【台本書き起こし】シーズン２お市の方「戦国一の美女」第３話　秀吉と清須会議の陰謀：ボイスドラマで学ぶ日本の歴史

ＮＡ： 天正十年（一五八二年）お市の方と茶々・初・お江の三人の娘たちが小谷城をでて、十年が経っていた。お市の方は尾張国清洲城に住んでいた。織田信長は拠点を安土城に移し、織田の領地は広くなった。合戦の最前線は遠く、お市の方たちが合戦を実感することは少ない。
安土の織田信長からは時折、気遣う書状などが送られてきた。とはいえ、小谷城が落城したときにお市が脅したのがよほど効いたのか、信長からは再嫁の話は出たことがなかった。
お市の方は、自分が戦国一の美女と呼ばれていることを知っていた。それと同時に、あの織田信長でさえ、恐れをなして動かせない女として、織田家中に敬して遠ざけられているということも。

ＮＡ： 天正十年六月二日、織田信長が京都本能寺で明智光秀の謀反によって自害した。本能寺の変である。
お市の方は清州城で本能寺の変を知った。織田信長が討ち死にと第一報が入ったとき、お市の方は周囲に冷静さを保つように命じた。

お市の方： 人はわたしを美しいというけれど、美しいことに如何程の意味があるのだろうかと、今は思いまする。兄・織田信長は若かりし頃、それは美しい武将であった。生きながら魔物と成り果てた後も、美しさへの憧れだけは失わなかった。しかしそれがいったいどれ程の慰めであったのか・・

ＮＡ： そしてわずか十一日後の六月十三日、羽柴秀吉が、山城の合戦で明智光秀を打ち破った。羽柴秀吉から清洲城へは、明智光秀を鎮圧したゆえ、冷静に対応するようにという報せが届けられた。

●尾張国清洲城・奥座敷
ＮＡ： 六月二十五日、羽柴秀吉は尾張国清洲城に入った。織田の後継者を決める会議のためである。
後世にいう清洲会議である。
羽柴秀吉は、清洲城に入るやいなや、真っ先に奥座敷に姿をあらわした。

秀吉： お久しぶりでいやーす。お目通りたまわり、御礼もうしあげまする。
お市の方： 前回は小谷城が落城した時でございました。
秀吉： あのとき、浅井長政殿のご子息・万福丸様を探し、磔にいたしたのは、いかにもわしです。わしの立場では信長様の命令は断れんかった。けれども、ずっと後悔しとります。
お市の方： 羽柴殿が無類の子供好きだとはうかがっております。万福丸の件を深く悔やみ、兄上・織田信長公の命令であっても、人質の子供を殺すことはしなくなった、とうかがっております。
秀吉： はい。
お市の方： ですが、だからといって万福丸が生き返るわけではありませぬ。

お市の方Ｎ： この男が、万福丸を殺したのだ。

秀吉： お市の方様が、わしに遺恨をお持ちしとりゃーすのは、重々承知しとります。ゆえに、とり急ぎ、ご用件とお願いをば。
お市の方： わたくしに、何の力もありませぬ。
秀吉： わしの嫁に、なってくりゃーせ。
お市の方： はい？
秀吉： 嫁に、なってくりゃーせ。
お市の方： 羽柴殿の女好きは、この清洲城でも、よく知られておりまする。
秀吉： それはそれは。
お市の方： 羽柴殿は、女を口説くときに『やらせてくりゃーせ！』と絶叫しながら土下座なさるとか。
秀吉： 一度か二度しか、やったことはにゃーです。
お市の方： 本当でしたか。
秀吉： おなごを口説くとき、権柄ずくで口説いたり無理強いしたりするのは嫌いなのや。
お市の方： 下品にはかわりありませぬ。
秀吉： もうひとまわり、下品な話がございまする。
お市の方： どのような。
秀吉： まもなく織田の家督相続の会議が始まりまする。

ＮＡ： 本能寺の変では、信長だけではなく、織田の後継者・織田信忠も討ち死にしていた。このため、織田の後継者が誰になるのか、混乱は必至だった。
織田の重臣のうち、林秀貞と佐久間信盛は失脚していた。滝川一益は関東に足止めされたまま、いまだ帰還していない。丹羽長秀は本能寺の変の際、四国攻めのため大軍を大坂に集結させていたにもかかわらず、陣中で内輪もめが発生して、信長の敵討ちに間に合わなかった。京都と大坂は、目と鼻の先であるのにもかかわらず、である。
織田信長の次男・織田信雄は三年前の伊賀攻めの失敗で事実上失脚、三男・織田信孝は大坂に在陣していながら信長の敵討ちには動かず、後継者の資格なし、とみられていた。

秀吉： 織田の跡継ぎとして有力なのは、いまや、わし・羽柴秀吉と、柴田勝家のふたりだけなのや。
お市の方： 柴田殿も敵討ちには間に合わなかったのではございますまいか。
秀吉： 柴田殿は、北陸の後詰や留守居の手配をし、出陣の軍勢を万全に整えたうえで出陣なされた。柴田殿が失策なされたのやない。わし・羽柴秀吉が、どえりゃー早く備中から戻ってきただけや。
わしと、柴田勝家殿とのやりとりが、すべてを決することになる。柴田殿が引き下がれば、すべてうまくいくのや。
お市の方： 織田の後継者決めと、わたくしが羽柴殿に嫁にゆくことの、なんの関係があるのですか。
秀吉： 無傷な織田の血の分配。
お市の方： とは？
秀吉： 織田の後をつぐ者は、いずれも過去に失敗がある。されど、信長公の嫡孫・三法師さまは三歳。お市の方様と娘御たちは世間から隔絶されて育っておられるゆえ合戦でのしくじりはない。無傷な後継者を、柴田と羽柴で分け合い、力の均衡をはかろう、ということや。
さらに、まだある。柴田勝家は六十なのに独身なのや。結婚したことがないのや。
お市の方： 越後の上杉謙信も、死ぬまで独り身でした。戦国の世ではよくあることです。
秀吉： 男にも興味がないのやぞ。そんな奴はそうそうおるもんやない。お市の方様はこんな噂を聞いたことがありゃーすか。『柴田勝家は、お市の方を想うあまりずっと独身を通してきた』と。
お市の方： 根も葉もない戯言でございます。そもそも接点がない。わたくしが清洲にいた当時、柴田殿は謀反を起こして日が浅く、兄上・信長に遠ざけられていました。柴田殿が復帰したのは、わたくしが浅井に嫁に行ったあとのこと。それはそれとして、わたくしは、羽柴殿や柴田殿の戦利品ですか。
秀吉： 否。いちおう、お市の方様には『どこにも嫁にゆかない』という選択肢はありますがや。
お市の方： わたくしが嫁に行かなければ、どうなります？
秀吉： ふたたび戦乱がおこりますな。
秀吉： 要するに『織田の後継者』の名目があらせんのや。お市の方様や三法師様が、わしや柴田勝家様のもとになければ、残りは似たりよったりの非力な後継者ばかりになる。すくなくとも『柴田か羽柴か』にまとめれば、戦乱はなくなる。
お市の方： わたくしは名目ですか。
秀吉： お市の方様が、織田の女系の後継者として名高うておられる。わしは信長様の四男を養子に迎えておるが、誰もそのことを覚えてもおらせん。お市の方様と娘御たちの噂は、いまだに織田家中に知られとるのや
お市の方： つまり、わたくしに、羽柴殿が織田の後継者になる後押しをしろ、ということでございますか。
秀吉： いかにも。
お市の方： わたくしが承知する理由がどこにありまするか。
秀吉： 平和。
いくさのない世をつくるためでござる。
お市の方： 白々しいことを申すでない。
秀吉： お市の方様は、目の前で自分の仲間が斬り殺されるのを、見たことがありゃーすか。
お市の方： 夫・浅井長政が、首をはねられ、わたくしの前に引き出されたことはあります。
秀吉： 浅井様の首に、化粧はしてございましたか。
お市の方： もちろん。
秀吉： その昔、わしの雑人仲間は、斬り殺されても、化粧どころか、首をとってもらうこともできーせんかった。雑人は人として数に入らせん。いくさで踏みにじられるのは、雑人やら、水飲み百姓やら、女や、子供や。そのことは、わしが誰よりも知っとる。
お市の方： 踏みにじられる悲しみは学んだつもりです。
秀吉： お市の方様！
お市の方： なにゆえ、わたくしの手を握りしめるのです！
秀吉： お市の方様、ご決断くださいませ。

ＮＡ： お市の方は、全身の肌が、ぞわりと音を立てて粟立つのがわかった。次の瞬間、お市の方は秀吉の手を振り払い、その頬を力いっぱいひっぱたいた。

お市の方： 無礼者！
秀吉： 申し訳にゃーです！
お市の方： 織田の家督・・亡き兄・信長公ならなんというか・・

信長回想： 『美しくあれ。生きるときも美しく、死す時も美しく。美しいとは、自分で自分を決めることだ』

お市の方： 美しくあれ、か。
秀吉： 恐れながら、お方様はお美しゅうござりまする。
お市と信長： 黙れ！　猿！
秀吉： ハハーッ！
お市の方： 羽柴か柴田かを選べというのであれば、わたくしは柴田勝家を──いや、世の平和を選びます。

●同・表座敷
ＮＡ： 翌六月二十七日、清洲会議が行われた。出席者は羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の四人であった。丹羽長秀は明智攻めには出遅れて秀吉の指揮下に入った。池田恒興は信長の乳兄弟という縁の深さにより同席しているだけで、発言権はほとんどない。会議は羽柴秀吉の主導で行われた。織田家の当主は信長の直系の孫・織田三法師と定められ、羽柴秀吉はその後見人となった。そして、柴田勝家は、お市の方と、三人の娘を引き取ることで決着した。
秀吉Ｎ： お市様を引かんで良かった。あのお方は信長公そっくりや。もう一度草履取りからやらにゃならん。おお怖わ、ワシの手にはとても負えんで。まして田舎モンの柴田勝家では・・

●同・表座敷
ＮＡ： 清洲城表座敷で、柴田勝家は、お市の方と娘たちを上座に置いて平伏した。お市の方は、実は柴田勝家と言葉をかわすのは、これが初めてだった。秀吉とは異なり、柴田勝家は、お市の方が物心ついたときから信長の重臣である。しかし柴田勝家は行政や事務ではなく、戦場をかけまわるのが主たる任務であった。お市の方とは接点がない。
勝家： 委細、決し申し候。お市の方様と御息女がたにおかれましては、このまま、拙者とともに、越前北ノ庄城に御動座願いまする。

お市の方Ｎ： 右筆の起こした文章を丸暗記したような口調。立板に水のように弁の立つ男とはかなり違う。弁が立つと、それはそれで信用なりませぬが。

お市の方： 柴田殿、面をあげなさい。
勝家： 御意
お市の方： 柴田殿は、当年、おいくつになられましたか？
勝家： 還暦、六十の齢に候。
お市の方： 髭が濃くいらせられる。髪は、髷を結わずに伸ばしたままなのは、なにゆえでございますか？
勝家： くせ毛がつよいゆえに候。どのみちいつも戦場で兜をかぶり申す。髪が乱雑でも生死にはかかわり申し候わぬ。
お市の方： 兄上・織田信長公は、ことのほか美しさにこだわるお方でありました。柴田殿は、美しさにはあまり頓着なされぬような。
勝家： 御意。亡き浅井長政殿とは味方としても幾度かご一緒申しましたが、長政殿も実に美しき武将でいらせ申し候。
お市の方： 柴田殿。
勝家： はっ
お市の方： 目を伏せず、わたしの目を見て話しなさい。
勝家： されど・・・
お市の方： 柴田殿はこれより、われらの夫となり、父となられるお方にございます。
勝家： 御意
お市の方： どうか、いますこし、心をお開きあそばされませ。

お市の方Ｎ： ぎょいぎょいと、他に言葉を知らないのか、勝家殿は。ああ、また、わたしたちから目をそらした。何を話していいのか、勝家殿ご自身も困っているのはわかるのですが。

勝家： いくさしか知らぬ無骨者ゆえ、ご無礼の段、ご宥免たまわりたく存じ申し候。

お市の方Ｎ： 柴田殿と、やってゆけるのだろうか。

お市の方： 柴田殿──いいえ、これから夫のなるおかたゆえ『殿』とだけ申し上げましょう。殿のところへ、わたくしと娘たちが嫁すうえで、多くの不安がございます。
勝家： 御意
お市の方： まず、わたくしたちは、北陸に住んだことがありませぬ。小谷城の隣国ではありましたが、足を運ぶことなく浅井が滅びました。
勝家： 御意
お市の方： 殿のところに移り住んで、無事でいられるだろうかという不安。もう二度と、決して城が落ちて焼け出されたくはありませぬ。なにより、子供を犠牲にさせたくありませぬ。
勝家： 御意

お市の方Ｎ： いちばんの不安は、柴田勝家殿について『愚直で不器用』ということ以外、ほとんど知らないこと。柴田殿のあまりの口下手ぶりに、日常会話がなりたつかどうかさえ危ういではありませぬか。美男子だった長政殿とは、あまりにも違いすぎる。

お市の方： ホトトギス、か……
勝家： ホトトギス　なくや五月の菖蒲草、と申しますな。
お市の方： えっ？
勝家： ホトトギスは平安の時代から、夏を知らせる鳥として、また、死の世界からの使いの鳥としてあつかわれておりますな。
お市の方： それは・・・
勝家： 不調法者ゆえ、いくさ以外には和歌しか心得がございませぬ。

お市の方Ｎ： なんと、かわいらしいお方なのだ、柴田様は。

勝家： 不器用をお許しいただきたく。
お市の方： はい
勝家： また、古来よりホトトギスには托卵という習性があるのが知られており申す。ホトトギスはウグイスの巣に卵を生む。ウグイスはホトトギスの子を託され、わが子として育てるとのこと。
お市の方： はい
勝家： 浅井長政殿は勇猛で正義の武将でおられた。拙者はあの美しさには遠く及び申さぬ。されど、およばずながらこの柴田勝家、浅井長政殿のウグイスにならば、よろこんでなり申し候。

お江： テッペンカケタカ！
お初： テッペンカケタカ！
お市の方： 勝家様、どうか娘たちを宜しくお願い申し上げます。

ＮＡ： こうして、お市の方と三人の娘たちは、その日のうちに清洲城を引き払い、越前北ノ庄城の柴田勝家のところへと向かったのであった。
しかしながら、お市の方の平和な生活は続かなかった。羽柴秀吉が、お市の方と柴田勝家を、裏切ったからである。

脚本：鈴木輝一郎
演出：岡田　寧
出演：
お市の方：北條真央
織田信長：濱嵜　凌
豊臣秀吉：吉川秀輝
柴田勝家：野仲イサオ
お初：明石夏実
ナレーション・お江：萩原一葉
選曲・効果：ショウ迫
音楽協力：甘茶
スタジオ協力：スタッフ・アネックス
プロデューサー：富山真明
制作：株式会社Ｐｉｔｐａ