【台本書き起こし】シーズン2お市の方「戦国一の美女」第2話 夫・浅井長政との別れ:ボイスドラマで学ぶ日本の歴史
NA: 天正元年(一五七三年)八月二十六日、織田信長軍は三万の大軍をもって、浅井長政の小谷城を包囲した。
一方立てこもる長政軍は僅かに五千。それに先だつ八月二十日、信長軍は越前国を攻め、国主・朝倉義景は滅亡した。このとき浅井長政にはもはや、朝倉に援軍を送る余力を持たなかった。多くの家臣が織田に懐柔され、寝返っていたのである。
●小谷城本丸表座敷
長政: 皆聞けぃ!これまで織田を相手に、よく戦った。金ケ崎の戦い・姉川の戦い・志賀の陣と、三度にわたって、信長をぎりぎりまで追い込んだ。この長政、褒めて遣わす。
だがしかし我に天運なく、いずれも信長めを討ち果たすこと叶わなんだ・・。もはや越前国朝倉もない。われらが小谷城に籠城しても、どこからも支援は受けられぬ。城を出て降伏したい者は構わぬ、今ここより、立ち去られよ。
家臣1: 殿、殿は我らの忠義をお疑いか?
家臣2: 獅子身中の虫は我ら家臣団の内にはおりませぬ。
家臣1: 織田側への内通者は我らではなく、奥向きの・・・
NA: そこにお市が、四人の子供らを連れて立っていた。
長政: お市、ここは軍議の場ぞ。
お市の方: 長政様、ご無礼はお許しください。けれどこの子らに御館様の武者姿を今一度しっかりと見せておきたいのです。この曇りなき眼に浅井長政とその忠臣たちの晴れ姿を。末代までその血に刻み、語り継ぐよう・・
茶々: 一同の者、父上を頼んだぞ。
お市の方: お茶々!
家臣1: ははー、かしこまって仕る!
一同: はははは
長政: 茶々は母上に似て、女子にしておくのが惜しいの。
お市の方: 長政様!
長政: 万福丸、勝鬨を挙げよ。
万福丸: はい。えいえいおー!
一同: えいえいおー!
NA: やがて、織田からの使者がやってきた。作法により使者は信長本人となって上座より書状を読み上げた。
信長N: 浅井備前守長政殿に勧告する。降伏なされませ。貴殿の武勇は野に埋めるにはいかにも惜しい。浅井長政殿が降伏するならば、織田の家臣としてお迎えする。長政殿ご自身の、命の心配は御無用に候。
長政: わが家臣たちはどうなさるおつもりか。
信長N: 浅井の家臣は、すでに多くが織田に降伏し、織田の家臣になっている。
長政: いいや、いまもなお、拙者とともに織田と戦っている浅井の家臣はどうなるのか、とおたずねしているのだ。
信長N: われらは浅井長政殿の武勇を惜しんでおる。他のことについては斟酌は無用。
長政: つまり、浅井の家臣を見捨てろと仰せか。
信長N: 斟酌は無用。
長政: 北近江の里の者は、何とするのだ。昨年・一昨年と続けて田畑を焼かれている。小谷城の穀倉から食糧を放出して飢えをしのいだが、それも底をついた。北近江の里の者に、どうやって、この冬を越せというのかっ!
信長N: 浅井の領地は織田が治める。領民が飢えて最も困るのは、織田であることを忘れておられる。心配は無用に候。
長政: だが、織田に略奪された里の者たちの気持ちはどうなるのだ! 拙者の決断で戦死した、浅井の家臣たちと、その家族は、どうなるのだ!
信長N: われらが申し出ているのは、浅井長政殿のお命をお助けさしあげるということのみである。それ以上でもそれ以下でもない。
長政: つまり、織田はわれらについて、何も考えていないということか。
信長N: それはお答え申すわけにはまいらぬ。
長政: 拙者の判断で多くの家臣が討ち死にした。また、北近江の村も火を放たれて焼け落ちた。拙者は国主として、その責を負う立場にある。己だけが生き残るわけにはゆかぬ。
ただし、市と、子どもたちの命は救いたい。
お市の方: 殿、私は長政様とともに・・
長政: お市、子らはまだ幼い・・・頼んだぞ。
お市の方: ・・長政様・・
信長N: 承知した。正室、浅井長政の子息は織田の係累であるゆえ危害を加えない。お市の方様らの身柄を織田本陣にて受け入れたのち、われらは浅井殿と一戦つかまつる。
●同・奥座敷
NA: 総攻めの刻限が迫る中、名残を惜しむ暇もなく、お市は子らの旅支度を済ませ、夫・長政の戦支度を整えた。
お市の方: 長政様、今宵は一段と美しゅうございます。
長政: ろうそくの炎は消える寸前に輝くというからな。
お市の方: 殿・・、お名残おしゅうございます。
長政: うむ。なあ、市よ。
お市の方: はい。
長政: 拙者のところに嫁にきてくれて、ありがとう。
お市の方: はい。
長政: お市。
お市の方: ああ、長政様。
お市の方: 殿、ひとつ、気がかりがございまする。
長政: なんだ。
お市の方: 嫡男・万福丸は、わたくしたちと一緒ではなく、内密に逃してはいかがでございましょうか。
長政: なにゆえ、そう思うのだ?
お市の方: 織田信長の心の動きが、わたくしが幼いころにみた兄・信長と、かなり異なります。
長政: どのように。
お市の方: 好んで残虐な行いをとっているようにさえ思えまする。毎年、小谷城下で略奪をはたらいたのみならず、先年、比叡山延暦寺を焼き討ちし、僧侶や女・子供を焼き殺しました。足利義昭将軍を追放する直前も、信長は京都市中に放火し、略奪し、女子供を無数に殺し、乱取りまで働きました。いまの織田信長は美しくありませぬ。いまの兄の言葉を、どこまで信じていいか、わかりませぬ。
長政: 承知した。万福丸を先に城から逃れさせよう。
お市の方: ありがとうございます。
長政: そなたは茶々たちを頼んだぞ。
お市: はい。
NA: その深夜、嫡男・万福丸は闇に紛れて小谷城を脱出していった。
●北近江虎御前山
NA: 夜が明けると、織田信長本陣から迎えの輿が小谷城にもちこまれた。お市の方は長政に別れを告げると、茶々、初、お江と共にその輿に乗り、山城を出た。織田信長の本陣のある虎御前山砦は、小谷城のすぐ目の前にある。お市の方と娘たちは本陣のなか、織田信長の重臣たちの前に引き出された。重臣のうち、北近江担当の羽柴秀吉とは、雑人時代のつきあいである。丹羽長秀や佐久間信盛は清洲城でよく顔を会わせ、言葉をかわしたこともある。
柴田勝家は謀反をおこしたのち十年ほど信長から遠ざけられていた。そのため、柴田勝家とお市の方は、ほとんど接点がない。お市の方が本陣の陣幕に通されると、すかさず織田信長が姿をあらわした。
信長: お市、俺に思うところはいろいろあろうが、まずは大儀であった。面をあげよ。
お市の方: 信長様、お久しゅうございまする。
信長: でもない。金ケ崎で浅井長政が裏切る前、小谷城で長政と会うておるので、四年ぶりか。『久しい』と申すほどではない。
お市の方: 兄上──
信長: 『長政の命を助けろ』という申し出は断る。
長政ほどの男が、いまさら『降伏しろ』といっても、応じるとは思えぬ。盗人のごとく、ふん縛って引き出すのも本意ではなかろう。
お市の方: それは……
信長: あいかわらず、そなたは、わが妹ながら美しい。
お市の方N: 兄上は、合戦で多くの人が死のうというのに、なぜこれほど平然としていられるのでしょうか。
信長: は、変わった。僧侶を殺し、延暦寺を焼きつくし、京都市中では女子供を殺しまくった。
お市や、俺はもはや、美しくない。
お市の方: 兄上・・
信長: だがそうなったきっかけは、元をただせば、長政が俺を裏切ったせいだ。
お市の方: 兄上それは違います。
信長: かも知れぬ。戦国の国主として、避けては通れぬ道で、長政が裏切らなくとも、俺はこのような人でなしになっていたのかもしれぬ。・・しかし長政は裏切った。もし裏切り者の長政を許すことができれば、あるいは俺も再び美しく生きられたかも知れぬ。だが長政は、俺のさしのべた手を振り払った・・
お市の方: 兄上、そもそも織田が浅井を裏切ったということを、お忘れでしょうか。
信長: 忘れた。
お市の方: そんな・・
NA: 虚実入り混じった信長の異様な言動に、柴田勝家や羽柴秀吉ら重臣たちは、じっと息を潜めていた。
信長: 浅井長政は合戦に異様に強い。俺たちの損害を最小限にとどめるために、できるかぎり和睦で片付けたかったが。
お市の方N: いま、こうしている間にも、長政様は死を覚悟しておられる。兄上・信長のなかには、自分自身のことしかない。長政様をなんとかしなければならない。けれども、どうしたらいい?
お市の方: 兄上が案じておられるのは、ご自身が損をしないように、ということだけでしょうか。
信長: ほかに何がある?
お市の方N: 兄上の、人としての感情が、どこかに行ってしまっている。
いまのわたくしにできることは、何なのか。
NA: 信長は、おおきな変化をきたしていた。織田信長に、この四年間、いろいろあったのは、お市の方も承知している。実の妹・お市と義弟の浅井長政に裏切られた。伊勢長島では一向一揆が発生し、異母弟・織田が一揆衆に包囲されても助けにゆけずに見殺しにした。
お市の方N: 兄上が、人としてまともな神経を持っていては、とてもやってゆけなかったのはわかります。兄上が哀れでさえあります。しかし・・
信長: さて、浅井長政の嫡男・万福丸の姿が見当たらぬようであるが。
お市の方: それは……
信長: 案ずるな。どうでもよい。小谷城内には、織田の内通者をしのばせておる。すでに昨夜遅く、万福丸が内密に小谷城を脱出したのは、承知しておる。
お市の方: それは・・・
信長: お市、そなたが自分を責めることはない。万福丸がここに居ようと居まいと関係ない。どのみち万福丸を殺すつもりだったゆえ、気にするでない。
お市の方: わたしや娘たちに向かって言うことですか!
お市の方N: 兄上はあきらかに何かが壊れてしまっている!
信長: 男子を生かしたままだと将来禍根を残す。万福丸がここにいなければ日本全国どこにいようと、いや、地獄の底まで探し出し、かならずや処刑する。浅井長政が裏切ったことへの恨みではない。浅井長政は強すぎる、恐ろしすぎる。
姉川の合戦のとき、浅井長政はわずかな手勢で、何倍もの兵力をそなえた織田に真正面から、脇目もふらずに俺の本陣まで突進してきた。たまたま浅井軍の横を突いた奴がいたから織田はかろうじて勝てたが、かなり危なかった。あんな思いをするのは、二度とごめんだ。浅井長政はまもなく小谷城で討ち死にする。その息子が、あの血を引いているのなら、俺のために生かしてはおけぬ。
お市の方: ひとごろし。
信長: そうだ。
お市の方N: 長政様だけでなく、万福丸さえも救えないのか。
信長: なあ、市。俺が美しい生き方をしておらぬことだけは、たしかだ。
ただ、市よ、そなたはまだ若い。できることとやれることは、まだまだ多い。
お市の方: 寝言は寝ているときに言いなさい。
家臣一同: おお
信長: ほう
お市の方: わたくしは、兄上の思い通りにはいきませぬ。戦国の女には、戦国の女の戦い方があるのを、決してお忘れなさいますな。
信長: お市に何ができる。
お市の方: 自害。
家臣A: なんとおいたわしい。
家臣B: しかしお市様ならやりかねん。
お市の方: 兄上がどこぞの大名と盟約をちぎりし折りに、その人質として、わたくしをどこへなりとも嫁に行かせなさいませ。嫁に行ったその日のうちに、婚家の広間で、みずからの胸を突いて、兄上と、どこぞの大名との盟約を、踏みにじってさしあげます。
信長: そなたなら、やりかねぬ。
お市の方: やりかねぬ、ではなく、必ずやりまする。
織田信長、わたくしは、二度と、どこにも嫁にゆきませぬ。わたくしの娘に手をだすことも許しませぬ。
お市の方N: わたくしは、泣かない。兄上によって泣かされることは、ない。わたくしの涙は、浅井長政殿と、万福丸のためだけにある。
お市の方: 織田信長、わたくしは美しい。
一同: おおっ
NA: その日のうちに、織田信長軍の総攻撃がはじまった。お市の方と茶々・初・お江の三人の娘たちは移送されず、そのまま信長の本陣に置かれた。圧倒的な兵力の差があるにもかかわらず、浅井長政は小谷城をよく守った。ただし、多勢に無勢であった。
天正元年九月一日、小谷城は落城。浅井長政は自刃し、その首は信長の本陣に届けられた。信長はもちろん浅井長政と面識があったが、信長は、お市の方に浅井長政の首をみせて、その戦死を確認させた。ちなみに万福丸は羽柴秀吉によって捜索され、美濃国関ヶ原で串刺しの刑に処せられた。かくして小谷城は廃棄され、浅井長政の遺領は、羽柴秀吉に下された。羽柴秀吉は琵琶湖畔の今浜を長浜とあらため、城を築いた。
お市の方と茶々・初・お江の身柄は清州城へ移され、保護されることとなった。
ふつうならば、このまま、誰にも知られず、平和に一生を終えただろう。けれども、そうはゆかなかった。本能寺の変で、信長がたおれたのである。
脚本:鈴木輝一郎
演出:岡田 寧
出演:
お市の方:北條真央
織田信長:濱嵜 凌
浅井長政:秋谷柊弥
家臣:田邉将輝
家臣:大東英史
万福丸:明石夏実
ナレーション・茶々:萩原一葉
選曲・効果:ショウ迫
スタジオ協力:スタッフ・アネックス
プロデューサー:富山真明
制作:株式会社Pitpa
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