【台本書き起こし】シーズン4「赤穂事件 内蔵助の流儀」最終話 吉良邸討ち入り ~ 大義に生きる:ボイスドラマで学ぶ日本の歴史
出雲N:元禄十五年十二月十四日、粉雪が江戸市中に降り積もる。冬の夕暮れ、赤坂、瑤泉院の屋敷に、一通の文が届いた。表書きには『金銀請払帳』とある。そこには、瑤泉院が渡した三百両の使いみちが事細かに記されてあった。手紙の主は、大石内蔵助。
◯本所・吉良屋敷前
出雲N:十二月十四日未明、寅の上刻、深夜四時。雪は夜更けすぎにはあがったが、道は凍り、凍てつく風が頬を刺す。一方、天を仰げば、月がこうこうと冴えわたる。たいまつ代わりの月あかり、きらめく星の数々が、しずかに四十七士の行く手を照らしている。自らを『昼間の星』だと自嘲していた大石内蔵助、四四歳、いままさに夜空の星のように、その生命を光り輝かせている――長い夜の始まりだ。
<赤穂事件―内蔵助の流儀 第五話 吉良邸討ち入り ~ 大義に生きる>
◯吉良屋敷・点描
出雲N:表門では大石内蔵助以下、二三名が、吉良屋敷を取り囲む。間重次郎と大高源吾が、吉良屋敷の前にあった防火はしごを塀に立て掛けてよじ登り、屋敷の内側へ入り込む。
間:よし、一番乗りだ。
出雲N:鉦の音を合図に、裏門で待ち構えていた大石主税以下、二四名が、大きな木槌で裏門を打ち破る。
主税:火事だ!
堀部安兵衛:火事だ!
出雲N:屋敷に侵入した赤穂浪士が、口々に『火事だ』と叫ぶ。夜半の火事騒ぎに、寝ぼけ眼で起きてきた吉良家の家来は、鎖帷子を着込み、槍や刀を手にした火事装束の男たちと鉢合わせ――。
安兵衛:浅野内匠頭家来、あるじの仇討ちにまいった!
出雲N:かくして吉良屋敷は、大混乱に陥る。火事だと思って飛び出した吉良の家臣は、待ち構えていた浪士の槍や刀に倒される。次に浪士は、屋敷で暮らす家来たちの長屋の戸を、外側からカナヅチで打ちつける。出口を塞がれた家臣たちは、部屋に閉じ込められる。さらに、浪士たちの雄叫びが、恐怖をあおる。
間:間隊、五〇人、これから行くぞ~。
主税:大石隊、三〇人、参る。
出雲N:本来は、半分の兵力であるにもかかわらず、あたかも吉良方よりも大人数を率いているかのように見せかけたのである。堀部安兵衛ら切り込み隊は、鬼の形相で屋敷の奥へ突き進む。
吉良家家臣:狼藉者!
出雲N:それでも果敢に立ち向かう吉良家の家来は、安兵衛や数右衛門に一刀両断にされる。その様子に、自ら浪士に道を開ける者、布団をかぶって事なきを得る者など、多くの吉良方が、戦う前に戦意を失った。
出雲N:吉良屋敷の北側に位置する土屋主税の屋敷では、『火事だ』という叫び声に目を覚ましたが、そこへ文を手にした赤穂浪士・片岡源五右衛門が現れた。
片岡:お騒がせして申し訳ありません。ただいま仇討ちの最中でござる。武士は相身互いと申します。どうぞ、お構いなきよう!
出雲N:土屋は、片岡に手渡された口上書に目を通す。そしてほどなく、高張提灯を掲げて、塀越しに吉良屋敷を照らした――武士は相身互い。これで、吉良上野介が探しやすくなる。
片岡:かたじけない。
出雲N:しかし、肝心の仇の姿が見つからない。
吉右衛門:坊っちゃん。ご無事で。
主税:吉右衛門か。俺は、ひとり倒したぞ。
吉右衛門:初陣を見事に飾られましたな!
主税:吉良はいたか?
吉右衛門:いいえ。
主税:討ち入りから、どのぐらい時が経っただろう。
吉右衛門:半刻は過ぎましたろうか。頬に血がついておりまする。ふいてさしあげましょう。
主税:かたじけない。
吉右衛門:さきほど内蔵助様がおっしゃっていました。
内蔵助:朝を迎えたら、吉良方の援軍が来るかも知れぬ。夜が開けるまえに、事を成し遂げる。一刻も早く、上野介を見つけるのだ。
主税:吉良の布団はまだ温かったと聞いたが・・・。
吉右衛門:さようでございます。だから、まだ遠くへは行っていないはずです。しかし広間、囲炉裏の間、小座敷など、屋敷のなかをくまなく探しても、吉良の姿が見つからないのです。
主税:なんだ、腹が減っているのか。
吉右衛門:そのようです。そういえば台所を探していなかった・・・ちょっと台所を見てきます。
出雲N:吉良屋敷の台所には、奥まった場所に物置があった。その物置から、気配がする。
吉右衛門:人が、いる?・・・わあああ。
安兵衛:吉右衛門か。落ち着け。討ち取ったのは敵だ。
吉右衛門:申し訳ありません堀部様。人が斬られる瞬間を見たの初めてのものですから。
安兵衛:おぬしの声のほうが驚くわ。
吉右衛門:堀部様が鬼神のごとく、ここを守っていらっしゃるのであれば、もうここにはだれもきませんね。
間:待て。
出雲N:と、のんきな会話を制したのは間重次郎。手にした槍を持ち直したのは、竹林唯七である。
間:もうひとりいるぞ。
出雲N:唯七の槍は、物陰に隠れていた白小袖をまとった白髪の老人の急所をついた。さらに、間重次郎の十文字槍が、とどめをさす。
安兵衛:吉良、上野介殿か・・・。
吉良上野介:・・・。
間:眉間を見よ。殿の刀傷があるのか。
吉右衛門:わかりません。
安兵衛:では背中を見よ。もし上野介であれば、殿から受けた刀傷が背中に・・・。
吉右衛門:刀傷。ありました!
安兵衛:至急、内蔵助殿に知らせよ。
吉右衛門:は。
出雲N:かねて示し合わせてあった合図の笛が、屋敷内に響きわたる。討ち入りから一時間、屋敷の隅々まで探索を続けていた浪士たちの頬が紅く染まる。浪士たちが、ぞくぞくと集まってきた。
浅野:吉良上野介義央、このあいだの遺恨、覚えたるか!
内蔵助:浅野内匠、家来口上――上野介殿を討ち止めることができなかった内匠頭の無念を思うと、わたしども家来は、がまんができませんでした。上野介殿のような高い身分の方に対して、憤りを持つことは恐れ多いとは思いますが、ひたすらに、亡き殿の無念の思いを晴らす志でございます。
出雲N:すでに上野介は、絶命している。一同は、その亡骸を暫く無言で見下ろした。
内蔵助:殿の恨み、ここに晴らす。上野介の首、討ち取ったり!
一同:えいえいおー。
出雲N:吉良方の負傷者二十三名、討ち死十六名。対して赤穂浪士の負傷者は二名、討ち死はなし。赤穂浪士は、吉良方の半分の兵力でありながら、微細に張り巡らせた戦略で圧倒的な勝利を収めた。
◯吉良屋敷近く・回向院前
出雲N:長い夜が開けた。屋敷の火の後始末をしてから、四十七士は、吉良屋敷にほど近い寺院へ向かった。着物を整え、暫しの休息を取るためである。しかし幕府に疑いをかけられることを恐れた寺は門を開けない。
内蔵助:本来は、見苦しい姿を整えてから、殿の墓前に伺いたかったが・・・いたしかたあるまい。このまま、殿の墓まで参ろう。
出雲N:かくして一同は、戦いの興奮も覚めやらぬまま、浅野家の菩提寺であり、内匠頭が眠る泉岳寺を目指すことになった。
内蔵助:吉右衛門はいるか。
吉右衛門:ここに。
内蔵助:これからお役目を申し付ける。そちにしかできない大切な仕事だ。
吉右衛門:はい。
内蔵助:赤穂浪士四七人が、本懐を遂げたことを、内匠頭様の弟・大学様とご後室・瑤泉院様にお伝えしてくれ。そちなら町人になりすまし、詮議の目をかいくぐることができる。
吉右衛門:かしこまりました。必ず、お伝えいたします。お伝え次第、泉岳寺に向かいます。
内蔵助:その儀は無用。泉岳寺には来るな。
吉右衛門:なぜ、で、ございますか?
内蔵助:申したはずだ。これは、そちにしかできない役目だ。そちは、生きよ。生きて、我らのことを伝えてほしい。我らは、お上に盾突くつもりはない。だが、これだけの騒ぎを起こしたのだ、斬首は免がれまい。我らは良い。ただ、残された縁者が、あらぬ風評を立てられて苦しむことは避けたい。だから、我らの様子を後世に伝えてほしいのだ。
主税:吉右衛門!私からもお願いする。豊岡の母上に伝えてくれないか。父上の見事な采配を。裏門の大将となった主税の戦いぶりを。・・・それができるのは、吉右衛門、お前だけだ。
吉右衛門:・・・かしこまりました。
出雲N:吉右衛門を除く赤穂浪士四六人が、本所から隅田川を南へくだり、永代橋を渡って、かつて赤穂藩邸があった築地鉄砲洲を抜ける。白い小袖で包んだ上野介の首を槍の柄にくくりつけ、血のついた太刀を掲げ、返り血を浴びた装束で、胸を張って進軍する浪士の姿に、江戸っ子は手を叩いて喜んだ。
江戸っ子A:すげえもんだ。本当に仇討ちをやっちまった。
江戸っ子B:おいら、あいつ知ってるぜ。あの、先頭で白い布を掲げているお侍。一膳飯屋で意気投合して。奢ってやったんだ。
間:おう、あの時の。
江戸っ子B:おまえさん、えらいお侍さんだったんだな。
間:まあな。おかげで仇討ちができたぜ。一番のりの二番刀で、大活躍さ。恩にきるぜ。
江戸っ子B:あっぱれ、赤穂義士!
出雲N:江戸っ子の驚きと称賛を浴びながら、一同は進む。食うや食わずで糊口をしのいでいた浪人が、一瞬で『赤穂義士』という英雄になったのである。
内蔵助モノローグ:この騒ぎはいったい・・・。
出雲N:この熱狂に、誰よりも驚いていたのは、内蔵助である。ついに、殿の無念を晴らすという大仕事をなし告げた――内蔵助ははじめてそれを実感した。
◯泉岳寺・内匠頭墓前
出雲N:あるき続けておよそ三時間。内蔵助一行は、ついに、泉岳寺にたどり着く。内蔵助は、その門前を仰いだ。
内蔵助モノローグ:殿、ついにこの日が参りました。
出雲N:上野介の首を井戸で洗い、内匠頭の墓前にそなえる。
内蔵助:一二月一四日未明、大石内蔵助以下四十七名、仇、吉良上野介を討ち取りました。
出雲N:浪士たちは、ひとりずつ名乗りをあげて、殿の墓前に額ずいた。そして、人目もはばからず声を上げて泣いた。
◯愛宕下・仙石屋敷
出雲N:幕府大目付・仙石伯耆守久尚は、泉岳寺に墓参後、自首してきた赤穂浪士一同を取り調べることになった。
仙石:この口上書によると、この度の仕儀は『殿のご無念を晴らすための仇討ち』だと申すのだな。
内蔵助:私どものあるじ浅野内匠は、吉良上野介と喧嘩をいたしました。その証に、我が殿は『このあいだの遺恨、覚えたるか。』と、申したそうでございます。あるじが喧嘩によって切腹した以上、喧嘩のお相手も処罰を受けるのが正義だと存じます。この旨、兼ねてより嘆願してまいりましたが、お聞き届けいただけなかったので、武士として、喧嘩両成敗を行った次第です。
仙石:なるほど。しかし、徒党を組んで老人の首を取るとは、穏やかではない。貴殿の行いは、お上に対する反乱と取られても仕方のないことだと思うが、いかがなりや?
出雲N:その点こそ、もっとも内蔵助が心を砕いたところだった。話は討ち入り前にさかのぼる。
◯回想・日本橋の旅籠
安兵衛:円山会議でも申し上げたとおり、このたびの不当なお裁きの根本には、綱吉公が、出自のあやしい母親に箔をつけるために朝廷にすりよったことが発端と思われます。それでなくても、蚊一匹殺すことさえままならぬ生類憐れみの令など出されて、町の衆は、公方様に対して不平不満を募らせています。
内蔵助:だから?
安兵衛:だから、公方様に対して、我らは抗議をするのです。上野介の首をとった上で、公方様の鼻をあかすのです。
内蔵助:承服しかねる。
安兵衛:なぜ?
内蔵助:我らは由比正雪ではない。謀反人となったら、浅野家の面目は地に落ちる。
安兵衛:しかし、このままでは・・・悔しくありませんか。
内蔵助:悔しさは、一時の感情。しかし謀反人となったら最後、浅野家だけでなく、われら一同、子々孫々まで石持て追われる身になるぞ。考えてほしい。何のために二年近い月日が必要だったのか。筋道を立て、味方さえ欺き、根気よく嘆願を続け、そうして今、最後の手段として討ち入りの計略を進めている。それも一歩一歩、暗闇で踏み外すことのない道を探っている。すべて、殿の名誉を取り戻すために費やした時間である。断じて、殿を逆賊にしない。そして、我ら同志一同も逆賊にはしない。
◯回想開け・愛宕下・仙石
出雲N:内蔵助のこの真意が、仙石の前で明かされる。
仙石:では貴殿は、お上に歯向かったのではないというのだな。
内蔵助:はい。この討ち入りは、あくまでも主君の仇討ちのため。お上に逆らう気など、さらさらありません。赤穂浅野家は、質実剛健を旨とする武士の家柄。由比正雪のような謀反人になったら、武士としての一分がたちませぬ。このたびの討ち入りが戦でない証拠に、我々は、万が一のために鎖帷子をつけてはいましたが、鎧・兜をつけておりません。また鉄砲のような飛び道具も用いませんでした。目指すは、上野介殿の首ひとつ。殿の無念を晴らすことだけが、私どもの願いだったのです。我らは、大義に生きておりまする。
仙石:そのお覚悟、承った。
出雲N:内蔵助の覚悟は、幕府の要職を勤める仙石の心を動かした。
◯二十年後、芸州・りく屋敷
出雲:それで、りく様。内蔵助はんたちのその後は?なんといっても討ち入りの頃、ワタシは十かそこらの子供でございましたから、細かいことは覚えておらんのです。
りく:さようでございましたか。あの頃、十やそこらということは、主税と同じ年頃ですね。
出雲:主税様はワタシより三つ年上になるんちゃいますかね。
りく:主税が生きていたら、あなた様のような立派な大人になっているのですね。
出雲:討ち入りから二十年経ちましたから。ただ浄瑠璃の戯作者が立派かどうかはわかりませんが。
りく:わざわざ、このような昔話を聞きに来てくださったんですから、覚えている限りのことはお話いたしましょう。
りく:仙石屋敷で取り調べを受けた後、赤穂浪士四六人は、四つの大名家にお預かりとなりました。内蔵助、吉田忠左衛門様、片岡源五右衛門様らは細川家に、主税や堀部安兵衛様らは松平家に、そのほかの方々は水野様、毛利様のお屋敷でお預かりとなりました。それぞれのお屋敷では、手厚いもてなしを受けたそうです。
出雲:もう一介の浪人ではなく、『赤穂義士』だったのですな。
りく:取り調べをした仙石様のお口添えがあったのでしょうか?
出雲:それだけではないでしょう。江戸っ子も『あっぱれ侍の鏡』『江戸中の手柄にござそうろう』と、讃えたようです。
りく:そうでしたか。
出雲:拍手を送った者のなかには、ご政道に対する反発もあったようです。赤穂義士が『上様に意見した武士』に見えたんでしょう。内蔵助はんは、頑なに否定していましたから、皮肉なもんですわ。
りく:そうだったんですか。
出雲:綱吉公は、町の声におされて赤穂義士の処分に時を費やしました。内匠頭はんの時のような不当な裁きは、もうできないんです。悩んだ綱吉公は、学者を呼んだ。そして『赤穂浪士の行いは、主君に対する忠義としては褒められるが、騒乱を起こしたことは武士の礼節を書く』という屁理屈を作らせた。
りく:上様は、内蔵助たちに切腹というお裁きを下しました。切腹は、名誉を重んじた武士だけの作法です。ありがたい幕引きだったと思います。
出雲:これ、内蔵助はんらの勝ちでっせ。
りく:勝ち?
出雲:左様――人は死ぬ。早いか遅いかの違いはあれど、どうしたって一度は死ぬ。だから、人間は、どう死ぬかということに、拘らないとあかんのやないかと思います。どう死ぬか?とは、すなわち、どう生きるか?ですわ。
りく:なるほど。
出雲:その点、内蔵助はんら赤穂義士の皆さんは、武士として生きた証に、武士として最高の死を賜った。内蔵助はんが心配したような謀反人という扱いにはならなかった。これは、勝ちでっせ。
りく:そう言われると救われたような気がいたします。お陰様で私ども縁者も少しずつ名誉を回復していただきました。討ち入りの年に生まれた大三郎も、ここ広島で、仕官が叶いました。
出雲:そらよかった。
りく:内蔵助が討ち入り直後に作った和歌をご覧になりますか?
出雲:ぜひ、お願いします。
りく:吉右衛門さん、旦那様の和歌、どこにありましたか。
吉右衛門:こちらでございますか。
出雲:あ、あなたが寺坂吉右衛門さまですか?
吉右衛門:はい。
出雲:四十七番目の赤穂義士だ!
吉右衛門:いえいえ、そんな大げさなものではありません。
りく:こちらは、大阪は竹本座という小屋で浄瑠璃芝居を書いている竹田出雲様です。今日は、内蔵助のお話を聞きたいと言って、はるばる大阪からおいでになったのです。
内蔵助:あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし
りく:あれだけの仕事をした後に、このようにあっけらかんとした歌を残すなんて、内蔵助はやっぱり夜空に輝く星ではなく見えるか見えないかわからない昼間の星かもしれない、と思いませんか。
出雲:奥方様、この話、書かせていただいてもよろしいか。
りく:ええ。ぜひ、後々まで語り継がれるような芝居に仕立ててくださいませ。
出雲:吉右衛門さんもよろしいか?
吉右衛門:そうですなあ。でも、自分が芝居になるなんて恥ずかしいことだから、せめて私が死んだ後にしてくださいよ。
出雲N:その後、最後の赤穂義士・寺坂吉右衛門は、八十三歳まで生きた。竹田出雲、三好松洛、並木千柳による『仮名手本忠臣蔵』が上演されたのは、吉右衛門が亡くなった翌年のこと。討ち入りから、実に四十六年の月日が経っていた。以来、内蔵助と四十七士は、忠臣蔵という物語のなかで今も生き続けている。
脚本:齋藤智子
演出:岡田寧
出演:
大石内蔵助:田邉将輝
大石りく:柏谷翔子
竹田出雲:吉川秀輝
寺坂吉右衛門:大東英史
大石主税:大内唯
堀部安兵衛:本山勇賢
間重次郎:望生
仙石久尚:濱嵜凌
瑤泉院:小田ひかり
江戸っ子:平塚蓮
選曲・効果:ショウ迫
音楽協力:エィチ・ミックス・ギャラリー、甘茶
スタジオ協力:スタッフ・アネックス
プロデューサー:富山真明
制作:株式会社Pitpa
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