正義感と損得勘定
正義は悪の口上ともなる。
自分の損得に支障がなければ、人は正義を口にしやすい。
正義を口にしても自分にとって損になる場合は、概ね口を閉ざす。
そして尚正義を貫こうとする人に対しては、青いとか現実を知らないとか粋がっているとか言う。
少し負い目を感じての言い分なら良いが、損得優先が人の常と思って疑いのない者もいる。
結局、正義を貫く人は自己満足やとても自尊心が高いだけでそれもエゴだとも考えられる。
イエスの弟子の一人がイエスが捕らえられた時に、見咎められ「私はその人を知らない」と三度逃れる為に言った。
彼はそんな事を言った自分に愕然とする。
自分がそんな人間だ、などと思ってもいなかったから。
彼は恥じた。その後には殉教する。
自尊心などふっとんでしまっている。
人が正義を通す時に一概に自尊心の高さからとは言えない。
責任感も発露になる。
自分の言動によって他の人に影響を与えた時に、その内容に確信があるのに、自分の命の為に言ったことをひるがえすという事はしないという気持ちがある。
これは、自尊心ではなく責任感と考える。
私はというと、私も「私はその人を知らない」と言うビビり屋だ。
殉教もしないで、最後まで逃げると思う。
人はいざとなると命にしがみつく。
まぁ、正義で人を支配などしない人間では居られるとは思っている(分からないが)。
雨の音を家の中で聞きながら、そんな事を考えていた。
主よ、試みにあわさず悪より救いだしたまえ