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【台本書き起こし】シーズン3「千利休と天下人たち」第4話 織田信長:ボイスドラマで学ぶ日本の歴史

NA:永禄11年(1568年)、足利将軍義昭を奉じて上洛した織田信長は、堺の町に矢銭2万貫を用意するように命じました。今の数十億から数百億円になる大金です。

◯堺・会合衆
主戦派1:信長などただの田舎大名ではないか。
主戦派2:三好の敵ではあるまい。
和平派1:いや、もはや三好の時代ではないのだ。
和平派2:代官が三好から織田に代わるだけよ。
NA:堺の町は対織田の主戦派と和平派に別れました。主戦派は能登屋や紅屋などの古くからの会合衆が中心で旧勢力である三好の復活を未だ信じています。一方の和平派の中心はいち早く織田に取り入り半ば家臣となった新興の今井宗久です。そして問題は最大勢力の天王寺屋・津田宗及がどう出るかでした。利休は堺に戻ると、宗及をお茶に招きました。

◯堺・利休の茶室
宗及:しかし利休さんには驚かされてばかりだ。今をときめく信長様にお会いできるとは。
利休:まさに長慶様のお導きです。
宗及:信長様がそれほど長慶公を敬愛されていたとは。
利休:それに驚いたのは、三好の本分が瀬戸内の海上交易にあると看破されたことです。
宗及:それこそがまさに三好と堺の繁栄の礎、そして我が天王寺屋の最も得意とするところなのです。
NA:琉球や北九州に末寺を持つ法華宗の営業力と、三好水軍による瀬戸内の海運力によって、国際交易ネットワークにアクセス出来る。それが堺の最大の武器であり、信長が本当に欲しかったものでした。事実種子島に伝来した鉄砲はこのルートを辿っていち早く堺に運ばれ、三好長慶の畿内統一を果たしたのでした。
宗及:織田信長は商いが分かる・・新しい武家だ。
利休:宗及様もそう思われますか。
宗及:しかし困ったことがひとつ。我が天王寺屋は石山本願寺と代々のお付き合いがござる。もし信長様が本願寺の宗徒である一向一揆とことを構えるおつもりならば、天王寺屋は表立ってはお力添え致しかねる。
NA:それでも結局、堺は矢銭2万貫を支払いました。しかし天王寺屋宗及が危惧した通り、やがて信長は宗門との争いの泥沼に嵌まり込んでいきました。1570年から始まった石山本願寺との石山合戦は実に11年間にも渡って続き、信長はその間も比叡山天台法華宗と日蓮法華宗の争いに巻き込まれ、長島や越前の一向一揆にも苦しめられました。ただこれらは全て宗教上の問題が直接の原因では必ずしもありませんでした。市(いち)や交易の既得権を保ちたい宗門側と、楽市楽座など物流ネットワークの改革を目指したい為政者との、当然のごとくの対立だったのです。そして信長にはこれらを打ち破る腕力と財力の源があったのです。それが国際交易都市・堺だったのです。

◯岐阜城本丸表座敷
信長:宗易、宗及はまだか?
利休:まもなくこの岐阜城に御到着されることと存じます。
信長:万事抜かりは無いか。
利休:風呂、茶、お食事、全て整いましてございます。
信長:よし。お、蘭奢待(らんじゃたい)はどうした?
利休:上様のお袖のうちの白木箱に。
信長:で、あるか。
NA:天正2年(1574年)、織田信長は岐阜城に天王寺屋津田宗及を招き、もてなしました。信長自らがご飯のおかわりを給し、酒の酌までしたと言われています。さらに蘭奢待というのは信長が用意したスペシャルプレゼントでした。これは奈良正倉院御物の貴重な香木で、信長はこれを足利8代将軍義政以来初めて切り取って所持していたのですが、そのうちの一袋ずつを宗及と利休にあげてしまったのです。天王寺屋に敵に回られると軍事・経済の両面で行き詰まってしまうからでした。それ程天王寺屋は力を持っていたのです。しかし天王寺屋は一方で反織田勢力とのパイプも繋いだままだったのです。それが三好長慶の叔父・三好康長でした。康長は長年甥である長慶の参謀を務めてきましたが、長慶亡き後は三好三人衆と組んだり、あるいは織田家を飛び出した松永弾正と組んだりしながらずっと反信長を通してきた曲者です。ただし阿波国三好本家に隠然たる力を持ち、天王寺屋とは三好長慶と同じほどに深い付き合いなのでした。

◯石山合戦
NA:その年、石山本願寺が再び信長に叛旗を翻すと、三好康長もこれに呼応して反信長の動きを見せましたが、逆に信長に攻められて降伏しました。そして康長は堺衆を通して信長に恭順の意図を伝えてきました。裏で天王寺屋が動いていたのでしょう。

◯相国寺
NA:翌天正3年、信長は三好康長を京都相国寺(しょうこくじ)まで召し出しました。信長はその場に利休も同席させました。
信長:これは、三好咲岩(しょうがん)殿。
康長:信長様にはご機嫌麗しゅう。
NA:康長は剃髪した僧形で、岩が咲くと書いて咲岩(しょうがん)という法名を名乗っていました。茶人としてもこの時代、利休ら三宗匠の先輩格に当たる存在だったのです。信長とは敵味方で初対面のはずでしたが・・。
信長:かねてより咲岩殿にお尋ねしたき儀があって、呼びつけ申した。
康長:その前に、持参したるこの名物『三日月』を信長様にお納め願いたく。
信長:なに?三日月とな。真か?宗易、これへ持て。
利休:かしこまりました。
康長:これはあの利休か!おー久しいの。
利休:咲岩様、ご無事で何よりでございます。
慶長:うむ。そなたもな。
NA:長慶の叔父である咲岩とは利休は顔なじみです。
信長:宗易、開けて見せよ。
康長:先君三好長慶公の弟・実休様より頂戴いたしたものでございます。
信長:うむ。宗易、どうじゃ?
利休:間違いございません。これは河内の戦の折に高屋城にて六つに割れ、それをこの利休が実休様よりお預かりし、接いだものでございます。天下無双の名物『三日月』の茶壺にございます。
NA:この利休が接いだ三日月の茶壺はその値打ち1万貫とも言われたそうですが、本能寺の変で消失しました。
信長:なんという巡り合わせか。またしても長慶公のご縁か。
利休:ハハーッ。
利休の心の声:長慶樣、やはり三好の宝は信長様へという意味なのでしょうか?
康長:して上様には、この咲岩におたずねになりたい儀とは?
信長:他でもない、長慶公のことじゃ。長慶公は若干11で元服された後、本願寺一向一揆との難しい交渉を見事にまとめられておる。あれは家(か)宰(さい)であった咲岩殿のお力が大きかったとお見受けするが?
康長:先君は若干11。ただし本願寺の証如(しょうにょ)様もその時19にあらせられました故、互いに腹を割るのに時が掛からなかったのです。わたくしめは三好と宗門の長いお付き合いを、若いお二人に説いて差し上げただけでござる。
信長:それよ。そなた顕如(けんにょ)にもそれを諭してくれぬか?
康長:と申しますと?
信長:この信長は長慶公の正統な継承者だと、石山本願寺の敵ではないのだと。家臣どもも石山との終わりなき合戦にはうんざりしておるのじゃ。
NA:これには控えていた信長の家臣一同が驚きました。信長は昨日まで本願寺と一緒に反抗していた敵の大将に、首を跳ねるかと思いきや、その本願寺との交渉を纏めろと言っているのです。
信長:咲岩、苦しゅうない。要るものはなんでも、そうじゃこの光秀にでも申しつけよ。
利休の心の声:確かに咲岩様なら顕如様を説得できるだろう。しかしあの明智様のお顔を見れば分かるが、家臣の皆様にとっては面白くはないことじゃ。
NA:明智光秀は比叡山の焼き討ちや越前一向一揆の殲滅戦など、最も凄惨な戦地を転戦させられていました。しかも三好家は、光秀の前の主君である足利将軍家とは因縁の間柄です。面白いわけがありません。さらに事態は、光秀にとってもっと面白くなくなっていきました。まんまと信長の家臣となった三好咲岩康長は一度は石山本願寺との講和に成功するのですが、再び破綻。というか咲岩に纏める気などハナからなかったのかも知れません。天正4年ついに明智光秀らが本願寺との戦さに直接出動します。天王寺の戦いと言われるこの戦で咲岩は早々に敵前逃亡を決め込み、光秀は危うく死にかけるのです。ところがなんと信長自らが救援に駆けつけ辛くも勝利します。勝つには勝ったのですが、信長が足に鉄砲の玉を受け軽傷を負い、光秀は過労で寝込んでしまいます。それ程激しい戦闘でした。さらに、光秀が土佐国国主である長曾我部元親と纏めあげた四国支配の計画が、三好咲岩の復権と共に反故になってしまったのです。信長は一度は光秀を窓口として、長曾我部元親に四国を与えると約束しておきながら、天正10年、咲岩と三男の信孝に阿波と讃岐を与えてしまったのです。おまけに信孝を三好家の養子に出し、長曾我部元親を征伐するとまでいいだす始末です。三好咲岩康長に振り回された明智光秀は困り果てました。ところで、ここからは想像ですが、信長の咲岩贔屓にはこんな理由があったのかもしれません。

◯安土城天守閣
利休:上様には新年の・・。
信長:挨拶は良い。それより宗易、そなたに尋ねたいことがある。
NA:天正10年(1582年)元日、利休は安土城天守閣の信長の元に参賀に訪れていました。そこは信長の天道思想を壁画にした黄金の間でした。一面の金箔の上に曼荼羅や仙人の住む桃源郷が描かれ、天女が舞っています。利休は侘茶とは対極にあるその美しさに圧倒されました。
信長:これが黄金の国ジパングじゃ。
利休:え?
信長:バテレンは日の本のことをそう呼ぶらしい。
利休:さようでございますか。
信長:ところで先ほど三好咲岩が参ってな。ワシに三好の宝を献上すると申すのじゃ。
利休:三好の宝?
長慶回想:そなたが工夫した侘茶をもってして天下人の資質を抱いた人物を見極めるのだ。その男に我が三好の宝を譲る。
利休:さて三好の宝とはいったい・・。
信長:ワシがそれが尋ねておるのだ。そなた長慶公から何か聞いておらぬか?
利休:いえ何も・・・ただ。
信長:ただ何じゃ?申してみよ。
利休:長慶公は天下を取るにふさわしき人物に三好の宝を譲ると仰せに。それがどんなものかはついに知る機会がござりませんでしたが。
信長:なんと。長慶公がしかとそう申されたのか?
利休:はい。
信長:では咲岩の話、あながちただのホラではないかも知れぬな。実はな咲岩が申すには阿波国の三好の里に平家の隠れ里があり、あの安徳帝がお隠れになっていたという伝説があるそうだ。そして剣山(つるぎさん)という山に三種の神器のひとつである草薙の宝剣が埋められているという。
利休:それは、誠に元旦らしくおめでたいお話でございまするが、いかにも咲岩様らしく・・。
信長:アッハッハ!宗易そなたもそう思うか!しかしな、実はワシの先祖にも似たような話があるのじゃ。それによると織田家は平家であるという。そして越前劔神社というところに素戔嗚命の御霊が宿る宝剣が伝わっておる。幼い頃父上から本物じゃと教えられ、ワシは今もそう信じておる。阿波国の宝剣も、咲岩はともかく長慶公が信じておられたのなら、是非にもきちんと調べてみたい。そなたすまぬが、阿波まで行ってきてはくれぬか?
利休:かしこまりました。
信長:今年は関白以下太政大臣、左右大臣、内大臣を招いて茶会を開く。仮にその宝剣が偽物であったとしても、面白き余興になるかもしれん。茶頭は宗易に頼む。
利休:ハハーッ。
NA:その春、信長は朝廷より太政大臣か関白か征夷大将軍のどれかを選ぶよう推任されました。それに先立ち、信長は正親町(おおぎまち)天皇に譲位を要求したのです。もしかすると信長は皇室と姻戚関係を持ち、平清盛のようになりたかったのかもしれません。かくして利休は三好長慶の故郷である四国阿波国に向かいました。まだ長慶が元気な頃、弟・実休の茶会に招かれて以来でした。
利休:長慶様、三好の宝とは、真にその宝剣のことでしょうか?どうか利休をお導きくださいませ。
NA:利休は三好一族の勝瑞城から吉野川を遡り、深い谷をくだり、険しい山を登って、その隠れ里に着いたのでした。
康長:来たか利休。
利休:咲岩様。
康長:ここから先は聖域ぞ。立ち入るにあたっては約束がある。
利休:なんでございましょう?
康長:これから先で見聞きしたこと、決して口外ならぬ。もし禁を破れば天罰が下ると覚悟せよ。

作・演出:岡田寧
出演:
 千利休⇒西東雅敏
 津田宗及⇒平塚蓮
 織田信長⇒忠津勇樹
 三好咲岩康長⇒遠藤圭介
 三好長慶⇒谷沢龍馬
 ナレーション⇒大川原咲
選曲・効果:ショウ迫
音楽協力:H/MIX GALLERY・甘茶
スタジオ協力:スタッフ・アネックス
プロデューサー:富山真明
制作:株式会社PitPa


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