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百 | 欲しかったものを手放した

▶中身のない悩み

仕事が終わり、今日一緒にシフトに入っていた溝端先輩に挨拶をし、駅に向かって歩き始めた。

溝端先輩は細かい・怖いで会社ではちょっとした有名人だ。

彼に泣かされて会社を辞めた人がいるなんて話も聞いたことがあるし、かくいう私も仕事を始めてから3ヶ月ほどは、彼とシフトが被るたびに怒られた。
泣きも辞めもしなかったけど。


それでも、今はミスをしたってニコニコと笑いながら、楽しそうに話しかけてくる。
その話がなかなかユーモアに溢れているものだから、私はつい笑って聞いてしまうのだ。

普段はぶっきらぼうな表情を見せる彼が、
慣れた人にだけ見せる笑顔や、体型に合わないつぶらな瞳を見ると、
彼のこのギャップはなんなんだろうと、惚れそうになる瞬間が時々襲ってくる。


今日はどういうわけか、頭がずっとぼーっとしていて、ミスばかりしてしまった。

疲れを感じ始めた昼過ぎに、ふと癒されたいなあと思ったが、お客はそんなこと構わず増える一方だし、仕事が終わってから癒されるような予定も特にない。

疲れて癒されたいと思う時は、誰かに話を聞いてほしいと思うのだが、「話聞くよ、どうしたの?」と言われたところで、別にこれといった悩みがあるわけでもない。

こんな時の、悩みはないけど悩んでいるという感覚はいったいなんなんだろう。


今日のことを振り返りながら、駅に向かっていた私は、もう少し頭を放っておいてあげたい気分になり、隣の駅まで歩くことにした。

先週まで暑くて文句を言っていたはずなのに、今日は上着を2枚も着ている。すっかり秋の空気になっていた。

イヤホンをカバンのポケットから取り出す。

今日聞く曲は決まっている。


▶︎「大人」という水平線

自分の人生においては割と最近のことのように思うのは、19歳あたりから「大人」という括りにされてしまうからだろうなと思った。

大学生の私が高校生の頃を思い出せば、昔だと思うし、
高校生の私が、中学生の頃を思い出せば、子供の頃のことだと思うし、
中学生の私が、小学生の頃を思い出せば、もうかなり前のことのように思う。


だけど、大学生以降はずっと「大人」なのだから、それが何年前であったとしても割と最近のことのように思うのだ。

心はずっと右肩上がりなのではない。途中からはずっと水平線だ。


19歳の時に聴いていたこの曲は、今の私にとっては割と最近の曲、というイメージだった。
それでも何年経ったのか数えてみれば、もう8年も経っていることに気づいて恐ろしくなった。

8年前なんて、大学1年生のときに小学4年生を思い返しているようなものだ。

そうか、私は大学に入学したあの頃から、それだけ長い時を経ていたのか。

▶︎得たものがない

その頃から成長したこととは何なのだろう。

確かに経験数は増えたし、当時怖かったほとんどのことが今は怖くない。

そう思うと、かなり成長したなと思う。

だけど、物も人間関係も、全く増えてはいない。増えていないどころか、減っている気がする。
この8年間、手にしたものがあった気がしたが、それ以上に置いてきたものばかりだと思った。

親は離婚し、会うことが減り、

兄弟には家族が増えたが、増えれば増えるほど、私にとって兄弟の存在は小さくなっていった。

唯一、出会ったと思っていた恋人を、私は2年前に手放した。

あんなに手放したくないと、思ったのが狂っていたのだと思うほどに、今の私には必要ではなくなってしまったのだ。

当時持っていなかったが、今持っているものなど、何一つないと気づいた。


▶︎特別という幻想


その頃の私は、ずっと理解者が欲しかった。

今まで辛い思いばかりしてきた私の全てを、理解してくれる誰かが、どこかにいるのだと思っていた。

辛い思いをしているのはみんな同じだろうけど、人間は自分だけは特別なのだと思いたい。


そう思うと、さまざまな思いや自分へのプライド、そういったものを手に持たずに置いてこれるようになったことが、この8年でのいちばんの成長なのかもしれないなと思った。

8年前の私は、過去の私の経験を全て持ち歩いて重そうだった。鎧を背負っていた。

今は全て置いて進んでいる。

身軽になったし、辛い思いをそれらしく振りかざすことへの憧れが消えた。
自分はなにも特別な人間でもなんでもないのだと理解した。

出会ってきた人たちも特別でもなんでもない。

運命の出会いなどこの世には無いし、運命の人など居ない。

どんなに好きになった人であろうと、そんな人はそこらじゅうに居る人間の一人でしかないではないか。

人は好きになればその人を特別視するようになる。その人との出会いはきっと運命なのだと思い込む。彼がいないと自分はいなかったのだと言う。

だけど、時が過ぎれば彼もその辺にいる一人であったと気づくことになる。

そう思っていないと人は次の恋愛に進むことができない。

運命の出会いなのだと幻想を抱いていると、その先にある本当の運命の出会いに気づくことができなくなる。

とは言ってみたが、本当の運命の出会いとやらも幻想だ。



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