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【台本書き起こし】シーズン3「千利休と天下人たち」第3話 松永久秀:ボイスドラマで学ぶ日本の歴史

◯堺・南宗寺奥座敷
NA:天文20年(1551年)、三好長慶は2度に渡って暗殺者に襲われました。ひたすら仇を討つために戦ってきた長慶でしたが、いつの間にか己が権力者となり、命を狙われる側となっていたのです。幸い長慶は軽傷を負っただけで済みましたが、それ以来警備も厳しくなり、利休にとっても、長慶は雲の上の存在となってゆきました。弘治2年(1556年)、長慶は父・元長の25回忌法要を大徳寺で盛大に執り行ないました。式には堺から会合衆も参列しました。利休もこの機会に長慶の顔を久しぶりに見ようと、京都まで出かけました。法事の合間をはかり、利休は奥座敷の長慶に挨拶しました。

利休:長慶様。
長慶:おお、利休。わざわざすまん。
利休:これで三好の惣領としてのお役目を立派に果たされましたな。お父上も喜んでおられるでしょう。
長慶:ああ。やっと解放される。これからは歌を詠み、書を読んで過ごすぞ。
利休:さて、天下人としてのお役目はどうなされます?
長慶:嫡男・義(よし)興(おき)も既に15歳じゃ。その歳にはワシはもう城を持っておった。それにワシには頼もしき3人の弟たちがある。皆、義興を盛り立てて上手くやってくれるであろう。

NA:三好長慶には阿波と河内国を治める三好実休、淡路水軍を統率する安宅冬康(あたぎふゆやす)、讃岐十河氏を継いだ十河一存(そごうかずまさ)の三人の弟がいます。中でも次兄の実休はやはり大林宗套に師事した茶人であり、剣豪・塚原卜伝直伝の新当流の達人でした。また実休は村田珠光(むらたじゅこう)の小茄子(こなす)の茶入れや天下無双の名物と言われる三日月の茶壺を所有しており、利休の弟子である山上宗二(やまのうえそうじ)は実休を『武士にして数寄者(すきしゃ)』だと評しています。

長慶:利休、そなたに頼みたい仕事がある。
利休:どのような?
長慶:利休、もっと側に寄れ。俺とお前の間で遠慮は無用。寄らぬのならこちらから参るぞ。

NA:長慶は利休の横にあぐらをかきました。

長慶:利休、次の天下人を探し出して欲しい。
利休:は?
長慶:そなたが工夫した侘茶をもってして、天下人の資質を抱いた人物を見極めるのだ。
利休:それはなかなか楽しそうなお役目ですが、人物を見極めてどういたします?
長慶:その男に我が三好の宝を譲る。
利休:三好の宝?三好の宝とはいったい?
長慶:三好の宝とは・・。

NA:長慶が利休に耳打ちしたその時、誰かが隣室で怒鳴る声がしました。

宗套:喝―ッ!このうつけ者!
長慶:宗套様!
利休:これは宗套様、いかがなされました?
宗套:あのうつけが勝手に御神廟を開いて、神君・之長(ゆきなが)様の黄金像を、あのように。
長慶:久秀!そは我が曽祖父・三好之長(みよしゆきなが)公の像なるぞ。
久秀:ハハーッ!
宗套:返せ!
長慶:久秀、いったい何をしておった?
久秀:これは神君がお宿りになるに相応しき純金かどうかを調べようと思いまして。
宗套:純金であろうとなかろうと、ご神君の御姿を形どったものじゃ、無礼者!
久秀:申し訳ございませぬ。
長慶:宗套様、どうかお許しください。これは我が家臣でござる。
利休:三好様の家臣にしてはお見かけしない顔だが?
長慶:利休。ちょうど良い、そなたに会わせたいと思っていたのだ。これは我が家臣の松永久秀(まつながひさひで)、弟・実休に劣らぬ数寄者でな。
宗套:数寄者だろうがなんだろうが、うつけはうつけじゃ。
長慶:万の敵に取り囲まれるのは怖くはありませんが、大林宗套の一喝には、久しぶりに冷や汗が出ました。どうかお許し下され。
宗套:ご家来衆はきちんとしつけられよ、仙熊殿(・・・)。
長慶:肝に命じます。宗套様。
久秀:殿、申し訳ございません。平に。
長慶:うむ。それで?久秀、そなたの目利きの結果は?
久秀:は。純度の高い黄金のようではございまするが、銘ある作ではござりません。
長慶:さようか。アッハッハ。さようであったか。

NA:利休はこの松永久秀を好きになれませんでした。久秀のような数寄者が巷に増えたのは知っていましたが、なぜか薄ら寂しい気持ちになりました。そして久秀の肩に手を置いて愉快そうに笑う長慶が少し憎らしかったのです。実は、松永弾正久秀に対する評価は、割れています。長慶と弟・実休の仲を裂き、長慶の嫡男・義興を毒殺し、更には弟・安宅冬康謀反の讒言を長慶に囁いて冬康を切腹に追い込み、ついには孤独になった長慶を悶死(もだえじに)させた、三好家滅亡の張本人であるという説。一方で無能な足利将軍・義輝を謀殺し、東大寺大仏に火を放った悪役ではあるけれども、最後まで三好家に筋を通した忠臣で、信長に所望された平(ひら)蜘蛛(ぐもの)釜(かま)とともに壮絶な爆死を遂げた数寄者の中の数寄者であるとする説。果たして、どちらが本当の姿だったのでしょうか?
永禄7年(1564年)8月、三好長慶は何も語らないまま病死しました。利休は、苦悩する友に何もしてやれなかった自分自身を責め続けました。

◯夢
長慶:利休、三好の宝を頼んだぞ。
利休:仙熊!三好の宝とはいったい何だ?
長慶:さらばだ、利休。
利休:待て仙熊、せめて茶を一服されていかれよ。仙熊!

NA:気がつくと利休は茶碗を抱え、路頭に立ち尽くしていました。それからは商売にも身が入らず生活は荒れました。長慶の喪が明け切らぬ翌永禄8年正月、利休は奈良多聞城で開かれた松永久秀の茶会に招かれました。この時、久秀は朝廷より弾正台の役職を頂戴し、三好家の実質ナンバー1となっていました。弾正台は今で言うと公安委員長のようなものでしょうか。中国では弾正台の役職を霜(しも)の台と書いて霜(そう)台(たい)と呼びます。久秀はわずか数年の間に霜台様と畏怖されるほどの権力者となっていたのです。さしずめ中途採用から代表取締役に登り詰めた下克上の典型でしょうか。

◯多聞城茶室
久秀:水は宇治(うじ)橋(ばし)三の間、この九十九(つくも)茄子(なす)に入れた茶は別儀(べつぎ)。今日は特別な日やさかい。
利休:・・・。
久秀:宗易、聞いておるか?
利休:古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)のたてる音に聴き入っておりました。
久秀:さよう、この音色が心地良い。

NA:古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)、後に織田信長が欲しがったと言われている茶釜の名器です。

久秀:しかし・・侘茶はもう古い。茶も人もこれからどんどん新しくなる。新しくならねばならん。どうだ宗易?ワシについてこぬか?
利休:長慶様を失い、私は道に迷うております。
久秀:ワシも同じじゃ。まだ信じられん。しかし歩みを止めるわけにも参らん。五畿内は統一したといえ、東には武田や織田が、西には毛利や長宗我部が、隙あれば、あのウツケの将軍を担ぎ天下を狙わんと蠢いておる。
利休:足利義輝様のことでございますか?
久秀:さよう長慶様は甘かった。何度も何度も義輝親子を許しては裏切られ。きっちり留めを刺しておけばよいものを。

NA:三好長慶は足利義晴・義輝親子が三好追討の矛を挙げる度に押さえ込み、なぜか留めは刺さずに、これを許していました。

利休:足利将軍は源氏の統領、長慶様はその血筋を重んじて・・・。
久秀:それそれ、それが古いと言うておるのだ。源氏だの平氏だの、そんなものになんの値打ちがある?
利休:さて・・。
久秀:よい。いずれ担ぐ神輿もなくなるであろう。

NA:この数ヶ月後、将軍義輝は久秀の息子らの手によって殺害されました。久秀本人の関与を疑う説もあります。梟のように雄々しいと書いて梟雄(きょうゆう)と読みます。霜台、松永弾正久秀を語るとき、よく用いられる修辞です。

利休:霜台様、聞くまいとも思うていたのですが・・。
久秀:なんだ、もうしてみよ。
利休:安宅冬康様ご謀反のこと、真の話だったのですか?

NA:長慶の弟・安宅冬康は謀反を企んだという理由で長慶から切腹を命じられました。冬康自刃の後に、長慶はこれを悔やみ、心を病んだと言われています。つまり利休の質問は婉曲に、久秀の讒言を問いただしたものでした。

久秀:判らん。世間ではワシの讒言ということになっておるが、逆にワシが教えて欲しいくらいだ。皆が気づいた時には、冬康様は既に飯盛山城で腹を召されていたのだ。長慶様に命じられてな。長慶様がほとんどおひとりでなさったことだ。
利休の心の声:仙熊、この男の言葉、嘘でもないようだが、天下人の器でもないようだ・・。

NA:松永久秀はこの後、三好三人衆と呼ばれる家臣団と対立し、三好家を追われ、足利義輝の弟である義昭を担いで上洛した武将の家来となります。それが織田信長でした。

NA:永禄11年(1568年)、三好三人衆を撃破した織田信長は、足利将軍義昭を奉じて上洛しました。が、すぐには洛中に入らず、三好の畿内本拠地であった芥川山城に入城したのです。信長は、自身が三好長慶の後継者であると天下に示したかったのです。これを聞いた利休は織田信長という武将に会ってみたくなりました。芥川山城は大阪と京都の間、今の高槻市の山中にあります。大阪から船で淀川を遡れば3時間ほどの距離でしょうか。

利休の心の声:長慶様、次の天下人を探す仕事、この利休が引き受けた。

NA:しかし芥川山の麓についた利休は驚きました。城に向かう道中に人々がびっしりと列をなしているのです。皆、新しい天下人に我先に挨拶に伺おうというのでした。興醒めした利休は長慶が最後の居城とした飯盛山城に向かいました。淀川を挟んで芥川山とは対岸に位置しています。

◯飯盛山城
利休:ハァ、ハァ、ハァ。やれ助かった、いい風が吹く。ここはいい見晴らしじゃ。大坂から堺、そして淡路までが一望できる。仙熊がこの地に隠居したがったわけだ。

NA:西に傾いた日が大阪湾を銀色に染めています。

利休:長慶様・・。

NA:そのとき、銀色の海を背負うように、馬に乗った武将が現れました。数名の家来を引き連れて、大将の威厳があります。

利休:さて、この城は今は空き城のはずじゃが・・。

NA:その大将は海に向かって叫びました。

信長:三好長慶殿!この織田信長、貴公のご意志を継ぎ天下を治めて見せまする!
利休:なんと!あれが織田信長・・。

NA:と、一騎の武将が利休を見とがめて近づいてきました。

秀吉:御坊、この辺りの縁者の者か?
利休:これは堺の商人で千宗易と申します。本日は亡き三好長慶様の御霊を慰めんと思い、参りました。

NA:その武将は大将のもとに一旦戻ると、畏って再び利休の方へやってきました。

秀吉:宗易殿、我が殿・織田信長様が茶を一服所望されておる。

NA:利休は思いがけず、信長を野点でもてなすことになりました。

信長:宗易、この信長の耳にもそなたの武勇は届いておる、今井宗久から聞かされてな。
利休:今井様からわたくしの武勇?でございますか?
信長:若かりし頃、三好長慶公の身代金一千貫を肩代わりしたそうな?さてその金、返してもろうたか?
利休:弟・三好実休様より、珠光の茶碗と引き換えに。
信長:ハッハ!それでは茶碗分損しておる。堺の商人らしくもない。
利休:私と長慶様は竹馬の友ゆえ。
信長:ほう?
利休:ともに堺・南宗寺に参禅しておりました。濃茶でございます。
信長:うむ。茶禅一味か、清々しい。
利休:ありがたきお言葉。
信長:秀吉、そなたも飲め。
秀吉:はは、ありがたき幸せ・・ううっ、にが!
信長:ふふふ。濃茶を一気に飲む奴があるか。実はな宗易。ワシも堺衆に金を出して欲しいのだ。先般、今井宗久に矢銭2万貫を用意しろと命じたのだが、宗久め口をへの字に曲げて帰りよった。何か聞いておるか?
利休:私は会合衆ではござりませぬ故はっきりとは・・。

NA:矢銭とは軍費に充てる税金のようなものですが、2万貫の銭は今の価値では数十億から数百億円になります。

利休:恐れながら上様にはその銭、どうお使いになられますでしょうか?
信長:治安じゃ。まずは一向一揆、さらには法華宗門の争い。これらを治めずして天下統一とは言えぬ。
利休:一向一揆と宗門間の争いには、長慶様も手こずりました。
信長:神仏に帰依することは好き好きじゃとワシは思うがな、神仏を盾に利を貪る教団宗門には虫酸が走る。
利休:御意。

NA:利休は信長に好感を抱きました。そしてもう少しこの若者を知りたいとも思いました。

信長:宗易、会合衆でないのは好都合だ。そなたワシに仕える気はないか?ちょうど茶頭が欲しかったのだ。
利休:ありがたきお言葉ながら、もし堺が銭の支払いを断ったときはいかがなさるおつもりでしょう?
信長:町を燃やし皆殺しにする、と宗久には言うておいた。
利休:本当に?
秀吉:控えよ、宗易。
信長:良い。ワシとて三好長慶公が愛された堺の町を燃やしたくはない。ここで偶然そなたに会うたのも、もしや長慶公のお導きかと思うたから、腹割って話しているのだ。この信長、天下人となったのは良いが、どんどんと増える家臣らに分け与えるべき知行がもう無いのだ。
利休の心の声:なかなかの器量だ。長慶様もそう思われますか。
利休:上様、茶の名器ならば、千貫2千貫程度のものはざらにございまする。世に隠れた名器名物を狩り集め、これらを知行の代わりとされてはいかがでございましょう?
信長:名物狩りか、面白い。秀吉、早速に手配せよ。
秀吉:ははっ。
信長:宗易、堺のこと、そなたに任せた。
利休:御意にございまする。
信長:上々だ。秀吉、宗易、見よ。海が黄金色に輝いておる。ワシが長慶公を敬愛するのは公が単に畿内を統一された故ではないぞ。長慶公は瀬戸内の海上交易を支配し、さらにあの海の向こうに明国やバテレン国をしかと見ていたのだ。
秀吉:御意。
信長:今日ここ飯盛山に来て、それがようわかった。ここに来てよかった。

NA:こうして利休は信長の茶頭となったのでした。

作・演出:岡田寧
出演:
 千利休⇒西東雅敏
 三好長慶⇒谷沢龍馬
 松永久秀⇒吉川秀輝
 織田信長⇒忠津勇樹
 羽柴秀吉⇒小磯勝弥
 大林宋套⇒梅崎信一
 ナレーション⇒大川原咲
選曲・効果:ショウ迫
音楽協力:H/MIX GALLERY・甘茶
スタジオ協力:スタッフ・アネックス
プロデューサー:富山真明
制作:株式会社PitPa

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