思存在を使ったりしない限り、土地でこれをやるのは不可能に近い。
しかし思い出してみたい。
別にキャラクターが人間であってもまったく動き回らなかったから土地をやろうなどということを言い出しているのである。
そうであれば、認知難易度はむしろ逆転する。
リストやランダムリンクを目的もなく眺める時、名前と0番アイコンだけで「このキャラクターは何だろう?」と詳細文を求めて個人結果リンクをクリックさせる力は、名簿のように名前を書き連ねた人よりも二つ名や通り名で概念性を高めた人間や土地、概念、無機物といった定型を外れたキャラクターの方が強い。
もちろん、その代償としてやることはほとんど出オチに近くなる。
そうしてリストで目を惹いたとして「キャラクターが土地」以上のインパクトはそうそう用意できないからだ。
ならば、それを用意してみよう。
「どんな土地か」を更に盛るのだ。
もちろんこれまで、自分の利便性を考え「土地にする」と言ってきた延長線上として、自分がより使用しやすいキャラクターになるように。
3.イバラシティの「そこにある森」
自分が使用しやすいキャラクターを作るにあたり、重要になるのは
・ストレスなく長期使用できるキャラクターにしたい
・プレイスタイルと見合う(矛盾の出ない)キャラクターにしたい
の二点だと考える。キャラクターを土地にしようなどと言い出したのも、そもそも後者を考えたからだ。
では前者、「ストレスなく長期使用できる」を考える。
ここではイバラシティでの姿、スポットとしての土地を考えるので、長期使用しやすさとして
・他プレイヤーとのトラブルを避けやすい
・描写を簡便に済ませることができる
・可能な限り人間の日常描写を行わずに済む
の3点を満たすスポットを考えたい。
まず「可能な限り人間の日常の描写を行わずに済む」。
産業用・居住用を問わず、建物にすると人を住まわせなければ幽霊屋敷や廃墟物件と化してしまう。
人間を不在とするだけが目的なら別にそれでも問題ないのだが、問題は1で述べた「イバラシティの姿とハザマの姿の落差によるホラーを演出したい」という目的と衝突する点だ。
怖くないものが怖くなるから恐ろしいのであり、元々有害なものがさらに有害になるとやや方向性が変わってしまう。
この点からも、そしてハザマでメインとする異能が「自然」であることを考えても、人工物ではなく緑の残る場所がいい。
しかしイバラシティは多くの人が住み、行き交う場所である。いくら広いとはいえ、そのような街に遊びのある自然的な場所が残るのだろうか?
わからない。この文章を書いているのは人口30万の地方都市を大都会とみなす片田舎の人間である。
ので「残るのだろうか」と問うことをやめることにした。
「こういう場所だから残った」と言える理由を作ってしまえばいい。
せっかく異能のある世界なのだから、異能のある森が存在してもおかしくはないのだし。
その次第によっては
「描写を簡便に済ませることができる」
「他プレイヤーとのトラブルを避けやすい」の二つを解決し、
同時に「キャラクターが土地」を超える第二のインパクトを付与できる。
では、それに足りる理由とは何か。
人に聞けばいろいろな答えが返ると思う。
私が考えたのは以下の通りだった。
「この土地には何人たりとも手出しできない」
普通、ロールを行う場ではこんなキャラクターは禁じ手だ。
自分のキャラクターが取った行動にろくな反応を返してくれないことほど困るものはない。
しかも自分が考えた行動を何事もなかったように無効化するのは、その動きを考えるのに使った労力をまったくの徒労にする行為である。
が、このキャラクターは土地だ。
自律移動して誰かの行動を勝手に無効化することは、少なくともイバラシティのチャットではあり得ない。
土地を訪れるかどうかには、訪れる側に大きな決定権がある。
性質をプレイス説明、キャラクター説明に明記し、元々そういう土地であることを訪れるPCのPLに了承した上で使用してもらう。
そうすれば「無効化」という性質について少なくとも暗黙程度の合意は取ることができる。
繰り返すがこの性質は、非常にマイナスの感情を抱かれやすい。
さらにイバラシティの世界観上、そもそも「土地」というルール違反すれすれのキャラクターで参加することそのものへの反感を持つPLももちろんいるだろう。
しかし、訪れる自由は土地ではなく動き回る側にあるのだ。
どうしてもこの土地の存在が許せなければ、訪れず存在そのものを忘れてくれればいい。話に上がるのでもなければ、土地が勝手に目の前に現れるようなことはない。
この土地が土地であるのは、不幸な接触を避けるためでもある。
そして、「無効化」にこだわるのにはもうひとつ理由があった。
土地は好きに訪れてもらえるが、訪れた人を拒む自由もされたことに抵抗する自由もない。極端な例を出せば、土地が更地になるような行動をされれば黙って更地になるしかない。
抵抗できないキャラクターや他者の設定した場所に対し死ぬほどの攻撃を与えることは多くの場合忌避されるが、「騒乱イバラシティ」は登録者が4桁に達する非常に大規模なリアルタイムチャットである。
他のキャラクターのPLが自分と同じプレイ常識を持っている保証はない。
そのため万一土地を更地にすることを厭わない人が来たとしても大丈夫なよう、土地側で可能な備えとして「行動の無効化」という強力な確定描写が必要だったのだ。
しかし心理は複雑なもの。まったくの無効化ではお互いつまらない。
最終的に無効になればよく、それまでの過程は場合によってはむしろ愉快なスパイスになる可能性すらある。
ので、どんなことでも一度は受けられる構えを取った。
タイムループ復活の導入である。
「何をしても影響を受けない」と「何をしても復活する」の違いはわずかだが、後者には確かに一度は影響を及ぼしたという事実が存在するのだ。
更にこれによって、この節の冒頭で挙げた三点のうち「描写を簡便に済ませることができる」を解決できる。
季節に合わせうつろう自然を描写するにはモデル地域である茨城という気候風土がつくる12ヶ月への造詣が必要だが、もし同じ一日をずっと続けている場所なのであれば必要な知識はずっと少なくなるだろう。
何かが失われて戻る性質を目立たせるなら、元々失われる可能性があるものはできるだけ目につくものがいい。原っぱよりは大きな樹の生える森が適している。
その森が一日を繰り返す。
季節を決めるのならば青葉、もっとも森が森らしく見える時季がいい。
こうして緑絶やさぬ「そこにある森」の設定は固まった。
ちなみに「そこにある森」という名前も、この設定を決め切った時に決定した。そのまま、いつでも変わらずそこにある森である。
あまり名前に凝らない方なので、名は体を表すを地でいく方が望ましい。
残りはシティマップ上において、この森をどこに置くかが問題である。
何せテストプレイ中、シティマップのどこにも顔を出していない。
区ごとのカラーを理解するどころか、その区のカラーというものが存在していたことを森スポット建築後に知ったレベルであった。
考えたのはスポットの雰囲気からしても私の応対能力からしても、あまり稼働人口の多い場所は避けた方がいいということ。ややひなびた区にある方が自然だ。
こうした時、シティマップを一瞥すればスポットの密集具合がわかる仕様は本当にありがたかった。
最終的には「暴走した異能、酔漢の襲来など荒いロールでも受け入れられる」という理由や、自然を感じさせるスポットが多かったことから異能に問題を抱える子供を受け入れているとの説明があった(はずだ。現在では企画設定が外部から閲覧できないようなので、記憶違いならばお許しいただきたい)星しろつめ学園や歓楽街ヨシバラ、禍砂の浜を擁するマガサ区に生えることになった。
なお、現在の所在地S-19周りの区画はすべて建造当時には空き地だった。
近所にどんなスポットができるかは選べない。故にできるだけ影響を与えないよう、空き地を選んだはずなのだが……
目途をつけてから建築までの間約3分の間に区画には同時に3軒のスポットが建ち、一瞬にして密集区画となっていた。考えることは同じだったらしい。
しかしこれですべてが終わったわけではない。
スポットが建った第一更新以前においては、未だハザマでの姿やその人物像を明らかにしないアンジニティ陣営が数多くいた。
この森もそのひとつである。
もしもイバラシティにある「そこにある森」を気にかけてくれた人がいるのなら、きっと第一更新の結果を確認しその正体を確かめようとするだろう。
それこそ、期待が頂点に達する瞬間だ。
森そのものがキャラクターという、リストを見た時の第一のインパクト。
何をされても元に戻る森という、スポットを見た時の第二のインパクト。
これを超える第三のインパクトをハザマでの姿や設定に用意し、第一更新の結果を見に来てくれた人々の心を捉えたい。
その三段構えは、今後ゲーム上の取引で関わりを持ったりスキルの使用結果を閲覧しに来た人々に存在を認知させるためのフックともなるだろう。
雑談も苦手なら宣伝も苦手なプレイヤーである。
美麗なイラストを用意し、プロフィールや絵日記でビジュアル面に訴えることもできない。
代わるものがあるとすれば以上のような計算を元にした行動力と、宣伝も感想もなくても自分が書きたければ40更新分の日記を書ききる自己完結力。加えるならば、ゲーム上の強さにおいて結果を残したいという意欲。
キャラクターを知ってもらいたい、そしてできれば楽しんでもらいたい。
そうは言えど、この武器でどれほど戦えるのだろう。
毎更新の漫画日記、濃密に応酬されるリアルタイムロールを初めとした凄まじい技術と演出力が飛び交う世界で。
しかしいくら嘆いても、嘆いただけで戦えるようになる場所はない。
あるものを存分に使って戦うしかないのである。
4.ハザマの「そこにある森」
定期更新ゲームのキャラクターは二つの側面を持つ。
他のキャラクターと関わりを持つ上での方向性となるパーソナリティ、そしてゲームデータとしてのキャラクターの方向性。
ここまでしてきたのは主にパーソナリティ、それもイバラシティでのパーソナリティの話だ。
アンジニティ陣営、特にアンジニティからの「侵略者」であるキャラクターにはその他にハザマでのキャラクターのパーソナリティも必要となる。
こちら側のキャラクターをどうするかの話は、ここまでには微塵も出てきていない。
しかし初期案そのものは存在した。
言うなればフランケンシュタイン、孤独にさまよう人ならぬもの。
突然変異的に生まれたこの森には、恨むべき造物主すらいない。永久に続く孤独を持て余したまま、ただアンジニティの外に自らと同じものがいることを夢見る動く森。
それを踏まえ、ハザマにおける実際の「そこにある森」第一回の更新結果における言動を見てみよう。
孤独や悲壮感のかけらもない。
まるでジャングルから現れたゴリラのような様相である。
古めかしい言い回しのために若干の知性がありそうには見えるが、思考の根幹は相当に単純だ。
こうなった経緯として「実際に台詞入力欄を前にしたところ、当初の想定とはまったく違うものが飛び出してきた」というのが素直な感想となる。
読者の中にそうした体験がある人がいるなら仲間意識を感じてとても嬉しいし、その経験がない人にはそういうことがある者もいるのだ程度で流してほしい。
しかし、そうした意識せず現れたキャラクターであっても、運用に将来的な問題が見えるなら方向修正すべきだ。
それをそのままでいい、この傾向と36更新付き合っていこうと決めた理由を以下で詳述していく。
騒乱イバラシティの世界観上、ゲームシステムとしての戦闘が発生するのはハザマにおいてのみ。
必然的にゲームデータとしてのキャラクターを担うのはハザマ側のキャラクターとなる。そのパーソナリティにも、ゲームデータとしての方向性を反映できるだろう。
データ上の方向性として、これまでに決まっていたのは以下の3点。
・アンジニティ陣営
・メインとする異能は「自然」
・対人戦を積極的に行う
ここに、プレイヤー個人のゲーム傾向を加えていく。
・パーティを組まず、個人行動を主とする
・取引を積極的に行う
の二つは、定期更新方式のどのゲームを行う場合でもほとんどこの通りだったため今回も例外でないと考えられる。
未定だが将来的に決める必要があるのは、
・生産技能の選択
・サブとする異能の選択
だろう。
ゲームデータに直接関係しないものとしては、
・外見設定
もまだ決まっていない。
以上から、ハザマにおける「そこにある森」がどのようなキャラクターなのかを作ることを考える。
メインとする異能を「自然」とするのは達成が楽だ。
イバラシティにおいて森なのだから、ハザマにおいても森であるということにすればこれ以上自然らしいキャラクターはない。
ハザマのゲームシステムではキャラクターが実際に地形上を移動するため、必然的に自ら移動し、戦う森ということになる。
これはイバラシティの姿とのギャップを演出したい、インパクトを出したいという目的にもかなう。
イバラシティにおいては奇妙ではあるが穏やかな森が、ハザマにおいては意志を持ち、動き回り、戦いを挑む荒々しく恐ろしい森となる。
その落差は人の心を掴むに適しているはずだ。
そして同時に、個人行動を好むことの理由ともなる。
このような規格外の森と肩を並べて戦いたいキャラクターは稀有だろうし、森の側からしても釣り合いがとれず動きづらそうだ。
こうした荒々しさ、好戦性を取り入れれば対人戦を積極的に行うキャラクターとしても「否定の世界」アンジニティから訪れたキャラクターとしても自然になるだろう。
しかし、それだけでは純粋に不快なだけのキャラクターとなってしまうかもしれない。より強いものに心を奮わせる勇者も、弱きを挫き強きに媚びるモヒカンも、好戦性という点においては共通している。
元々モヒカン的なキャラクターにするつもりはないのだから、可能な限り不快感は低減することが望ましい。
対人戦を行うということは、誰かに敗北という不快を自分から与えていくキャラクターになる可能性があるのだから尚更だ。
また、いかに元いたアンジニティが終末世界であるとはいえ、その倫理観をそのままハザマに持ってきて対人戦の場で振るうと大事故に繋がる可能性がある。
仮にこちらが殺人すら厭わないようなキャラクターだとしても、実際に殺されるかどうかの選択権は相手側にある。これを勘違いして殺人確定ロールなどした日には戦争が勃発しかねない。
そうでなくとも、殺すことを厭わないキャラクターがなぜ殺さないのか、という疑問が常についてまわることとなる。
それを鑑みると、アンジニティでは殺すとしても、ハザマにおいては殺人を行わないキャラクターであることが望ましい。
ならばそれ相応の倫理観を持たせることが必要となる。
キャラクターがそうした善性の倫理観を持つようになる前提として、社会に属していたり、あるいは大切な人がいるなど、他者の存在を必要とする場合は数多い。
倫理とは隣人とうまくやっていく際に必要になるからだ。
しかしこのキャラクターは森である。
人の社会とはまったくの無縁であるか、関わったことがあるとしてもあまり良い形だとは思えない。
なので、人倫に従うキャラクターという形で不殺を実現することは難しいだろう。
ならばどうするか。
人倫ではなく別の形で不殺に納得してもらうのである。
活動の方針を決めるのは倫理ばかりではない。置かれている状況や当人の価値観の設定次第でも、人を殺さないキャラクターを作ることはできる。
ここでは後者に依ってみよう。
自身の行動を律する価値観。美学とも言い換えることができるだろう。
社会の共通的な価値観ではなく己の美学に従って動く、荒々しさを持つキャラクター。
では、この森が持つことのできる美学とは何か。それを決めるためには、まずどのような美や優越を求めるキャラクターか考えなければならない。
先の通りあまり人の社会とは関わりのあるキャラクターではなさそうだ。元々の交友関係はごく狭いか、ほとんど存在しないだろう。
必然的に視野は狭く、自らの目的を最優先することとなる。
目的。
自然界の生物であれば、究極的に言えば子孫を残すことである。
こんな規格外の森に子孫を残すことができるのかはわからない。しかし、生存していなければその可能性にすら辿り着かないだろう。
ただ生き延びることを目的とする。それはシンプルで強く、揺るがしがたい。
そのために必要な要素としては、狡猾であること、単純に力強いこと、共存する相手がいるなど様々な可能性がある。
巨大な森というキャラクターを最も活かすのは、やはり力強さだろう。
こうして森のパーソナリティが固まった。
力という唯一の価値を信じ、自らが生きることを第一の目的とする。
それは対人戦やそれに勝利する力を求めての取引を積極的に行い、ワールドスワップを成就させる強い意欲に繋がる。
アンジニティという地では、人とは違う形であれ森の生存に危機が及ぶからだ。
そこを抜け出すため活動するハザマにおいて、森は相手を殺さない。
決闘の目的は相手を排して安全を確保することではなく、ワールドスワップを成就させること。より強い影響力を得るため、そして自らの力を示すためだ。
相手が生き延びて相対した己の恐ろしさや強さを喧伝することは、そのまま力が知れ渡ることであり、自分自身の利となる。
言うなれば、武人的な人物像だ。
力を求めるのは求道ではなく生きるため。必要ならば傷ついた者を狙うなども厭わなさそうだ。若干悪の幹部的な部分も見える。
なかなかアンジニティらしいキャラクターになってきた。だがまだモヒカン化する可能性は残っているため、ポーズでもいいので若干の知性は演出したい。
データとしては自然異能の他、サブに武術などが似合うかもしれない。
しかし、この何でもありさからすれば強い技があるならそれが何の異能に属そうと使用しそうだ。
こういうキャラクターならサブ技能は今決めなくとも構わないだろう。
この人物像はそのまま、章冒頭で挙げた入力欄を前にして現れた誰かに酷似している。
案を通す原動力はここに多くの部分を拠っていた。
残りで決まっていないのは外見、そして生産技能。
この二つの決定に関しては強い推進力があった。公式から公開されたスキル一覧である。
テストプレイ時には1種、上書き付加のみだった生産関係の技能が大幅に増え、その中には自然異能との複合も存在した。
自然/装飾Lv20ずつでの複合技能、魔晶作製。
せっかく自然を体現したようなキャラクターなのだから使ってみたい。
おあつらえ向きにサブ技能決定を先送りにもできるし。
なぜこの技能が自然に割り振られているのか。それは「自然」異能の公式解説による。
ルールブックによれば、「自然」異能のイメージは「地、植物、鉱物」。自然界の産出物としての鉱物が含まれているからだと考えられる。
が、そんなことは頭からすっぽ抜けていた。
植物、特に森が作り出す結晶体。つまり琥珀に違いない。
本来生成には相当の年月が必要なはずだが、そこはそのように見える類似物ということで飛ばしてしまおう。
金色は絵的に相当のアクセントになるだろう。輝きを持つ結晶ならなおさらのこと。
ならばその色がさらに引き立つような外見設定を考えたい。金色・黄色と組み合わせて目立つ色は多いが、まず思い付いたのは黒。何しろ襲ってくる危険な森なので、蜂の柄にも似た警戒色として演出したい。
ここでゲーム開始までに森が置かれていた状況について考える。外見は一日にしてならず、必ず過ごしてきた年月や環境の影響が現れるからだ。
アンジニティが舞台のひとつとなった過去作「Sicx lives」について私が知っていることは多くない。しかし当時を知るプレイヤーの証言から、アンジニティは実りなき不毛の地であったことはわかった。
鮮度が保たれていない、あるいは有毒かの判別をしていなさそうな危険な食品が平然と街で売買されるような世界。
そんな場所に突如森が発見されたらどうするか。
伐採されるに決まっている。
薪にするもよし、道具を作るもよし、食べられるものでなくても無毒なら口淋しさを減らすくらいの役には立つ。植物は有用資源である。
おそらく森は強くなり、伐採を目論む人間を追い返さなければ生命の危機に直面するに違いない。力に固執する理由がまたひとつ積み上がった。
しかしいくら強くなりそうな過程を設定しても、ゲーム開始時の常として初期状態ではキャラクターは特に強くない。
これも要素として使うことにした。
既にボロボロの状態でゲームのスタート地点に立たせるのだ。もしのっけから対人で負けても本調子でなかったと言い訳が利くし、傷ついた姿の方が経緯からしてもそれらしい。
枯れた葉は落ち切り、骨組みじみた木々の間から赤いハザマの空が覗く。
その樹皮にはこれまでの人間との戦いによって刻まれた傷が数多く残り、そこから滴った樹液が凝固し金の琥珀となって輝く。
あたかも暗い森の中に潜む無数の獣が、足を踏み入れようとする者を無言で睨み付けるように。
自分で言うのも何だが良案だと思った。武人や悪の幹部というよりは若干落武者じみてきたが、根本的に衝突するほどの変更ではなさそうだ。
ぜひこれを実際のビジュアル、プロフィールイラストにして提示したい。
イバラシティでも森であるというキャラクターの都合、できればどちらの森も一枚のイラストに収まっているのが望ましい。
しかし、そんなものを用意する当てはない。
騒乱イバラシティの開幕に合わせ歴戦のイラスト強者たちがコミッションという形で依頼を請け負い始めたため、資金が用意できればその力を分け与えてもらう選択肢はある。
しかし何度も言うが、このキャラクターは森だ。
コミッションサンプルや料金表を見ても、そんな注文を想定しているコミッション主はおそらくほとんどいない。
背景とキャラクターを描くのに必要とされる技術は多くの場合独立しているとの話も多く聞く。そんな中無理に頼んでは、よくて数倍の追加料金、通常対応としては断られた上で出禁であろう。
お互いにとってあまりに不幸な出会いになりすぎる。
他にはフリー素材を利用するという手もある。背景はゲーム製作などでも悩まされる分野であり、配布サイトは多い。
しかし通常の森、イバラシティの姿には似合うものが用意できるものの、ハザマの姿はフリー素材に求めるにはあまりに尖った設定だ。
その上、圧縮結果を配布するタイプの定期更新ゲームは素材の二次配布の問題がつきまとう。
結局、二次配布について問題がないと考えられたフリー背景素材を1回更新までの繋ぎとして使用し、その間にハザマの姿まで含めたものを自分で用意するのが最善であるとの結論に至った。
強者たちには遠く及ばないが、一応のビジュアルは用意できたということになる。
とはいえ自信がないので、プロフィール文でハザマの姿について特筆することにした。
イバラシティの姿の詳細、何をしても元に戻る森の性質を書く場としては、スポット・プレイス説明文という格好の場があるのだ。プロフィールでのイバラシティの姿への言及は最小限にして構わないだろう。
唯一、イバラシティの森に使う0番アイコンについてはフォロワーさんから快く使用許諾をいただけたものがあり、現在まで使用を続けている。
この場を借りて、1回更新までのプロフィール画像の作者さん共々改めてお礼を申し上げたい。
こうしてハザマの「そこにある森」は完成した。
しかしもう一度最初から見直してみれば、そもそも当初の想定とまったく違うものが出来上がっていることに変わりはない。
悪く言えば場当たり的な行き当たりばったり、よく言えばライブ性を取り込んだ活動である。せっかくなので後者ということにしていきたい。
5.それからとこれから
こうした経緯で「そこにある森」は今の形として第1回更新を迎え、第5回更新を迎える前の今もつつがなく活動している。
もちろんここまで系統立った話が最初から頭の中に思い浮かんでいるのではない。ぼんやりとつながった個々の案をこうして書けるようにまとめ上げたらこんな12000字が完成したのである。
イバラシティ内ではここまで長々と書かないのでゲーム内の長文コミュには入っていないが、基本的に話が長い。
「ぼんやりとつながった個々の案」。
それはここに書いていない、これから本編に使う分もそれなりにある。
ここで書かれたようなことを考えたり考えなかったりしながら、おそらくはこれからもライブ感とともにゲームをやっていくのだろう。
「騒乱イバラシティ」は全36更新予定のうちの5更新を迎える頃と未だ序盤だし、終盤にキャラクターがどうなっているのかは今のところ予測もつかない。
ただその過程が楽しいことを願っている。
ゲームが始まってしまえば、計算が担える場所は少ない。
都度の更新において公式からどんなストーリーが提示されるのかは予想できないし、他のキャラクターからどんなメッセージを受け取るのかも予測はつかない。
計算が役立ちそうなゲームデータ面においてもわからないことは数多い。未見の敵がどのように戦ってくるのか、どんなスキルが強いのか。
しかしその予測できない、不明のものに揉まれてキャラクターは変わっていかざるを得ない。
ゲームが始まった後のキャラクターは常にライブ的な変化の渦中にいる。
決まっていなかった部分が決まっていくことであれ、決まっていたことが少しずつ変わっていくことであれ、ありえないと思っていたことに可能な理由を見つけていくことであれ。
でもできれば、その変化に設定的な矛盾が少ないといいとは思う。
こうしてさも最初から理屈があったように語るのは特技の一つだが、流石に限界はあるので。